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16.中国問題
 中国問題と言えば、尖閣諸島の領有権問題、中国原子力潜水艦の領海侵犯問題、はてまた貿易問題を思い浮かべるかもしれない。
 中国と言うのは大国であるが故に中国問題といえば大仰に聞こえてしまうし、それらは確かに国家としての大問題ではある。しかし、私が感じているのは、呉服業界の人間として、商売人として、呉服の小売屋として感じている極ミクロな中国問題である。
 私は、「きもの春秋」、「続々きもの春秋」の中で二度中国について触れてきた。最初はきもの春秋の「中国の帯」である。書いたのが十年近く前の事なので、現在では過去の文章と取上げてもらわなくてはならない程陳腐化した文章と言わざるを得ない。現代の世の中は、加速度的にその変化のスピードを増し、中国に至っては浦島太郎がまたたく間に歳をとったような信じがたいスピードで経済が発展している。
 その意味で私の初校は浦島太郎の如く旧校となってしまっている。その見直しともいえるのが、「続々きもの春秋」で著した「再考、中国の帯」である。
 中国の経済開放というビッグバンを点で捉えたのが「中国の帯」ならば、その後の中国経済の発展の過程を微分的に捉えたのが「再考、中国の帯」と言える。それからわずか二年後に再び中国論を起草しなければならないのは、中国がいかに急速な経済成長を遂げているかの証左でもある。
 時は人の思考を待たない。こうして私があれやこれやと考えている内にも、中国経済、否中国に限らず世界の経済は常に変化発展している。
 今書こうとしているこの中国論も、いわば点を捉えた微分値にしかすぎないのかもしれない。しかし、私は学者でも評論家でもないまして未来学者でもなく、今日目の前にある問題と素直に対峙しなければならないのである。
 さて、私にとっての中国問題とは一口に言えば呉服業界に中国製品が氾濫してきたことにある。これは呉服業界に限らずどの業界でも同じである。今や世界の工場と言われる中国が、その人件費の安さを武器に低価格の商品を世界中に供給している。
「どの業界でも廉価な中国商品が国産品を駆逐して困っていますよ。」
そう言われそうだけれども、私が感じる中国問題はそれ程単純ではない。十年前であれば、
「粗悪な中国製品が呉服業界に入ってきてさぞお困りでしょう。」
の一言で片付けられたかもしれないが、今日の問題はもっと複雑である。
  現在、どの店に限らず呉服店の店頭を飾る商品の多くが中国製である。とりわけ小物については、店によっては半分くらい占める店もあるかもしれない。私の店にも中国製の和装小物が並んでいる。そして、それらにははっきりと『中国製』の表示がある。原産国表示は義務付けられ、消費者にとっては商品を判断する基準の一つとなっている。
  さて、『中国製』の表示がある商品に対して消費者はどのように反応するのだろう。
  先日、お客様に羽織の紐を注文された。色違いなど五〜六本用意して持っていったが、本人が不在で預けて帰ってきた。後日うかがって清算したが、その時も本人が不在だったので家の人が応対した。二本買って頂いたが、
「二本もらいましたが、本当はもっと良い物が欲しかったようです。」
と言う家族の話。持って行った羽織の紐は標準的な商品だった。
「どの位のものが良かったのですか。」
という私の問いに、
「これは中国製ですね。日本製の羽織の紐が欲しかったようです。」
という答えが返ってきた。
  納めた商品は中国製だけれども、値段から見れば日本製よりも安く、造りは見劣りのしないものだった。しかし、「もっと良い物」と言われれば無いわけではない。日本製の手組みの羽織の紐は確かにあるけれども価格は数倍である。問屋に聞いてみても、
「日本製の手組みですか、今は余りありませんが相当に高いですよ。」
という答えが返ってきた。しかし、果たしてそれだけ高い羽織の紐を買っていた炊けるのかは分からない。
さて、現状を分析してみると次のようになる。
 ? 和装小物の主流は今や日本製と中国製である。
 ? 中国製は価格が安く、日本製は高い。
 ? 最近の中国製品の中には日本製に見劣りしないものがある。ただし、すべてがそうではなく、まだまだ粗悪品もある。
 ? 日本製は物によっては高価格品に特化して汎用品は中国製にその座を譲っているものもある。
  中国製を日本製と偽って販売するのは違法である。それは論外として、粗悪品を扱うことも呉服屋としてはできない。しかし、今日それを踏まえた上で中国製品を避けて通ることはできない環境になっている。中国製品であろうとも価格品質共に満足できるものであればそれを扱わなければ品揃えが困難になってきている。
  そして、お客様の中国製に対する反応は次のようである。
 ? 中国製であろうと何処の製品であろうと価格相応であれば納得して購入するお客様。
 ? 中国製に違和感を覚えるお客様。それは、中国製は粗悪品というイメージがこびりついているのか、はてまた着物ナシナリズムがそうさせるのか。
 ? 日本製にこだわるお客様。
  こういった現状を踏まえると、私は非常に困ってしまうのである。
  今、呉服店にとって必要な品揃えをすれば、間違いなく中国製を扱わざるを得ない。汎用品を中国製に譲っているアイテムも多数あるからである。頑なに日本製品にこだわって品揃えをすればおのずと高級品、高額品ばかりになってしまう。そうなれば、
「結城屋さんは高いものしか置いてないのね。」
と言われるし、汎用品を揃えようとすれば、
「あら、結城屋さんでは中国製も扱うのですか。」
と言われてしまう。
  お客様の捉え方は様々である。そして、その様々なお客様に対応しようとすると中国問題が頭をもたげてくるのである。
  このような問題の裏には次のようなことがある。
  消費者の中国製に対する着物ナショナリズムの厚い壁。その奥底には明治の脱亜入欧思想があるのかもしれない。『フランス製』『イタリア製』と『中国製』との間には日本語の微妙なニュアンスの違いが感じられるのも事実である。
  そして、浦島太郎の如き中国の突然の経済開放政策によって製造コストの余りにも違う経済環境のぶつかり合いが、日本の生産者を駆逐し倒産廃業へと追いやってしまった。さらに中国の技術の発展により、日本市場が充分に受け入れられる商品が供給されるようになった事など問題は複雑になってきている。それでも「中国製品=粗悪品」というイメージを持つ消費者も多く、また事実中国製品にはまだ粗悪品も多い。
「日本製とかわらない品質の中国製です。」という言い訳が通らないのが呉服業界である。
 きものナショナリズムの渦巻く呉服業界では、中国製品を扱わざるを得ない状況の中で中国製品が毛嫌いされると言うジレンマを抱えているのである。
  さて、この問題にどのように対処したらよいのだろう。
  それは私一人の問題ではなく、業界消費者も含めた問題である。私一人では対処の仕様が無い。つきつめれば、中国製品を消費者がどのように受け入れるのかということである。
  中国製品を一切受け入れない…それは無理な話である。経済原則が働けば、需要のある所に供給が伴う。価格的競争力のある中国製品は、どんな壁を築こうとも需要に誘われて日本市場に浸潤することは必定である。
  では呉服業界が中国製品をどのように受け入れたらよいのだろうか。
  先に「きものナショナリズム」と書いたけれども、現在渦巻いている「きものナショナリズム」は残念ながら純粋な民族主義から出ているのではなく、中国製品に対する偏見によるものが大きい。イタリア製ベネチアングラスの羽織の紐でも販売されれば、すぐに取り入れられるかもしれない。経済的国境がなくなりつつある今日、特定の国の商品に対する偏見は大変残念ではあるけれども現状はそうである。中国製品はじめ外国製品に対する偏見は取り払ってもらいたいものである。
  しかし、偏見を取り払えば全ての中国製品を呉服業界で受け入れられるとは思えない。日本の伝統工芸品を外国で造ることを認めても、それが非常に難しいことであるのは論を待たない。それは日本の伝統工芸品に限らず、日本が他国の伝統工芸品を造る事と同じである。
  長い歴史が生み出した文化を理解するのは難しい事で、それを具現化して商品にするのはなおさら難しい。私が二十数年前に京都で見た中国で織られた総綴れの帯の柄は人の顔が日本人離れしていたし、建物の屋根が心なしか先が競り上がった中国の建物を思わせるものだった。
  和装小物を中国で生産し、日本に輸入するのはよしとしても、日本の心を知らない製品はいただけない。それではその歯止めをどうするのか。
  中国での和装製品の生産にはほとんどが日本の企業が係わり技術指導をしている。とはいえ全てが日本と同様の製品ができるわけではない。日本のメーカーが中国で生産し、商社、問屋を経由して小売屋へと渡る。消費者が中国製品を手にするまでには何度も篩いに掛けられているはずである。消費者に渡る中国製和装品が和装品として適切なものかどうかは篩いとなる商社、問屋、小売屋が厳格に吟味しなければならない。そうすれば日本的でない和装品は刎ねられ消費者の手に渡ることはないだろうから。
  しかし、商社、問屋、小売屋が儲け第一主義に走り和装品としていいかげんな(必ずしも中国ではいいかげんな物ではないにしろ)商品は淘汰されるはずである。 中国問題として捉えた中国製品だけれども、その問題の多くは日本側にあるかもしれない。
  日本文化を守り育てるのは日本人自身なのだから。


 

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