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10.きものを着るという事
 先日上京した時のことである。

 八月初旬、もう夏の最中だけれども今年は梅雨が長く、ようやく梅雨明け宣言が出されたばかりだった。東京の蒸し暑さは格別である。冷夏とは言っても我々田舎者にとってはムッとするような暑さが肌に付く。

 山手線に乗り対面座席に座る人の肩越しに外を見ていた。列車がホームに滑り込むと、引き寄せられるように列車に乗ろうとする人が集まってくる。その中にきもの姿の女性が目に映った。顔は見えなかったが撫肩で年配の女性のように思えた。

 列車の扉が開き、その人が私の目の前の扉から列車に乗り込んできた。年の頃は八○も半ばと思われる老婆のきもの姿を暫し見ていた。遠くから見れば夏大島かと思ったが、白い絽の小紋だった。そして私の真向かいの席に座った。

 夏のきもの姿は風情がある。見ている者にとっては涼しさが感じられる。職業柄私はそのきものを観察していた。
 袖から襦袢が二分位出ている。・・・・・襦袢の裄が合わないのだろうか。
 裾が少々波打っている。・・・・・仕立てが悪いのだろうか。
 紬の無地の八寸帯を締めている。・・・・・紗の八寸でも締めたら良いのに。
 帯締、帯揚がきちんと締められていない。・・・・・もっと気を使ったら良いのに。

 ジロジロと見るのも失礼なのでちらちらと視線を注いできものを見ていた。
「ああすれば良いのに。もっとこうすれば良いのに。」
そんなことばかりが頭をよぎる。

 しかし、彼女の動作を見ていてある事に気がついた。

 座席に座る時に両袖が座面に付かぬ様に袖先をたたんで膝の上に載せている。そして、手の汗をきものに付けぬ様ハンカチを手にしている。

 少し着崩れしたと思ったのだろうか。おはしょりの先を右左に引っ張って居住いを直している。その動作は実に自然である。着崩れなどしていない。彼女の襟は貼り付けたように襟と一体になって微動だにしない。

 彼女はきものを着慣れている。彼女の年齢からして着慣れているどころではない。あるいは毎日きものを着ているのかもしれない。

 そのうちに隣に座っていた御婦人と話を始めた。もちろん初対面である。その御婦人はきもの姿を褒めているようである。私は耳をそばだてて二人の会話を聞いていた。
「・・・・・はステキですね。・・・・。」
「・・・・三十年前のものですが、・・・・・、ちょっと派手だと思いましたが・・・・。」
「そんなことは・・・・・・、・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・。」
「何か、・・・・・・・・・・・・・・・。」
「ええ、三味線・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
 列車の音が耳をかすめ全ての会話を聞く事はできなかったが、大筋の話は分った。充分にきものを着こなしている女性である。

 私は彼女のきもの姿を見た時に、その欠点を揚げ連ねていた。
「あれが悪い。これが悪い。」と。

 しかし、そんな態度が日本人をきものから遠ざけているのではないかという気がした。

 きものにしても洋服にしても、毎日着ている人達は、常に完璧な物を完璧にコーディネイトしているだろうか。私が彼女に求めた事が、毎日きものを着る人にとって可能なことだろうか。

 その時の私のスーツ姿を紳士服の専門家が見ればどれだけ非難を浴びるだろうか。決して完璧なスーツの着こなしなどしていない。

 彼女の立居振舞はきものを着慣れている人のそれであり、誰に非難されるものでもなかった。昔、皆が日常きものを着ていた時代には彼女のようなきもの姿の女性が街を闊歩していただろう。

 きものを着る人は誰でもコーディネイトや着付けには気を配るものである。初めて着る者は尚更の事、コーディネイトや着付けに問題がないのか、きがきではない。
「自分のきもののTPOは正しいのか。着崩れはしていないか。」と。

 そう思わせるのは他人の目である。他人の目が完璧な着こなしを求める余り、きものを着ようとする人を追い詰めて、挙句の果てにきものを遠ざけているのではないだろうか。

 きものが余りにも高尚になってしまった。その実、昔とは何も変ってはいないのに。もっときものを普段の目で見てはもらえぬだろうか。私も反省する次第である。



 

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