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8.「先生」のインフレとその功罪
 『先日私は、ある茶道の団体に頼まれて、きものの話をしてきた。講演と言えば聞こえは良いが、講演などと大それた話ではなく、和室で2〜30人程の女性の前できものの話をした。私はお客様とは始終話をしているが、2〜30人の女性の前で話をするのは馴れていない。少しでも着物に対する正しい理解が広まればと、まがりなりにもきものの話をしてきたのだが、後に妙な現象が起きた。

 その場で話を聞いていた人が私と出会うと、私を「先生」と呼ぶのである。私は先生ではない。只の呉服屋である。
「私は先生ではありませんから。」
そう言っても、
「先生と呼んだほうが呼び易いので。」
と言われる。

 私は先生ではないし、先生と呼ばれた事もない。いや、只一度先生と呼ばれるのは、小学生の水泳指導に行った時である。
「皆さん、結城先生にお礼を言いましょう。」
 そう言う学校の(本当の)先生の言葉に子供たちが、
「結城先生、ありがとうございました。」
と、口を揃える前で私は自分の身の置き場に困ってしまった。しかし、子供達に、
「私は先生ではありません。」
などと言い訳するのもおかしいので、その場は聞き流していた。しかし、この度は私の生業に関わることであり、「先生」になる訳には行かなかった。

 私は呉服屋である。呉服の専門店の経営者である。呉服の知識を身に付けているのは当然で、きものを着る茶人よりもきものについては詳しい。もちろんお茶の事に関しては茶人の方が私よりも詳しい。

 専門店とはある商品を専門に扱っている店である。自分の扱っている商品に関してはお客さまより詳しくなくてはならない。それは呉服屋に限らず茶道具屋やお茶屋、その他時計屋、洋服屋、魚屋、八百屋など専門店と称する店では商品知識を持たなければならないし、商品についての必要な説明を消費者にする義務を負っている。

 魚屋は魚を見ただけで何の魚か、大体何処で水揚げされるものか、鮮度はどうか、またどんな調理法が良いのかなど。花屋であれば、花の名前はもちろん、原産地や季節、どんな花を付けるのかなど、知らなくては商売にならないし、商いに一生懸命であれば自然に知識は身に付くものである。

 自分の店で扱う商品のウンチクをお客様に話す人を先生と言うのか?・・・。そんな疑問が起こってくる。

 私が先生と呼ばれるのはその土壌があるようにも思われる。世の中に先生は氾濫している。こと呉服業界においては先生の花盛りである。展示会に行けば、そこここに先生がいる。染職人や織職人、またそれに講釈をたれる人が全て先生と呼ばれている。心ある職人の中にはそれに嫌悪感を抱いている人がいることも知っている。何故このように先生が増えるのだろう。

 物が売れない時代、商品には何がしかの付加価値が求められている。技術革新は更なる技術革新を招来し、高付加価値の商品が生み出されている。工業製品であれば、性能、技術を付加価値の対象としている。しかるに我呉服業界はどうだろうか。
 熟練職人による芸術作品にも迫るような技術の付加価値を追い求めるべきなのだろうが、現在その蔭は薄い。

 展示会では先生の威厳が客を圧倒し、商品の本質は枠の外、といった感がある。いかに素晴らしい先生?がその着物を造ったのかをアピールし、このような価格は当然であるかのように印象付けようとしている。

 如何にその商品が高付加価値であるのかを説明するための「先生の粗製乱造」である。誰でも彼でも先生に仕立て上げ、または成りすまして商品の本質を曇らせている。

 中には異様な風貌で髭をはやし、あたかも先生である事を演出する者もいる。商品を説明するのに髭も作務衣も異様な風貌も必要ない。必要なのは正しい商品知識と、それを消費者に正しく説明する力である。

 旧ソ連時代に絵画の展覧会の審査では作者の名前を伏せて採点する、と言った話を聞いた事がある。社会主義らしい公平な判断を求める審査方法と思える。作品の出来はその作者の個性とは無縁なはずである。商品を判断する上で先生は消費者の目を曇らせる存在でしかない。

 先生と呼ばれる人の中には立派に先生の名に値する人もいるが、玉石混交の中で本当の先生方は埋没してしまっている。

 「先生」の威を借りずに正しい商品知識を消費者に提供することが求められる一方、消費者はあらゆる雑音をはねのけて判断してもらいたいと思っている。

  私の話を只の呉服屋の話と受け止めてもらいたいのである。余りに「先生」が飛び交うようであれば、いっそ中国のように男性の敬称を「先生」(シンサン)としてはどうだろう。「先生」の価値はデフレとなり威を借るキツネはいなくなると思うのだけれども。


 

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