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1. 作家物と落款

 き呉服の商いをしていると「これは作家物ですか」という言葉を良く聞く。買い手は「これは作家物ですか」と、商品の付加価値を確かめ、売手は「これは作家物ですから」と商品の高価な事を印象づけようとしている。作家物とはいったい何なのだろう。

 一般に作家と言われる人達がいるのは、呉服業界に限らない。音楽の世界では作曲家や作詞家。文学の世界では、小説を書くのを生業としている人を言う。画家を作家と呼ぶことは少ないけれども、やはり画家も作家である。陶芸家や漆芸家も作家である。

 国語辞典で「作家」と引いてみると「芸術品の制作者、小説・戯曲の製作者」とある。どれも共通することは、各人がオリジナルな創作活動をしていると言うことだろう。

 作曲、作詞、小説、戯曲、絵画、彫刻、陶芸、漆芸いずれをとっても作家の創る作品は、作家自身の手による完全なオリジナル作品である。作曲、作詞、小説、戯曲はいずれも作家の頭からひねり出した作品である。絵画は作家の手で描かれ、彫刻は作家の手で刻される。陶芸の作品は陶土を作るのを弟子にやらせたり、焼くときには弟子の手を借りるかも知れないが、全て作家の意志と技術によりできあがるものである。他人が創ったものを真似て造れば盗作、他人と共同で創れば共作と言われる。

 呉服の場合は事情を少し異にする。作家物のきものとしてよく取り上げられるものに加賀友禅がある。加賀友禅は全て加賀友禅作家として登録した作家の作品である。加賀友禅作家は加賀染振興協会に落款を登録している。

 私が京都の問屋にいた時に聞いた話である。
「加賀友禅は図案の考案から色差しまで一人で行なうので全て作家物です。京物(京友禅)は、ほとんどが分業体制をとっているので、基本的には京物には作家物はありません。」

 この言葉は真実を100パーセント言っているのかどうかは分からないけれども、私は成程と納得していた。

 友禅の工程を考えてみよう。まず、図案の作成である。これは画家の領域で、友禅の作家と呼ばれる人達は、そのほとんどが修業時代に日本画を学んでいる。図案が決まれば白生地に青花の汁で下描きしていく、青花の汁は水で流れ、跡が残らない為に用いられている。下描きができると絵の輪郭に沿って糊を入れていく。これを糸目と言い、ケーキにクリームを搾り出すように細い金口の先から糊を搾り出し細い線を描いていく。糊は染料がにじみ出さないようにする為のもの(防染)で、細く一様な線を引かなければならない。職人は金口を自分で工夫して、いかに細く一様な線を引くかを競っている。加賀友禅の作家の中には、栗のイガや童子の髪の毛等わざと細い糸目を必要とした題材に取り組んでいる人もいる。糸目を入れ終えたら、染料を注して染色していく。色がはみださないように根気よく染料を注していく技術もさることながら、色の選び方が難しい。友禅は日本画と違って、複雑なボカシや重ね塗りができない。簡単に言えば、色の入れ方は、「ぬりえ」の様なものである。糸目で囲まれた所を一色で染め、単純なボカシを入れる。絵画と同じで、配色はその作品の生命である。どのような配色をするかによって、その作品の価値が決まってしまう。加賀友禅では基本的に加賀の五彩と言われる色を使うけれども、作家によって、その使い方に特色が現れる。押田正義、柿本市郎、白坂幸蔵各氏の作品は、それぞれに色の使い方に特色が有り、見る人が見れば作家を特定できる程である。

 色注しが終わったら、地色を染めるために糊伏せをする。地色が引き染めされた後、糊を洗い流し色を定着させ友禅染めができあがる。加賀友禅は刺繍や箔置をしないけれども、京友禅は、金糸銀糸で刺繍をしたり、金箔銀箔を用いて重みの有る友禅ができあがる。この刺繍や箔置きも高度な技術を要する職人技である。加賀友禅に刺繍や箔置きがないのは加賀に刺繍や箔置きの職人がいなかったからなのか、それとも全て一人の作家の手で作られるために刺繍や箔を置くことに手が回らなかったからなのかは分からないが、いくつもの高度な技術を一人でこなすというのが難しいことにはかわりはない。京友禅の場合は図案、下描き、糊置き、色注し、刺繍、箔置きなど、それぞれが専門化されている。専門化されたいくつもの過程を経て作り出される京友禅では、図案家を作家と言えるのか。刺繍をする人、箔を置く人無しには友禅は完成し得ないが、彼らは作家では無いのだろうか。

 京友禅の職人達は自分を作家だとは思ってはいないし、作家と呼ばれたいとも思ってはいない。「作家」という言葉自体、最近もてはやされだした言葉のように思える。

 江戸小紋でも同じような事が言える。江戸小紋は型彫り、型染め、地直し等、多くの工程を経て完成するが、一般に「○○作江戸小紋」というのは、染職人又は型彫り作家の名前を出している。しかし、江戸小紋は、地直し職人他多くの職人技なしでは作品を完成することはできない。

 友禅の職人でも江戸小紋の職人でも、自分は作家であるという意識はないし、作家と呼ばれようと呼ばれまいと、自分の納得する仕事をしたいだけではないのだろうか。作家と云う名前にこだわろうとしているのは、むしろ我々呉服を商いする者や消費者ではないのだろうか。

 作家物と呼ばれる作品(商品)には落款と呼ばれるハンコが押してある。きものに仕立てた場合、この落款は下前か下おくみの上に出る。落款は落成款識の略で書画の完成の意を表わす署名捺印で染物にも流用されたものである。

 加賀友禅作家の落款は加賀染振興協会の発行する「加賀友禅手描技術者登録名簿」に登録され、落款を見れば誰の作品かがすぐに分かるようになっている。京友禅にはもともと作家というのはなく、落款もないものがほとんどだったが、最近は落款を押した物が多い。京友禅でも作家物と称する商品が多くなってきたこと。消費者が作家物をありがたがるので、作家物ではなくとも落款を押した商品が多くなっている。これを落款と言えるのかどうかは分からないけれども、染屋の名前や工房の名称が落款として用いられている。作家物にこだわる消費者からは「落款が有りませんね」とか「これは誰の作品ですか」という質問を寄せられるけれども、私は言葉を詰まらせてしまう。作家物であれば「これは○○の作品です」と言う事もできる。しかし、そうでない商品の落款を見ても、作家の名前を特定することができない。又、落款がないものは作家物ではないけれども、作家物かどうかと云うことは、その商品の出来不出来にはたいして関係が無い。作家物を強調することは、幾人もの高度な職人技を介してきた素晴らしい作品を否定することにもつながりかねない。

 商売とは悲しいものである。染屋でも機屋でも小売屋でも消費者の欲する商品を造り売らなければならない。メーカーが先導して消費者の好みを創っていくと云うことも最近は多々有るけれども、そうしてできた消費者の好みにさえも小売店はついていかなければならない。消費者が作家物をありがたがる風潮は何時どのようにして、あるいは誰が仕掛けたのかは知らないけれども、作家と称する人は増える一方で、落款を付けた商品は巷に溢れている。

 人間国宝や伝統工芸師といった公的なお墨付きを貰っている作家もいるけれども、そうではない、「作家」と称する人達もいる。

 問屋が「お宅の店でこの企画をやりませんか」と企画を持ち込んでくる。「○○作家展」の類である。すばらしい作品も有るけれども、中には、これはと首をかしげてしまう物もある。作家が作家である所以は秀作が先行して、作家の名前が後に着いてくるものなのだが、最近は本末転倒であるようだ。作家の名称は結果ではなく、商売の手段として使われている場合が多い様に思われる。


 

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