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5. きものの見分け方と価格について

 きものの商いをしていて非常にやりずらい事があります。それは価格についてです。

 きものの価格は分かりずらいとは良く言われますし、きものは高いとも言われます。しかし、安く仕入れてお客様にお目に掛けても、
「ずいぶん高いですね。」
「他の呉服屋は何も言わなくとも半額にしてくれますよ。」
と言われたりもします。また、少々高いと思って仕入れた商品が、
「そんなに安いんですか。」
と驚かれることもあります。 数百万円、中には一千万円を超える価格のきものもある一方で、インターネットではオークションと称して信じられないような低価格のきものが売りに出されています。 これでは、
「呉服の価格はどうなっているのか。」
と言われてもしょうがないかもしれません。

 本来価格というものは呉服に限らず、仕入れ価格を元に割り出されるもので、いいかげんに設定されている訳ではありません。しかし、現在の呉服業界は残念ながら「いい加減」といわれてもしかたがないような価格が横行していることも否めません。

  同一商品の価格がまちまちであれば、「同一市場に二つの価格は存在しない」という古典経済学の原則に反するのですが、呉服業界ではそれがまかり通っているのも事実です。

  同じ物が二つの価格で市場に出ているならば、消費者は安い方を選択するはずですが、そうはならないのは呉服業界だけかも知れません。

  何故同じ市場で高い価格の商品がまかり通るのか、それは残念ながら消費者がきものに縁遠くなってしまったからに他ならないと思うのです。

  例えば家事を与る主婦は、野菜の値段、相場には敏感です。その時期に胡瓜が一本いくらぐらいなのかは分かっています。そして、どの店に行けば安いのかも分かっています。近所の八百屋さんが安いのか、郊外のスーパーが安いのか、あるいは産直の店が安いかがです。 例えば、消費者は胡瓜の品質には敏感です。
「○○の店は安いけど物が良くない。」
「××の店は少々高いけれど、新鮮でおいしい。」
と言った具合です。品質と価格を比べながら買い物をしているわけです。皆さんも覚えがあることでしょう。 野菜に関して言えば、口に入る物なので、品質は一目瞭然、すぐに分かります。食べておいしいかどうかだからです。そういう意味では、主婦は野菜に関してはごまかされずに良い買い物をしていると言えます。

  しかし、話を呉服に戻しますと、
「どこの店が良い品を置いているのか、どの店が本当に安いのか…・。」
と首を傾げてしまうわけです。高価な値札を見て、
「このきものは高級品。」
と、判断したり、極端な安い価格のきものを見て、
「この店は良心的」
などと思ってしまったりもするようなのですが、実際はそうでない場合も多いのです。

  呉服でも、新鮮な胡瓜を見分けるような目を持っていれば、きものの価格も正当に判断できますが、実際には判断が難しくなってきているようです。

  昔はほとんどの人がきものを着ていましたので、きものの良し悪しをある程度判断できたわけですけれども、現代はいい歳になつて初めてきものを選ぶということもそう珍しくはなくなってきていますのでしょうがないのかも知れません。

  私は、消費者がきものについての正しい知識、きものを見る目を持って欲しいと思っています。そうすれば、きものの価格は正当に評価されますし、私達小売店は『良い品を安く販売する』努力に向かうでしょうから。

  そういう意味で本日は「着物の見分け方と価格」という題でお話します。

  着物の見分け方と言いますと、染物から織物まで多岐に渡り短時間で全てお話できるものではありませんが、皆さんが良く目にするようなきものについて分かりやすくお話したいと思います。 また、価格についてもできるだけ分かりやすくお話したいと思いますが、私も小売業の立場ですので余り具体的な数字を揚げてお話するわけには行きません。しかし、できるだけ呉服の価格に対する誤解が解けるようにお話したいと思います。

  さて、呉服の価格と言うのは、いや呉服だけではなく商品には原価があります。小売屋は問屋から買い付ける価格が原価で、問屋は染屋、織屋から買い付ける価格が原価になります。染屋や織屋は糸代や染料代などの原材料、職人さんの人件費などが原価となります。商品を流す大元である染屋や織屋、つまりメーカーの出し値で末端の小売価格が左右されます。

  メーカーの原価は今申し上げましたように糸代や染料代などの原材料費や職人さんの人件費ですが、その中で大きいのが職人さんの人件費です。人件費が大きいと言うと誤解を受けるかも知れませんが、もっと噛み砕いて言いますと、職人さんの手間隙です。その商品を創るのに手を掛ければ掛けるほど原価は高くなります。職人さんが必ずしも高い給料をもらっているという意味ではありません。 二度染めした染物より三度染め、四度染めした方が高価な染物になりますし、織物は色糸が多いほど手間隙がかかる、と言えば理解できるでしょう。つまり、手間隙を掛けた商品は高価になるのが原則です。

  しかし、ここで間違ってはいけないのは、高価な商品が必ずしも良い商品とは限らないと言うことです。一流の友禅作家が、素人の(例えば私が描いた)絵をそのまま作品にしても良い作品にならない、と言えば分かるでしょう。

  とりあえず、今申し上げた原則がきものの価格を決めると思ってください。 一つ例を揚げますと、皆さん御存知の大島紬です。

  最近は大島紬もちょっと元気がなくなってきましたが、二十年程前は全国的にキャンペーンを打ってずいぶんと出回りました。中には数百万円もする工芸的な大島紬もありましたが、最近は余り見かけません。

  その大島紬は、その手間すなわち価格が容易に判断できる典型的なきものです。

  多くの大島紬はタテ糸とヨコ糸の絣で柄が付けられますが、その絣の細かさによって価格が決まるのです。五マルキ、七マルキという言葉は聞いたことがあると思いますが、これは絣の細かさを表しています。

  80を1マルキとして、九マルキというのは実は9.6マルキで、絣が768、七マルキというのは7.2マルキで576です。絣が細かい方がより手間が掛かることになります。

  どの位細かい絣が九マルキなのか、五マルキの絣はどのくらいなのかは見慣れなければ分かりませんし、必ずしも絣の細かさだけで大島紬の価格が決まる訳ではありませんが、一応の目安となると思います。

  九マルキの絣の場合は縦糸横糸を一本二本で構成しますので、良く見ると絣の一つが「山」という字のように見えます。九マルキの絣は比較的容易に見分けることができます。

  大島紬はこれらの他に「横総絣」と言われるものもあります。この横総絣というのは、通常タテ糸とヨコ糸を交差させて創る絣をヨコ糸だけで創るものです。タテ・ヨコ絣の場合は、タテ糸とヨコ糸に付けられた絣柄をずれないようにしながら織らなくてはなりません。織り手は大変神経を使います。しかし、横総絣の場合、タテは無地の糸を使いますので絣を染める手間が省けますし、織り手もずいぶん楽になります。

  価格を比べて見ますと、九マルキの大島紬は横総絣の数倍、物によっては十数倍の違いがあります。価格の違いはあっても、この横総絣も九マルキ、十一マルキ、複雑な割込み式の大島まで、奄美大島、鹿児島で織られたものは全て「本場大島紬」の名を冠することになります。

「本場大島紬」と言えば、高級、高価のイメージをお持ちだと思います。確かに「本場大島紬」の名を冠した織物は、それなりの検査を受けていますので、紛い物でも何でもありません。イメージ通りの「本場大島紬」なのです。しかし、今申し上げましたとおり、本場大島紬には安価な横総絣から高価な工芸的な絣まであります。それはとりもなおさず織る手間の違いと言っても過言ではありません。

  大分前、二十年くらい前でしょうか、大島紬のキャンペーンが盛んにおこなわれていた頃、デパートのチラシに「本場大島紬○万円」と言う記述がありました。その当時、五マルキの大島でも30〜50万円、九マルキの大島になると100万円以上がほとんどという時代でした。 「本場大島紬○万円(一ケタ)」というコピーは非常に安いアイキャッチでした。誰しも、
「本場大島紬がそんなに安く。」
と思ったことでしょう。 しかし、実際にその商品を見に行ったところ、広告の品は横総絣の大島でした。横総絣の大島が○万円と言うのは当時の相場でもそう安くない価格でした。いわば通常の価格とそうかわらない価格でした。

  ご説明したように、横総絣でも本場大島紬にはかわりありません。そのデパートの広告はウソを言っている訳でもありません。間違いなく「本場大島紬が○万円」なのです。 しかし、広告を見た消費者の多くは、
「数十万円の本場大島紬が○万円。」
と思ったことでしょう。この辺りが私が皆さんに理解していただきたいことなのです。

  大島紬、特に絣に関する知識が少しでもあれば、その大島紬がどの程度なのかはすぐに判断できます。しかし、「大島紬は高級品、高額品」という印象ばかりが先行して、冷静な判断力が失われてしまっているのです。おそらく、横総絣という存在さえ知らなかった人がほとんどではないでしょうか。 尤も横総絣の大島紬は今は織られていません。これも呉服の衰退ということなのかも知れませんが、横総絣から工芸大島まで織られていた時代が懐かしく思えます。その時代に、大島紬の事をもっとはっきりと消費者に説明していれば良かったと思うのは私だけではないかもしれません。

  もう一つ大島紬に関してお話いたします。これは余り良い話ではないので、呉服業界が皆そうだと思われると困るのですが、そういったこともあると思って下さい。

  やはり二十年位前のことでしょうか。西陣の織屋さんが大島紬にそっくりな絹紡糸で織った着尺地を造っていました。絹紡糸というのは生糸を採る時に出る副蚕糸、つまりくず糸で造るもので、毛羽立ちやすい安価な繊維です。

  本場大島紬は特徴のある絣柄で、少々光沢があります。そして、反物は巻が細く、遠目にも「あれが大島紬」と一瞥できるほど特徴があります。西陣の織屋さんが織ったその着尺地は、私が京都にいた時分に織屋さんが私のいた問屋に持ち込んでいました。私はつい「その大島紬…。」と言ってしまったほどで実に良くできていました。巻が細く、大島紬のような絣が織り込まれています。しかし、触ってみれば大島とは違い張りがなくざらついています。

  その絹紡大島(当時問屋ではそう呼んでいました)を本場大島として売られているという事実を知りました。価格の違いは十数倍でしょう。あってはならないことですが、現実にあった話です。絹紡糸の織物を本場大島紬と思い込まされて買わされた消費者がいた訳です。悪いのは販売した方で消費者が悪くはないのですが、消費者がもう少し大島紬についての知識を持っていてくれればと思うのです。

  業界の小売屋さんや問屋さんが皆消費者をだまそうとしているのではありません。むしろ、悪意が無くても消費者に正しい知識が無いばかりに、今の例に限らず高い買い物をしてしまうと言ったことが往々にしてある様に思えます。

  私はこの業界に入って二十数年になりますが、呉服に関してはまだまだ分からないことばかりです。しかし、できるだけ消費者の方々に呉服に関する正しい知識を持っていただきたいと思っています。大島紬については見分け方が比較的容易ですので例としてお話しましたが、他にも少し説明すればすぐに見分けられる物も沢山あります。

  江戸小紋という染物はご存知でしょう。鮫小紋がとりわけ有名ですが、他に「通し」「行儀」「万筋」などがあります。準礼装としても用いられますので、きもの好きの方であれば一枚はお持ちだと思います。

  呉服店の店頭でも良く見かけると思いますが、「鮫小紋」と称する染物の価格に大きな隔たりがあるのに気が付いた人を多いと思います。同じ「鮫小紋」と称するきものが、あるところではわずか数万円、2〜3万円程度でも出回っているでしょう。またある店では数十万円の値札がつけられているのも見かけるでしょう。

  一見同じ様な鮫小紋が何故これほど価格に差があるのかと不思議に思われるかもしれません。 江戸小紋は型染と呼ばれ、型を用いて染められます。型は伊勢型職人と呼ばれる人達が非常に細かい柄の型を神業のような職人技で彫ります。そして、その型紙を用いて、染師と呼ばれる人の手により、これまた神業のような職人技で染めてゆくのです。実は染め上がった後も地直しと称するこれも熟練職人の手を経なければ完全な商品とはなりません。そう言った仕事をつぶさに見ていただければ、江戸小紋に数十万円の値が付いていても納得いただけるのではないかと思います。

  しかし、何故一方でわずか2〜3万円の江戸小紋が出回るのでしょうか。

  今日の科学技術の進歩はめざましいもので、染色の世界でも例外ではありません。染色については前回お話しましたが、古より布にいかに美しく色を染めるかというのは染職人さん達が腐心してきたことです。

  今日では、機械捺染、プリントという技術がすばらしく発達しています。職人さんが細心の注意を払いながら染めるのではなく、いわば機械が自動的に染めるわけです。こういった最新の技術は大量に生産すれば単価は非常に安くなります。同じ物が大量に正確に安価にできるというのは産業革命以来の工業技術の進歩の証と言えるでしょう。

  安価な江戸小紋はその技術、つまり機械捺染で染められたものです。機械捺染は染価が安いので生地も安いものを使えば江戸小紋が数万円でできてしまいます。

  数十万円する江戸小紋と数万円の江戸小紋、これらをどう評価するかは消費者に任せられているのは言うまでもありません。
  職人が手間隙掛けて創った作品と機械で染められた染物の違いにつきましては、「きもの春秋」の中で「手造りと難物の境」と題して書いておりますので詳しいことはそちらに譲りますが、それらははっきりと違います。

  機械で染め上げた染物は完璧に染められます。ズレもなく染ムラもなく完璧に染められます。職人の染めた型染めは、神業のような職人技で染められ、これも完璧に染められますが、そこは人間の仕業です。いくらかの誤差を擁する染物は実に人間的で染物としての奥行きを感じさせてくれます。職人の技術がいくら向上しても機械の様に完璧には染められないでしょう。しかし、裏を返せば機械はいくら技術が進歩しても人間味のある人の心を和ませる染物は染められないと言うことです。いわば、その差が価格の違いとなる訳ですが、そこからは消費者の判断です。

  職人の創った作品が高価でも価値があると思えばその価格に納得して購入されるでしょうし、機械捺染のもので充分だとお考えの人にとっては安価に買えて重宝だと言うことになります。

  機械捺染の技術は安価な染物を提供してくれて消費者の選択肢を広げてくれたと言うことができます。

  しかし、それも消費者の染物に対する目があってのことなのです。どちらを見ても同じ物に見えるのであれば、安い方を買えば良いということになるかもしれませんが、それで問題は終わりません。 職人はやはり自分の仕事を正当に評価されたいと思っているでしょうし、私もまた、いや私だけではなく心ある呉服屋は良い作品を消費者に理解してもらいたいと考えています。

  そして、それだけではなく、消費者が目を持っていなければ、絹紡大島と同じように機械捺染の江戸小紋を型染めと思って購入してしまうことにもなりかねません。

  機械捺染の江戸小紋と型染めのそれとは比較的見分けが容易です。型染めの場合、反物の両端には耳ができます。額縁のように無地の耳が五ミリ程度できます。しかし。機械捺染の場合は耳がなく、反物の両端まで柄が付いています。これは一目瞭然で一目で分かる違いです。また前述したように型染めの江戸小紋では、いくらかのズレや染ムラが生じます。難とは言えない程度ですが中には目立つものもあります。

  目が慣れれば一目で機械捺染か型染めかが判断できるのです。 しかし、最近、次のような話を聞きました。機械捺染の江戸小紋に後から耳を染め付け、わざと難を染めて型染めらしく見せかけているものが出回っていると言うのです。

  後から付けた耳は、耳の部分が透けて元の柄が見えたり、難が不自然であったりするのですぐに分かるのですが、素人目をごまかすには充分です。

  そして、そのわざと付けられた難が手造りの証だと説明して売られていると言うのです。 これも絹紡大島の時と同じく、生産する人に悪気がなくても悪意のある販売業者にかかれば消費者にとって大きな問題となっています。

  もう一つ例を揚げましょう。

  加賀友禅と言えば高価な着物という印象をお持ちだと思います。実際、加賀友禅は高価なきものです。何故高価かと言えば、全ての工程を人の手によって行うからです。一番最初に申し上げましたように職人の手間が高価になる所以です。最近は一頃ほど高価ではなくなりましたが、それはバブルがはじけて、いわばデフレになった事と、景気が悪くなって余り高価な作品が売れなくなったので値頃な柄の軽い作品が多くなってきたせいだろうと思います。

  京友禅でも同じ事で、職人の手を掛けた作品は高価な物になります。

  しかし、訪問着を例に揚げますと、数百万円の加賀友禅があると思えば、十万円足らずの訪問着があることもご存知でしょう。柄の大きさ、重さもそう変わりなく何故そんなに、と思われることもあるでしょう。

  これも染め方の違いによるものです。染め方の違いと申しましても、江戸小紋のような機械捺染ではありません。機械捺染、とりわけ極安価に染めるローラーという捺染は繰り返し連続柄しか染められません。訪問着のような絵羽柄を染めるには機械捺染、ローラーは不向きでして、できたとしてもかえって高価に付くかも知れません。

  友禅染は防染糊を用いて図柄を描いて行きます。柄の形を防染糊で囲み、内と外を染料で染め分けるのです。青花の汁で下書きされた絵に沿って防染糊を置いて行く作業を「糸目を引く」と言いますが、この作業が大変です。細い口金の先から糊を搾り出し、一定の太さで糊を置いてゆかねばなりません。途切れることはもちろん、太い細いができてしまっては染料がはみ出してしまったり、見た目が悪くなってしまいます。できるだけ細く、一定の太さで糊を引くことを職人は要求されます。単純そうですが、根気と熟練のいる仕事です。

  この糸目を引く作業でも科学技術の恩恵が価格を下げる役割を果たしています。

  人手を要していた糸目を引く作業を型を用いて一気に行う技術が開発されました。これを型糸目と称しています。誰が何時発明したのかは分かりませんが、二十数年程前の事だと思います。

  この技術により「下絵を描く」「糸目を引く」という友禅染の中でも人手の要る工程を省略できるようになりました。型で糸目を引いた後、色を挿して行きます。さすがにこの色を挿す工程は人手を使います。ですから機械捺染のようにほぼ100%機械で行うものとは違うのですが、大きな労力削減には違いありません。

  型糸目といいましても、糸目が途切れたりムラが出るのは許されませんので、初めは細い糸目を引くことができませんでした。余り細い糸目を型で引くと、糸目が途切れてしまうからです。初期の型糸目の訪問着は糸目が太く不自然さを覚えたように思えます。しかし、技術の進歩は日進月歩で、だんだん糸目も細くなり、手描きの訪問着と見まがうようなものもできています。

  訪問着は小紋と違いまして絵羽柄になっています。絵羽柄と言うのは、仕立てあがったきものをいわば一枚のカンバスとして描くものです。したがって、通常同じ柄はありませんので型で糊を入れると言っても小紋のように一枚の型でできるのではなく、絵羽柄全ての型を造らなくてはなりません。しかし、小紋のように一枚の型で一反のきものを染め、そして同じ柄を何十反あるいは何百反染めるのであれば良いのですが、一枚の訪問着を染めるのに何十枚もの型を造っていたのではかえって高価になってしまいます。そこで型糸目の訪問着を染める場合は、一枚の型を何度も使って糸目を入れて行きます。時には重ねて使ったりするようです。右袖の後ろと左袖の前は全く同じ柄が付けられている場合が多いようです。

  手描き、すなわち手で糸目を引いていくのであれば、同じ柄をつける必要はありませんし、柄をデザインする作家にしてみれば、一枚の訪問着にわざわざ同じ柄を描くようなことはありません。

  手描きと型糸目の訪問着では、そのような違いがありますので見分け方は比較的容易であると言えます。確かに手描きと型糸目の友禅を比べて見ますと、その味はまるで違うのですけれども、型糸目という技術は私はすばらしい技術だと思っています。手描きよりも見劣りするとはいえ、より安価に手描きに近い友禅ができるのですから、きものの普及という意味では大きな役割を果たしていると言えます。

  以上、きものの見分け方として、大島紬、江戸小紋、糸目友禅の訪問着を例に出してお話しましたが、お分かり頂けたでしょうか。他のきものについて、全てお話するにはとても時間が足りませんので三つだけ例を揚げましたが、何故同じようなきもので高いものも安いものもあるのかという理由の一端がお分かり頂けたと思います。

  しかし、ここで話を止めてしまいますと益々誤解を生じてしまいます。今お話ししました事は、染屋さん織屋さん、つまりメーカーの段階の話でして、皆さん消費者の手にきものが渡るまでには複雑な流通経路を通る場合もありますので、ここから先の話もしなければなりません。

  染屋織屋の段階では、高価な物はより手の掛かった物、安価な物は余り手を掛けない、あるいは工程を合理化したものと言えるでしょう。

  しかし、そう言った目だけで店頭に並ぶきものを見てしまいますと、「高いものは良いもの」「安いものは悪いもの」というような単純な尺度に陥ってしまいます。価格だけで商品の良し悪しを決めてしまいかねません。これは消費者にとって大変危険なことです。

  バブル全盛の頃、
「値段は高く付けた方が良く売れますよ。」
と、某流通業界の人が言っていたのを思い出します。物の良し悪しに係わらず高ければ良い物と判断する消費者。残念ながら私もそう言うお客様にお会いしたことがあります。

  きものに合わせる為に帯を持ち込まれたのですが、
「○○万円で買ったものです。」
と、何よりも良い帯と信じて疑わないのです。私は帯を見れば、どこの織屋の帯か、いくらぐらいの物かは大体分かります。
「通常の相場よりも随分高く買われたな。」
と思いましたが、お客様ですので、
「良い帯ですね。」
としか言えません。そうなりますと、いくら安く仕入して少ないマージンでお客様に提供しようと思っても、かえって無駄になってしまいます。小売店が努力して良い品を安く提供しても、安い価格を見て、
「もっと良いきもの(高い着物)は無いのですか。」
と言われてしまいます。

  良い着物、良い帯(私が選んだものですが)をお目に掛けても、値段が高くなければ良い物と思っていただけないのです。

  染屋織屋の出し値がそのまま小売値に反映されないことが問題だと思います。

  通常、メーカーの出し値は小売値に反映され、高い物は小売値が高く、安い物は安く付けられるのが原則です。しかし、きものにおいてはそうなっていない場合も多いのです。

  理由は様々ですが、これは呉服業界の大問題だと私は捉えています。消費者が小売値を信頼できないという事に通じるわけですから。

  昔はそう言うことはなかったようです。メーカーから問屋へ、そして小売屋へと整然と商品が流れていました。問屋は染屋織屋から商品を買い入れ、問屋としてのマージンを上載せして小売屋に渡します。小売屋は自分の必要な商品を選び、価格を交渉して仕入れる、と言った単純な流通経路でした。 しかし、現在の呉服業界の流通経路は複雑且つ多様化しています。

  一番大きな変化は(私はこれが一番問題だと思っていますが)小売屋も問屋も商品を仕入れなくなった事にあります。商品を仕入れる場合は、仕入れた商品に対して多大のリスクを負います。売れ残ればそのまま損になりますので、売れる商品をより安く仕入れることに心掛けます。少しでも良い商品を1円でも安く仕入れようとする訳です。

  しかし、今は問屋も小売屋も仕入れのリスクを避け、商品を借りて商売するケースが多くなってきました。これはケースと言うよりもその店の姿勢なのですが。

  商品を借りる場合、価格については問屋さんの言い値になってしまいます。問屋さんが提示する価格をそのまま受け入れざるを得ません。

  問屋でも同じ事が言えます。昔ほど商品を多く持てなくなっていますので、商品がない時には仲間貸しと言って、他の問屋さんから借りる場合もあります。問屋さん同士で商品をキャッチボールすれば、その度に価格は上乗せされ上がって行きます。

  商品を借りて商売する小売屋には価格を淘汰する力がありませんので、そのまま小売価格の上昇を招いてしまいます。仕入れをする問屋しない問屋、仕入れをする小売屋しない小売屋では価格に大きな差が出てしまうのです。

  また、最近はあらゆる販売方法が横行しています。

  過度な接待を伴う招待旅行や大掛かりな展示会、大変経費の掛かる催事など、あの手この手の販売がなされています。これら催事にかかる経費やリスクは商品代金に上載せされ、小売価格を押し上げています。それら催事で並べられる商品は仕入れたものではなく借りた商品ですから益々価格は上がるのです。

  莫大な経費を伴う招待旅行や催事は、小売価格の上昇につながるので消費者の事を考えればやめてはどうかと問屋の人に話したことがありました。すると、その答えは、
「そんな事(価格が通常よりも高いこと)は消費者は百も承知ですよ。今の消費者は旅行や催事が楽しみできものを買うんです。そうでもしなければきものは売れませんよ。」
と言うものでした。果たしてそうなのでしょうか。旅行や催事が楽しみで高い買い物をしたいと消費者が本当に思っているのでしょうか。

  私は決してそうではないように思います。消費者の目が曇らされて、価格を鵜呑みにしてしまっている、いや、させられている、と言うのが本当のように思えるのですが如何でしょうか。

  小売屋が仕入れをするしない、多大な経費を使った販売をするしないによってきものの小売価格は大きく変わってきます。小売価格(参考上代)が設定されていない着物ですから、小売価格は自由に決められます。 自動車のディーラーが催事を行っても自動車の販売価格は変わらず、経費はディーラーが吸収しますが、呉服は消費者に負担させています。

  消費者の目の前に提示される価格は、最初に申し上げましたきものの付加価値、すなわち職人さん達の手間隙を反映していない場合が残念ながら往々にしてあると言うことです。

  本日お話申し上げました内容をまとめますと、染色技術の発達によって、昔から手造りで造られて来た物が、今は安価にそれらしく造られるようになりました。しかし、それはあくまでも「それらしい物」であって、手造りとは違ったものです。

  それらの商品は、問屋小売屋を経て消費者の手に渡る時に価格は諸条件によってまちまちになってしまいます。

  そして、その商品の価格が妥当な物かどうかは消費者の目に委ねられています。消費者が正しい目をもってきものを判断してもらえば、業界は淘汰され、きものはもっと求め易く、もっと普及するものと思います。 その為にも消費者の皆様には是非きものに関する正しい知識を身に付けてもらいたいと思っています。


 

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