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4. 染と織について


 織と染という言葉は呉服用語で度々使われます。私もお客様と話をする時には、
「この織物は・・・・。」
「これは良い染物です。」
などと、織物、染物という言葉をしばしば使います。

 「織」「染」という言葉は基本的な呉服用語で、誰でも理解しているように思われますが、呉服用語は特殊な使い方をします。本日は、この織と染というテーマでお話しまして、きものの世界に入って頂きたいと思います。

 「染織」という言葉があります。日本語は難しいもので、似たような言葉で「染色」という言葉もあります。どちらも同じきもの用語ですが意味は全然違います。

  「染色」は「色を染める」の意味です。一方「染織」は「染と織」を表しています。この「染織」という言葉は、好い得て妙と言いますか実に良く着物のことを言い当てています。

  きものは帯も含めまして「染物」か「織物」のどちらかに分類されます。聞き流してしまうと、そんなの当たり前、と思われるかもしれませんが、実はこれが難しいところです。

  辞書で調べますと、「染物」とは「染めた物」あるいは「染める為の布」とあります。「織物」の方は、「機で織った布」とあります。その言葉通り解せば、きものや帯は全て「機で織った布」ですし、白生地以外は「染めた物」です。しかし、呉服用語で使う「染物」「織物」というのは、これとは少し違った意味で使われます。

  では、どういう意味で使われるのかと申しますと、「染物」というのは「後染めのきもの(帯)」、「織物」というのは「先染めのきもの(帯)」と換言されます。

  先染め、後染めという言葉が出てきましたが、糸の段階で色を染めた布を先染めと言います。また、糸を染めずに織って、後から色を付けた物を後染めと称しています。

  友禅染は白生地に図柄を描いて行きますので後染め、すなわち染物と呼ばれます。絣は糸の段階で色を染めますので先染め、すなわち織物です。

 

友禅のきものは、生糸で織った生地に染めた物なので、織物であって染物とも言えるじゃないか、と思われるかもしれませんが、呉服用語ではそういう使い方はしません。

  あくまでも糸の段階で染めた物を織物、生地に染めた物を染物と称しているわけです。ですからきものも帯も染物か織物のどちらかに分類されるわけです。

  きものについて言いますと、紬は先染め(織物)、縮緬や羽二重のきものは白生地に染められますので後染め(染物)です。縮緬でも先染めの物は御召と呼ばれます。御召は先染め縮緬と呼ばれる織物です。また、紬でも白生地で織って後で色、柄を染めたものもあります。こうなると話は少々ややこしくなります。後染めで染められた紬は前述の定義で申しますと、染物と言って差し支えないのですが、きもの用語の曖昧さで後染め紬を縮緬の友禅に対して「織物」と言う場合もあるようです。面倒ですね。

  先染めは後染めよりも一般的に堅牢に染まります。繊維に色を染める方法は色々ありますが、先染めの場合、染料の入った鍋に糸を浸け込んで染める、浸け染めがなされます。場合によっては煮たり、何度も干しては浸けるということを繰り返し作業します。その結果、染料は繊維の奥深くまで入り込むわけです。

  後染めの場合、布を浸け込んで染める方法もありますが、これは色無地を染める場合で、友禅の柄物を描く場合は刷毛や筆で色を挿して行きます。色を定着させる為に蒸しに掛けられますが、定着の度合いは先染めには適いません。 トーストにバターをナイフで塗った場合と、溶かしたバターに細切りにしたパンを入れて浸漬させた場合を考えれば分かると思いますが、堅牢度はそれ程違います。

  色無地や訪問着、色留袖、付下げなどに紋を入れる場合は抜き紋と言って、紋を入れる部分の色を抜いて紋を入れます。また、色無地を染め替える時には色を抜いて別の色を染めます。後染めのものは一般に色を抜くことができます。昔は頻繁に染め替えが行われましたが、染め替えるきもののほとんどは後染めのきものです。ただし、色の濃い物や柄物は完全に抜けなかったり、染めた後に斑が出たりする事がありますので、染め替える時は濃い色に染めるのが普通です。

  これに対して先染めの場合、色を抜くことはできません。全く抜けない訳ではないのですが、色が残り、真っ白には抜けないのです。抜染と言って、わざと中途半端に色を抜くこともありますが、染め替えはできません。御召は男物の紋付に使われますが、紋は縫い紋が一般的です。「紋が抜ける御召」という商品も見た事はありますが、これは特殊で普通は縫い紋です。どうしても御召に抜き紋をしたい場合は書き紋や貼り紋をします。

  帯にも染物と織物があります。

  第一回目の講座で、帯の名称には様々な分類があると申し上げました。その中に織帯と染帯というのがありましたが、まさにこれが織物と染物の分類です。織物の帯が織帯で、染物の帯が染帯です。

  染帯はほとんどが名古屋帯です。染袋帯というのも極僅かですが創られていますが、99パーセントは名古屋帯です。素材としては塩瀬や縮緬、少量ですが紬の白生地に染められることもあります。

  染帯の場合、言わば白生地に柄を描いていく訳ですから、どんな図柄でも描く事が出来ます。多色を使ったり、暈したり、太鼓の柄と胴の柄を別々に描いたりと、ある程度自由に柄を描く事が出来ます。

  織帯の場合は先染の色糸で柄を織り出さなくてはなりません。織で柄を描くのですから大変手間が掛かります。染物に使う染料と違って微妙な色の違いも全て色糸を創ることから始めます。複雑な暈しになりますと精緻な織の技が必要となってくるわけです

  絣の柄は別としまして、下絵を帯の柄に色糸で織り出すには二つの方法があります。紋紙を使う方法と使わない方法です。

  手綴やすくいでは紋紙は使いません。織機に張られた経糸の下に下絵を置いて、織手は経糸の透かし越しに下絵を見て、それに合わせて緯糸を打ち込んで行きます。簸で経糸を掬って緯糸を通して織って行くわけですけれども、何本の経糸を掬うかは織手に任されます。つまり、下絵に合わせながら織手は緯糸を一〇本掬うか十一本掬うかを判断するわけです。

 綴れの非常に細かい部分になりますと、例えば人形の顔の口や目などは、一本の緯糸では太すぎると判断した場合には、緯糸をほぐして織り手が打ち込む場合もあります。手綴にしても織手の主観が十分に入りますので、同じ帯は二本と織れないと言っても良いかもしれません。

  一方紋紙で織る場合は図案の下絵を紋図と呼ばれる罫線のあるグラフ用紙に拡大して写し取ります。縦横の桝目が経糸緯糸にあたり、何色の糸を何処に通すかという設計図のようなものです。その紋図を元にして紋紙を造ります。横糸一本につき一枚の紋紙を造っていきます。それを順序通りに糸で結んで束ね織機に掛けると、所定の位置で所定の経糸が上下する仕組みになっているわけです。

  横糸一本につき一枚の紋紙が必要ですから帯を一本織るには紋紙の数は莫大なものになります。しかし通常、全通(六通)の帯は繰り返し柄で織られますので、一尺から二尺程度の柄分の紋紙を作り、それを繰り返して織って行きます。とは言っても一尺程度の柄でも紋紙は相当の数になります。全て柄の違う総丈の帯になりますと、四トントラック一杯分もの紋紙が必要だと言う話も聞いた事があります。四トントラック一杯分の紋紙と言えば、運んだり織機に掛けたりするだけでも一苦労でしょう。紋紙で織る場合は一度織機に掛ければ何本も同じ帯を織ることができるという利点があります。手綴れやすくいで総柄の帯を織るのは大変な話ですが、紋織機によりそれが容易になる訳です。

  しかし、紋織機はあたかも帯を大量生産できるような印象を与えたかもしれませんが、実はそうではありません。自動で簸を飛ばす力織機の場合は同じ物が織り上りますが、職人の手で簸を飛ばす手織りの場合は紋織と言えども織手の主観は十分に入ってきます。簸で緯糸を通す作業は簡単なように見えますが、実は緯糸の入れ方一つで帯の風合いは違ったものになってきます。

  緯糸をピンと引っ張って通した場合と、緩く通した場合、斜めに飛ばした場合などで帯の面は変わってきます。また、筬の打ち込みによっても違ってきます。

  織屋のオヤジさんは織り上がった帯を見れば、その女工さんが妊娠しているのが分かったという話を聞いた事があります。妊娠すると女性の本能でお腹の中の子供をかばい打ち込みが弱くなり、それが帯の面に現れると言うのです。

  織で柄を出すというのは何とも難しくデリケートだと思ってしまいます。

  さて、今度は染についてですが、先程染帯の場合は自由に思った図柄が描けると申し上げてしまいましたが、決して簡単に図柄が描ける訳ではありませんし、ここまでたどり着くには長い歴史が必要でした。

  きものに柄を描きたいと言うのは人間の本能でしょうか。おそらく初めは毛皮や木の皮など自然の物をそのまま身に着けていたのでしょう。しかし、生活に余裕が出来て文化と言うものが芽生えてくると、人々は衣装に色を付けたり柄を付けたりするようになったのだと思います。女性が赤や黄色の衣装を着てみたいと言う願望は世界共通に芽生えたものでしょう。

  さて、衣装に色を付けるというのは大変難しい事です。最初はおそらく赤い着物には赤い花を擦りつけるという事が行われていたのでしょう。しかし、それではすぐに色があせてしまいますし、巧くは染まりません。

  より堅牢にムラ無く染めるために、初めは先染めされました。つまり糸を染めてその糸で生地を織るのです。しかし、先染めでは色の付いた布を織る事は出来るけれども、柄を描く事はできません。絣という手法も考案されましたが思った柄を緻密に描くことはできません。経錦という織物も創られましたが、これは非常に高度な技術が必要ですし、色糸も限られます。昔の人は思った柄をどうやってきものに描くかに相当腐心したようです。

  日本文化のタイムカプセルとも言える正倉院にも染物が残されています。蝋纈、纐纈、夾纈という染物です。それらは「天平の三纈」と呼ばれて日本で最も古い染色法といわれています。

  蝋纈と言うのはロウケツ染の事です。溶かした蝋で布に絵を描いて行きます。それを染料に浸けると蝋で描いた模様は色が染まらずに残る事になります。天平時代には筆で描くのではなく、木版のように木型を使って染められたようです。予め無地染めした布にロウケツ染すれば全体が染まる事になります。また、固まった蝋にひびを入れるとロウケツ染独特の模様が出来ます。昔はひびの模様が目的ではなく、柄を入れるのが主目的だったようです。

  纐纈というのは絞り染めのことです。現在でも絞り染めは行われていますが、天平の昔から染色法として用いられてきました。纐纈の場合は絞りによってできる柄の偶然性に負う所が大きく、思った柄を描くというものではありません。

  三番目の夾纈染というのは別名板締め染色法と呼ばれています。正倉院には数多く残されているのですが、実は幻の染色法としてその技術は良く分かっていません。

  原理は簡単です。透かし彫りした木の板で布を挟んで染料を注ぎ込んで色を挿して行きます。板に挟まれた部分は絞りの原理と同じで色は染まりません。透かした所だけが染色されます。絞り染めと違って好きな柄を透かし彫りにすれば思った柄を描く事が出来ます。しかし、原理は簡単なのですが、実際にやってみると中々巧く行きません。

  何人もの染色家が再現を試みて完成させていますが天平時代のそれとは違っているようです。夾纈染を行うには、まず板を平らにしなければなりません。少しでも凸凹があれば染料はそこから染み込んでしまいます。木の板というのは容易に反ったりたわんだりしますので、充分に乾燥した柾目板を使わなければならないでしょうし、平らに削る技術も天平の昔にどうしたのかは疑問です。職人技に頼るしかないでしょう。

  次に板を押し付けるのに一様に力を加えなければなりません。まして透かし彫りした板ですのでどうやって押し付けたのかも疑問です。試みに現代作家の一人は鉄板で板を挟み、鉄板に開けた穴から注射器で染料を注いだりもしましたが、布面が見えずに泡ができたり、染ムラができたりして失敗したと言う話もありました。布面が見えるように鉄板ではなく硬質のプラスチック板も使ってみたそうですが、天平の昔にプラスチック板は・・・?。

  本日は夾纈染の話ではありませんので夾纈染の話はこれぐらいにしますが、この天平の三纈と呼ばれる染色法には共通点があります。それはどうやって染まらない部分を作るか、という工夫です。染料に浸けたり、刷毛で染めても染まらない・・・これを防染といいます。ロウケツ染は蝋によって防染し、纐纈染は糸で縛る事によって防染しています。夾纈染は板で締めて防染をしています。

  この「防染」こそは日本の染色の歴史と言っても過言ではないと私は思っています。画用紙やカンバスに絵を描こうと思えば、筆で絵の具を擦り付ければ出来ます。しかし、布に染料で染める場合はそうは行きません。染料が滲んでしまいますので絵になりません。滲みを巧みに利用して絵を描く事はできますが、緻密な絵を描く事はできません。

  ロウケツや夾纈染はある程度思った柄を描く事ができますが、緻密で多色の絵を描く事はできません。その為に日本人は色々と染色法を考え出しました。茶屋染、一珍染、辻ヶ花染というのもその一つです。そして、その集大成と言えるものが友禅染です。

  友禅染は宮崎友禅斎という扇絵師が考案したとされていますが、本当のところは分からないようです。友禅染の原理は次のようなものです。

  生地に糊で絵を描いて行きます。現在はゴム糊が使われていますが、昔はもち米の糊を使って防染剤としていました。絵を描くというよりも、絵の輪郭をなぞって行きます。例えば赤い花びらの回りを糊の線で囲みます。糊は生地に浸透して行きます。糊が乾いたら赤い染料を挿して行きます。染料は生地に広がって行きますが、糊が壁を造っていますので、糊の外には滲み出しません。それでくっきりと赤い花弁が描かれます。

  当時、友禅染は画期的な染色法でした。作者が描きたい絵をきものの柄としてほぼ正確に自由に描く事を可能にしたのです。余りにも画期的だったのでしょう。友禅染は元禄の人達の心を掴み、たちまち広まり、その代わり他の染色法が姿を消してしまいました。

  先に揚げました茶屋染、一珍染、辻ヶ花染めなどは一時姿を消してしまいました。

  幻の染と言われる辻ヶ花染は桃山時代が過ぎると姿を消しています。友禅染が発明されたのは元禄の頃と言われていますので、時間差があって友禅染が辻ヶ花染めを駆逐したのではないと思いますが、次々に新しい染色法が現れると人々の目は古いものから新しいものへと移って行ったのでしょう。今にしてみればその時代を映した貴重な染色法ですが、その時代に生きる人にとってはより新しい物を求めるというのは現代でも同じかもしれません。

  辻ヶ花の話が出てきましたので、話は少々戻りますが辻ヶ花の話をします。

  二十年前に辻ヶ花がブームとなりました。あの時のブームは辻ヶ花染めへの理解が少し捻じ曲がっていたと私は思っています。辻ヶ花と言えば藤とつつじの柄が思い出されます。しかし、辻ヶ花染の本質は、その柄に有るのではなくて染色法にあります。辻ヶ花染めは絞りによって柄を描こうと言う染色法なのです。纐纈染のところで触れましたが、単純な絞り染めの柄は絞りによる偶然性が創りだします。しかし、辻ヶ花染は絞りを用いて作者の意図する柄を描こうとするものです。詳しい事は別の機会にお話したいと思います。

  さて、染と織の区別は分かって頂けたと思います。きものは、織のきものと染のきものに分かれる訳です。織のきもの、染のきものと言いますと一般には染のきものが格上とされています。留袖、訪問着、付下げなどはいずれも染めのきもの、すなわち後染めで柄を付けたものがほとんどです。しかし、最近は紬の訪問着など織の晴着についてお客様から聞かれる事がありますので、織の晴着について少し触れて見たいと思います。

  最近は大島紬や結城紬、その他紬の訪問着が創られています。大島紬の振袖というのも展示会で見たことがあります。そして、お客様からは、紬の訪問着は何時着たらよいのか質問されます。

  紬の訪問着が商品として出回るようになったのは、ここ十〜二十年位だと思います。それまでは紬の晴着と言うものは無かったので私は積極的にお客様にお奨めしてはおりませんでした。いくら絵羽と言えども紬の訪問着を晴着とするコンセンサスはまだ出来ていないからです。きものの礼儀というのは、その場の雰囲気を壊さずに違和感のないきものを着る事だと思うからです。

  しかし、織屋の方と話して見ますと、中には信念を持って織の晴着を創っている方もいらっしゃいます。私がホームページの中で紬の訪問着に関して否定的見解を載せているのを見て、西陣で掬いの訪問着を創り続けている武田さんという方からメールを頂戴しました。何度かメールで意見を交換した後京都に行った折に機場を訪ねて作品も見せてもらいました。武田さんの作品は掬いで暈しを織り出す大変難しい技術を用いたもので、作品として素晴らしいものでした。

  武田さんが仰るには、その昔有職織という織物が晴着として用いられ、染物が織物より格上ということはないと言う主張でした。確かに昔の束帯などは織物でしたが、その後廃れていますし、つむぎと有職を同じ織物と見るには無理があるように思えるのですが、確かに有職や能衣装など、織物は決して染物に引けをとらない晴着であったのは事実です。

  他にも織物の晴着については様々な意見があるようなのですが、私は白黒を決める立場にありませんので、どちらが正しいとは申しあげられません。

  織の晴着につきましては、これからもいろいろな商品や見解が出てくると思われますが見守るしかありません。まだ当分は完全な市民権を得るに至らないと思いますが、きものの将来を決めるのはきものを着る日本人皆に課せられています。きものの文化をどちらに持って行くのかは皆さんに熟慮して決めて頂きたいと思います。

  染の技術、織の技術、どちらも日本人が古より長い時を経て培ってきたものです。これらのすばらしい技術を途絶えさせるのは忍びないことです。しかし、科学技術の発達により、手業のすばらしさが失われている、と云うよりも評価されなくなってきているようにも思えます。 例えば、最新のプリント技術が手描きの友禅を駆逐しているということ、…プリントと手描きの友禅ではまるでその味わいが違うのですが、安価なプリントが大衆に支持され、手描きの技術者の居場所がなくなっている、というような事。織の現場でも同じ様なことが起っています。 私のような小売屋が出来ることとと云えば、染織の本当の良さを消費者の方々に紹介するという事でしょうか。



 

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