いらっしゃいませ、お客様 | ログイン | 会員登録 | パスワード再発行 |
7. 羅

 『ら』と聞いて、それが何を意味するのか、ピンとくる人はどれだけいるだろうか。漢字で『羅』と書けば、きものに詳しい人ならば、すぐに分かるかも知れない。しかし、平仮名で『ら』と書かれれば、羅を知っている人でもすぐにはピンとこないかもしれない。

 『羅』は夏の織物である。同じ夏物を代表する織物に『紗』と『絽』がある。いづれも着物に関心の無い人にとっては聞き慣れない言葉かも知れない。

 日本語には一文字の名詞が多い。ちなみに五十音順で言えば、『あ』は見当たらないけれども、『い』は『胃』、『う』は『鵜』、『え』は『絵』、『お』は『尾』、『か』は『蚊』というように、五十音のほとんどが一つの名詞としての意味を持っている。中には『え』のように『絵』『柄』『餌』『枝』というふうに複数の名詞を表わすものもある。しかし、『ら』は『羅』だけのようである。

 外国語で一文字で意味が成り立つ単語と言えば、「私」を表わす人称代名詞である英語の『I』、ロシア語の『Я』あるいは接続詞や冠詞、前置詞などで、普通名詞では見当たらない。(私は言語学者ではないので知らないだけで、本当はもっとあるのかも知れない。)
 
 日本語に一文字一単語の言葉が多いのは表意文字である漢字と無関係ではない。先に外国語では一文字一単語が見当たらないと言ったけれども、中国語はその限りではない。中国語には日本語とは比べものにならないほど一文字一単語の言葉が多い。実は『羅』という言葉も中国語から来たものである。

 中国語辞典で『羅』という字を引いてみると次のようである。
「[羅] (鳥などを捕えるための)あみ。 薄い絹、あや絹。」
 ついでに『紗』を引いてみると、 「[紗] 棉花・麻などをつむいだ細い紡績用糸。

 紗や寒冷紗、織目があらい薄い布。 窓に張る寒冷紗に似たもの。 目の粗い絹織物。」

 もののついでに『絽』を引いてみたけれども、中国語に『絽』の漢字は見当たらない。日本の漢和辞典で引いてみると、
「[絽] 薄くすいた絹織物の称。 しま糸織。 ぬう。」
とある。

 日本人は外国の文化を取り入れ、いつしか自分の文化と和合させてしまう達人である。中国語にはもともと無い『絽』という字を創り、あたかも元々あったかのように羅や紗と同列に置いているのである。その事実が伝えるように、羅や紗は絽よりもはるかに歴史が古く、中国では漢の時代より知られている。  それでは『羅』とはどんな織物なのだろうか。紗や絽とはどう違うのだろう。

 日本で羅は正倉院の御物にもあるほど古くから知られているけれども、織方が複雑なために、その技術は一時跡絶え、江戸時代に入り復元されたこともあったが、本格的に復元されたのは昭和に入ってからである。その織組織は図で見られるように非常に複雑で、一本の縦糸が左右の縦糸と絡み合いながら織られている。そのためにとても目が粗くなるけれども、しっかりとした生地ができるのである。羅の組織は一見編み物のように見える。しかし、これが織機で織り出されるのだから昔の職人の技術の高さが伺える。一方、紗織は二本の縦糸が交差しながら織られたもので、羅よりもその組織は単純である。

 織の組織上、『紗』と『羅』は明確に区別できるけれども、実際の商品分類上、紗織の中でも目の粗い、『粗紗』(あらしゃ)と呼ばれる織物も通常羅と呼ばれている。太い撚糸で織った紗は紗目が大きくなり、羅と同じような機能を持つことからそう呼ばれるようになったのだろう。

 羅は目の粗いのが特徴で、通気性に富んでいるので夏の織物として使われるけれども、余りに目が粗いので単衣のきものに用いられる事はなく、現在はコート地や帯地に用いられている。
 着物をよく着る人でも、
「夏は暑いので着ものを着ない」
と、言う人がいる。薄着を着ても、腹に帯を幾重にも巻き付けるのだから暑いのは当然かも知れない。紗袋帯や絽の染帯など、見た目に涼しい夏帯でも芯を入れて仕立ててしまえば通気性が損なわれて着ている本人はちっとも涼しくはない、という訳である。

 しかし、羅の帯は芯を入れない八寸名古屋帯なので、通気性が損なわれず、本当に涼しいのである。そして、太い撚糸で織られているために、生地がしっかりとしていて何度きつく締めようとも縒れる事もない。そして、きちんとたたんでさえおけば、少々のしわは元通りになってしまう。  目の粗い羅織の帯は晴れ着にはならず、あくまでも洒落帯として普段着に用いられるけれども、実用的な涼しい帯としては一番である。コートとして用いられる羅も通気性があり初夏から夏にかけてのコート地としてはもってこいである。

 夏のきものは着にくい暑い、などと言われるけれども、『羅』には、それを払拭する古代人の知恵が隠されているようにも思えるのである。


 

© Yasuzo YUKI ALL RIGHTS RESERVED