カテゴリー別アーカイブ: きもの春秋終論

Ⅶ-36 単衣の着物は何時から着るべきか(その2)

しきたりとして衣替えが行われるようになったのは何時ごろからだろう。

平安時代には年に二回、夏服と冬服の衣替えが行われていたと言う。江戸時代には四回行われ、庶民もこれに習っていたと言う。宮中や殿中では、しきたりと四季の風情を重んじて衣替えは厳格に行われていただろう。そして、庶民もそれに倣っていたとすると、さすがに日本人の季節の移り変わりに対する思いを感じる。

しかし、実生活で庶民は厳格にしきたりを守っていただろうか。年毎の気温の変動は少なからずあったはずである。冷夏や暖冬も幾度となくあっただろう。寒い夏に我慢して薄着をしていただろうか。夏が早く来ても袷を着ていただろうか。庶民は、衣服の本来の機能である体温の保持を第一に考えて着物を選んでいたと思う。

普段着に限っては、暑い時には涼しい、寒い時には温かい着物を着ていただろう。もちろん季節のしきたりには気を使っただろうけれども、寒くても我慢して単衣を着たり、暑くても汗だくになって袷を着るようなことはなかったはずである。

最近は地球温暖化の影響なのか、昔に比べて気温が上がっている。昨年の猛暑は言うまでもなく、山形でも昔はもっと雪が積もった記憶があるが、今はそれ程雪が降らなくなった。

四月ともなると暑い日がある。暦の上では袷の季節なのだけれども、袷を着ていては汗だくになる日もある。

先日、イベントで着物を着たけれども、暑いので単衣を着た。五月には毎年料理屋のお祭りで給仕を手伝っているのだが、走り回るのでいつも単衣に麻襦袢を着ている。しきたりを重んじる?着物の先生からはお叱りを受けるかもしれない。それでも袷を着て走り回る気にはどうしても為れない。
さて、「単衣の着物は何時から着るべきか」を考える時、「季節による着物のしきたり」と「体温を保持すると言う衣服本来の機能」をどのような整合性をもって臨めばよいのかを考えなければならない。

まず一つ言える事は、普段に着る着物は、しきたりに束縛される事無く衣服本来の機能を優先させるべきである。寒ければ厚着を、厚ければ薄着をするのは洋服に限らず古今東西の民族衣装の常識であろう。

そういう意味では普段着の場合、単衣は四月の暑い日には着ても構わないだろうと思う。実際、私は汗の出るような四月の暑い日に袷の着物を着る気にはなれない。

ただし、気を付けなくてはならない事がある。

やはり日本の着物は季節感を大切にする。袷の季節とされている五月に単衣を着るのであれば、できるだけ単衣を着ていることを気取られない着方をすることである。

例えば、同じ単衣でも色の薄い白っぽいものは避ける、帯もそれに準じたものを締める。どうしても暑くて夏襦袢を着るのであれば、半襟を袷様にする等。

ちょっとした工夫、気遣いで普段着を着る事が大切と思う。

つづく

Ⅶ-36 単衣の着物は何時から着るべきか

毎年、この時期になると私の頭を悩ませる問題が頭をもたげる。表題に記した「単衣の着物は何時から着るべきか」と言う問題である。

私は何も気にせずに、自然に単衣を着るべき時に単衣を着ているが、お客様からは次の様な質問が寄せられる。
「単衣は何時から来て良いのですか。」
「五月に結婚式があるのですが、単衣ではまずいでしょうか。」
「お茶会で友人が、暑いから単衣で行くと云うのですが、六月前に単衣を着ても良いのでしょうか。」

この件に付いては、これまでも何度も陰に陽に触れてきたつもりだけれども、改めて論じたいと思う。

このような質問が寄せられるのは、「五月までは袷、六月は単衣」と言う暗黙?のルールがお客様の頭を悩ませているからである。

確かに着物のしきたりを説いた本には「五月までは袷、六月は単衣」と書いてある。まして着物を始めて着る人達、または着物を着る自信のない人達は何を着ればよいのか、不安を覚えてしまう。

着物を着る事に不安を覚えれば、着物を着たいと言う気持ちも萎えてしまうのではないかと私は心配になる。

着物には、袷、単衣、薄物の三種類があって、季節により衣替えする事は着物を着る人であれば誰でも知っている。

日本の風土は、四季の区別がはっきりしており、三十度を超える(最近では四十度を超える)暑い夏があると思えば、凍てつく寒さと雪の降る冬もある。日本人はこの自然現象を四季折々の風景と捉え生活の中に生かしてきた。衣装のみならず食べ物や住まいの設えなど、いわゆる衣食住全てにおいて季節の変化を受け入れ、それを生活に生かしてきた。

私は、このような季節を巧みに生活に取り入れた日本文化は人々の暮らしをより良い物にしていると思っている。着物の衣替えもこの季節の変化を巧みに反映させている。

季節の変化は、我々日本人の生活を豊かにする物であり、着物の衣替えもそれに即した物でなければならない。しかし、生活を豊かにするはずの衣替えが着物を着るのを躊躇させるのであれば、どこかでねじ曲がってしまったのではないだろうか。

袷から単衣に衣替えをする時期は必ずある。巷で言われているのは五月と六月の境目である。先に期したように物の本ではそのように言われている。

そのような先入観を抜きにして考えてみよう。昔の人は何時袷から単衣に衣替えしたのか。「昔」と言うのは、明治時代や江戸時代ではなくもっともっと昔の話である。

縄文時代や弥生時代に、袷や単衣と言った衣装があったかどうか分からないが、日本に袷や単衣といった衣装ができた時代の事を考えて見よう。その時代の人達は何時袷から単衣に衣替えしたのか。言うまでもなく、それは暑くなった時、袷を着ていて暑いと思った時である。

袷や単衣は、薄物も含めて人間の体温を維持するための工夫である。その為に暑ければ単衣に替え、寒ければ袷に着替えただろうことは、その時代に生きていなかった私でも容易に分かることである。

そう言う自然な衣替えでは、一度単衣に替えた後、急に寒くなり再び袷を出して着ることもあっただろう。最近は天候不純で暑くなったり寒くなったりして、セーターを出したり仕舞ったりすることもあることを考えれば頷けると思う。

しかし、着物の世界では、袷、単衣、薄物に衣替えをする時期がはっきりと決められている。その年の気候、温度の変動を加味することなく、毎年同じ日時に衣替えをしなければならない。これは、一見衣服の本来の目的である体温を保持して生命を守る、と言った目的に合致しないように思われる。

つづく

番外 「十連休・一回休み」

今年のゴールデンウィークは十連休である。天皇陛下の御退位、御即位が下さった国民の長期休暇である。

十連休と言わず、私には二連休以上の休みは、ここ数十年間皆無である。我々小売業は人が休む時働き、人が働いているときも働くのが生業である。私にはこの連休は、十連休どころか全く休みはなかった。

この度の十連休は、果たして来街客がどのように動くのか、皆目見当がつかなかった。満遍なく人が出るのか、それとも皆海外に行ってしまって街には人が出ないのか。あるいは前半は出るが、後半は疲れて街は静かになるのでは、と言った憶測が飛び交った。しかし、来街客には手を抜いて待つわけには行かない。

私のもう一つの生業である七日町御殿堰開発(株)は4月28日に開業九周年迎えた。十連休とも重なり、開業周年イベントを八日間続ける事になった。毎日毎日イベントに明け暮れ、ブログを書く暇もなかった。

と言う訳で、言い訳がましいが、今週は一回休みとしますので宜しくご査収願います。

Ⅶ-35 きものの産地、京都(その2)

仕入れで京都へは年間一回になってしまったが、東京へは度々上京している。東京にも問屋がありマメに仕入れをして店の商品管理を行っている。

それでは、わざわざ京都に出向く必要もないだろうと思われるかもしれない。しかし、京都に出向かなくてはならない事情がある。

先に記したように、昔の問屋は商品が豊富だった。何時伺っても目当ての商品があった。呉服問屋は慣例的に毎月初めに売り出しをする。通常、販売員は商品を持って全国に営業するが、月末には商品共に戻って来て月初めの売り出しに備える。月初めの売り出しに行けば豊富な商品に出会えたのである。

しかし、今の問屋はかつての力はなく商品を持っていない。在庫を抱える余裕がなくっている。従って月初めの売り出しと言えども、商品を求めようとする小売店が満足するような品揃えができていない。

京都の問屋は、その地の利を生かして年に数度大きな展示会を催す。会場は自社ビルではなく、産業会館や国際会議場と言った広い会場で展示会を行う。その時には自社の商品だけでなく、染屋や織屋の応援を得て品揃えをする。染屋や織屋が自社の商品を持って会場に出向く。その時ばかりは多くの商品に出会う事ができる。

そんな展示会を狙って京都に出向くのである。そして、多くの染屋さんや織屋さんと直接出会えるので、色々な情報を仕入れる事ができる。

生産現場の情報はとても有用である。自分が必要とする商品はどこで創っているのか。昔あった商品は今創っているのか、等。しかし、残念ながら彼らの情報の中には、「あの織屋さんはもうやめました。」「それは、もう作ってないと思います。」と言うようなネガティブな返事が多くなってきた。

自分の店で揃えなければならない商品が、今染められているのか、織られているのかと言う極基本的な情報に神経をとがらせなければならない昨今である。

「きものの産地、京都」は、昔の様に、「着物に関しては、探せば何でも見つかる。」と言った印象は薄れてきた。しかし、それは京都のメーカーが悪いのではない。業界が縮小することによって生じた必然的な結果である。

これからの着物業界は、私のような零細な呉服屋にとって益々商いが難しくなるかもしれない。しかし、何とか伝統を守り、お客様に良質な着物を届けたいと思う。

Ⅶ-35 きものの産地、京都

先日、久しぶりに京都に行って来た。目的は仕入れの為である。
「来週、京都に行ってきます。」と言うと、巷の人からは、「いいですね、仕事柄京都に行けて。」と言われるけれども、仕入れは結構きつい。

今回は、朝7時に山形を出て午前中に東京の問屋を周り、12時の新幹線で京都に向かう。2時半頃から問屋を周った。宿泊は京都ではなく大津である。

最近のインバウンドのお陰で京都は人でいっぱいである。市内のホテルを採ろうと思ったが、安価なホテルは見当たらない。一万円以下のホテルはカプセルホテルかその類である。折しも京都は花見のシーズンでホテルは稼ぎ時である。当日予約すれば安く泊まれる、と言う話もあるが、中々そうも行かない。やむなく京都を出て大津のホテルに宿泊した。

しかし、時代は変わったもので、大津へは京都の地下鉄が乗り入れている。東西線「御池」から僅か二十数分だった。市内中心部で乗って二十数分なので市内のホテルとそう変わらないかもしれない。

翌日は午前中から問屋の展示場を周って午後4時に新幹線に飛び乗り、東京で乗り換え、山形は午後10時過ぎであった。

さて、京都は一年振りだった。かつては年に三回程度仕入れの為京都に行っていたが、今は一回である。ご存知の通り、呉服業界は往時の十分の一以下に縮小している。私の店の売上も十分の一にはなっていないが、商売は相当に縮小している。その分仕入れの量も減り、京都詣での回数も減っている。

山形から京都までの旅費も掛かるので、少量の仕入れでは採算が合わない。そうかと言って大量に仕入れする状況でもない。と言う事で、京都出張を集約して多くの問屋を周ることになるので、益々出張が過密スケジュールになってしまう。

そのような過密スケジュールになってしまうのは、私ども仕入れる側(呉服屋)だけでなく、売る側(問屋)にもある。

昔は問屋の数は星の数ほど(と言えるぐらい)あった。室町通りは、上から下まで両側ずらりと大小問屋がひしめいていた。そして、それらの問屋には沢山の商品があった。小さな問屋であっても専門問屋であれば、そこへ行けば大体思った商品が手に入った。

大手の問屋ともなると、どの階も商品で埋め尽くされ、その問屋一軒で仕入れを済まそうと思えば済ませられるほどだった。

私の店でも取引している京都の問屋は数多くあった。それらの問屋からは、「京都に来たら是非寄ってください」の声が掛かり、当時は京都に二泊して各問屋を周っていた。今ほどハードスケジュールではなかったので、時には時間を割いて近くの名所を訪れる事もあったが、それも今では良い思い出となってしまった。

しかし、今の問屋は商品がない。欲しい商品をメモして行くのだけれども、それを探すのが大変である。「若向きの、〇〇柄の××色の訪問着」を探そうものなら、それに該当する訪問着を探すだけでも数件の問屋を周らなければならない。それで見つかれば良いが、見つからない事もしばしばである。

着物が売れない時代だけに、確実に売れる商品、確実に必要な商品を探すのは、以前に比べて格段に難しくなっている。

つづく

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その4)

元々成人式で振り袖を着るのは慣例化された物ではなかった。純粋に成人式で厳かに着物を着たいという人達が振り袖を着ていたが、次第にそれが全国に広まって、半ば義務化されたようになった。

呉服業界にとって成人式での振り袖着用は千載一遇の商機である。このようにして振袖商戦が始まり次第にエスカレートしていった。

着物を商う呉服屋が成人式の振袖を商うことは悪いことではない。むしろ成人式で振袖を着たいという人達に進んで振袖を提供し、またその歴史や意味を啓蒙すべき立場にある。

しかしながら、振袖商戦を見るに付け、成人式は呉服屋が利益を得るためだけの手段として呉服業界が利用しているようにしか思えない。

昨年は「はれのひ」事件があった。これは完全に犯罪であるが、同じような商法は茶飯事に行われている。このような「商売の逸脱」とも言える行為は別にしても、振袖の商法は、成人の人達に寄り添っているとは思えない事が度々である。

もしも、小学生の卒業式での袴姿が一般的に認知され、広く行われるようになったとしたら、再び振袖のような商戦が繰り返されるのではと心配になる。

小学校の卒業式で皆が袴を履くようになったならば、私も呉服屋として是非袴や着物を買っていただきたいと思う。しかし、過度な販促や奇を衒った商品開発などが行われないように願いたい。

一番に尊重しなければならないのは着物を着る本人、すなわち卒業する子供たちが押し付けられるのではなく、自ら袴姿で卒業式を迎えたいと言う気持ちである。「袴姿でなければならない」「皆が袴を履くから」と言う理由であってはならない。

そして、それを見守る人たちも本当に祝福する気持ちで接していただきたいと思う。

日本人が心から日本の文化を理解し愛し、それを我が子にまた後世に伝えたいと言う心があれば、それを大切に受け止め、自然な形で着物を着る事ができるように願っている。

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その3)

結局、どちらにも一理あり、どちらかが一方的に正しいと言う結論は出しがたい。しかし、私は日本の文化を守りたいという立場から話を進めたいと思う。

先日、テレビで八丈島の小学校の卒業式で女生徒が黄八丈に袴姿で出席した姿が放映されていた。(残念ながら私は見ていない。女房に聞いた話である。)卒業する女性とは三名だけだったが、皆島の特産品である黄八丈を着て袴を履いていた。

視聴者は、この光景にどのような感慨を持ったことだろうか。

日本の伝統、地元の特産品に誇りを持って卒業式に臨む姿は誰も否定する物ではなかっただろうと思う。子供の気持ちもさることながら、衣装を用意してくれた親御さん達の気持ちも伝わってくる。

本場黄八丈と言えば、安価な織物ではない。金銭的な事には余り触れたくはないが、一式揃えるのに苦労されたかもしれない。しかし、そこには親御さんの子供に対する思い、また期待も感じられるのである。

卒業式に参列していた在校生達はどう思っただろうか。言わずとそれは伝わってくる。
さて、反対派の側から見てみよう。

もしも、3人のうち1人が経済的に困難で、黄八丈の衣装を用意できなかったとしよう。果たしてその時どうなっただろう。

結論的に想像すれば、私は決して「1人だけ洋服で」とはならなかっただろうと思う。その方法論は割愛するが、黄八丈を誇りに思う八丈島の人達がそれを見過ごすはずはないと思うからである。

「卒業する女生徒が3人という小さな卒業式だから」と言う見方もできるかもしれないが、これが自分たちの文化を誇りとする人達の縮図であると言える。自分達の文化に誇りを持つという姿勢があれば、小学生の袴論争も、もっと違った角度からなされるのではないだろうか。

さて、問題はここで終わらない。

卒業式を迎える小学生の親御さん達が、もしも全員(一人残らず)八丈島の人達と同じような気持ちで子供に日本の文化として着物と袴を揃えてやりたいと思ったとしても、更に別の問題が起きてくる。

問題を起こすのは、当事者であり消費者である親御さん達ではなく、呉服業界である。

全国の親御さん達が、子供に袴を履かせたいと思い、そしてそれが慣例化された時に一体何が起こるのか。昨今の呉服業界の所業を見れば容易に想像される。

尤も卑近な例は振袖である。振袖が成人式の制服?として認知されてから振袖がどのように扱われているだろうか。

つづく

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その2)

まず、賛成派の意見である。集約すれば、
「子どもの着物姿はかわいい。何故、日本の伝統である着物を着てはいけないのか。」
その通りである。着物に限らず、明治維新以来、日本の文化は隅に追いやられてきた感がある。

昔、小中学校の音楽の授業で邦楽を教える事は殆どなかった。音楽の教科書の最後のページに越天楽や筝曲が申し訳程度に載っていたが、レコードで一度聞かせられるくらいで、それ以上突っ込んで先生が邦楽を教える事はなかった。(先生自体が邦楽には疎かったのだろう。)

着物を着ようとしない、あるいは着たことがないのは、そのように日本文化が隅に追いやられ、自分だけ着るのはおかしい、着たことがないので着れない、となってしまったのだろう。

私は、息子の小中学校の卒業式には紋付袴で出席した。役員をしていたので、生徒の間を通って雛段に付いた。すると男子生徒から細やかなどよめきが上がった。最初、「だせいなー」「なんだありゃ」と言う嘲笑かと思ったが、よく聞いてみると、「かっこいい」「ステキ―」と言う声だった。息子は余程恥ずかしかったと思う。

高校の卒業式では担当した先生方全員に着物を着てもらった。着物が好きな校長先生だったので、話は進んで担当した男性教員全員紋付袴姿となった。その時も大変好評だった。日本の文化を愛でる気持ちは、若い人の中にも十分に受け継がれている。

日本の文化を否定する理由は見当たらない。

では、反対意見はどうだろう。

「転倒の危険」や「着崩れ」「トイレのトラブル」と言った事は、着物を着たことがない故のトラブルであり、日本文化を隅に追いやったが為の結果である。いずれも避けて通れない問題かもしれないが、小学校でナイフを禁止したがために、鉛筆をナイフで削れる子供がいなくなったのと同じ弊害が起きている。

「服装が華美になり高額化する」と言う意見も非常に強い。そして「経済的に困難な人が可哀そうだから」と言う意見も強い。これはどうしたものだろう。

私が京都にいた時分(30年以上前のことになるが)、問屋の出張員として呉服屋を周っていたところ、あるお店で次のような事を言われた。
「この辺では振袖は売れませんから。」
持ってきた振袖を見せようとしたが、そう言って断られた。

よく聞くと、その町では成人式の振袖は禁止されていた。理由はやはり「振袖を着られない人が可哀そうだから」と言う理由だった。言われてみれば一理あるが、私は、「そんな理由で振袖が禁止されるなんて・・・」と思っていた。

では、洋服ならば何でもよいのか。ブランド物の子供服の中には、安い着物を越える価格の物もあるだろう。しかし、洋服においては、おそらく振袖のような論理は通じないだろう。日本文化が特殊なものとして認識されてしまっているのだから。

ここまで書くと、私は「日本の文化、日本の着物を偏見なく捉え、正しく認識してもらいたい」の一言である。しかし、だからと言って「小学生の袴姿に手放しで賛成」とは言えないのがこの問題の複雑さである。

つづく

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐

最近、着物の業界紙に「小学生の袴」が話題になっていると言う記事があった。小学生が袴姿で卒業式に出るのが流行っているらしい。「らしい」と言うのは、山形では未だ見かけない。いや、私は小学生と縁が薄くなったので見かけないだけなのかもしれない。

そう思ってWEBで検索してみると、なるほど話題になっていた。そして、それらのサイトでは賛否両論が渦巻いていた。

小学生が着物に袴を履いて卒業式に出る様を想像すると、女学生のミニチュア版の様に思える。山形でも大学の卒業式のシーズンを迎えると街で袴姿の若い女性が見受けられる。

明治以降、女学生たちは着物に袴を履く人が多かった。どれだけいたのかは分からない。案外名門の女学校に通う富裕な女学生だけだったかもしれないが、その姿そのシーンはテレビドラマや映画にも登場する。日本人にとってごく普通の場面に思える。

小学生の袴姿と言うと今迄は余り見かけなかった。これからそういう姿が見られるようになるのかな、とも思うけれども、その是非について賛否両論、議論が巻き起こっているようだ。

もし私に、小学生の袴について賛否を問われたならば、私は「わかりません」としか答えられない。着物を生業とする者の責任を放棄するわけではなくて、その背景を整理していかなければ誤解が生じるからである。

賛成、反対の意見を見て見よう。

まず賛成の意見としては、
「日本の伝統文化に触れられる機会である」
「子どもの時に着物を着る機会が増える。」
「服装は自由である。」等

反対の理由としては、
「華美な姿は相応しくない。」
「服装の高額化。」
「履きなれない衣装は、転倒などの危険がある。」
「着崩れの対応ができない。」
「トイレでのトラブルがある。」等

どちらも一理ある。一理あるだけに議論が始まれば結論には到達しそうにない。では、一つ一つ検証してみよう。

つづく

Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く(その4)

日本人が日本の文化に興味を持たず大切にしない一方で、外国からいらっしゃる方の中には、進んで日本文化に触れようとする動きもある。

インバウンドと騒がれる昨今、日本を訪れる外国人がよくテレビに映るようになった。私が最も驚いたのは、箸を使う外国人が増えたことである。

昔、私が子供の頃は、「外国人(西洋人)は箸が使えないんだよ。」と聞かされていた。日本人は何気なく箸を使っているが、考えて見れば箸を使うのは難しい。箸を持ったことのない人に箸を使えと言っても、フォークの様にしか使ないだろう。

「日本人は器用だから箸を使うんだ。」とも聞かされ、日本人は器用で西洋人は不器用だ、などと言われもない優越感を持ったりしたものだが、テレビに映る外国人の中には器用に箸を使う人も多い。そば屋、ラーメン屋、マイナーな居酒屋を訪れる外国人は実に起用に箸を使う。

全ての外国人が箸を使う訳ではないが、日本の文化に興味のある人たちは、相当に練習を積んだかもしれない。日本の文化に触れ、日本の文化を理解したくて箸を使うのだろう。

蕎麦やラーメンを食べる時にフォークで、と言うのではやはり日本の生活シーンではない。居酒屋でお通しをつまむのには、やはり箸が似合う。日本に触れたいと思っている外国人が箸を使うのはそんなに処にあるのだろう。

私は仕入れの為、浅草に良く行くが、浅草寺、仲見世の辺りは外国人でいっぱいである。浴衣や着物を着ている外国人も多くなった。中には、「これが着物?」「こんな着方で」と思われる人もいるが、彼らが日本の文化に興味を持っているのは間違いない。

裏を返せば、日本人が西洋文化に目を向けるのと同じかもしれないが、自分の文化をまず大切にするのが他の文化を理解する第一歩である。「便利だ、楽だ」に流される前に、しっかりと日本の文化を見つめ、その上で目の前の問題、即ち「料亭で座れない人をどのように処遇するか」を考えるべきと思う。

これほど深い日本の文化を初めから否定する姿勢は日本文化の崩壊につながる。これは保守的な考え方からではなく、日本人としてもっと豊かな生活を送るのにつながると考えるからである。
外国から来た人達が称賛する日本の文化をもっと理解し大切にする必要があるのではないだろうか。

「このままでは日本文化はどこへ行くのだろう」と心配になってしまうのである。