カテゴリー別アーカイブ: きもの春秋終論

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その4)

一つは安価な価格で着物が販売されている。これは悪い行為ではない。着物を着たい人が、着物を安く購入する事ができるので、着物を普及させるのによい事かもしれない。ただし、業者によっては、その成因をつまびらかにせず、高価な着物を安く売っているかの様に消費者にアピールしているところもある。

もう一つは、安い着物であるにも関わらず、さも高級品の様に見せかけて、とてつもない利益を得ようとする行為である。型物の訪問着を作家の作品と偽る。プリントの江戸小紋を型染の江戸小紋と偽って販売する。この場合、プリントにはない耳をわざわざ型染であるかのように染めているものもある。

どちらも呉服業界の販売不振を量的に利益の上で確保しようとする行為だけれども、業界として最も大切なことが抜けている。

それは、昔から培ってきた本当の染や織の技術がないがしろにされていることである。安く生産された物で売上や利益を確保しようとしているが、本当の技術を持った染屋織屋、そしてそれを支える職人たちは幕の外に置かれている。

呉服の未来を本当に考えるならば、それらの技術の継承を第一に考えなければならない。大量販売、大量消費は需要の減少する今の呉服業界にはなじまない。ここで考えなければならないのは、呉服業界が小さく成ろうとも、健全な形で次世代に伝える事である。ではどうしたら良いのだろうか。

着物は昔から世代を超えて大切にされてきた。リサイクルやオークション等と言う言葉が飛び交う現代の遥か昔から着物はリサイクルが行われてきた。

着物の構造を見れば分かる事だけれども、自分の着物を自分よりも背の高い人が着られる様に、身丈は「内揚」をして仕立て替えできるようにいる。背の高い子や孫にも仕立て替えられる工夫である。

八掛は表生地よりもせり出している。八掛の色を見せる、と言う意味もあるけれども、裾が擦れた時、八掛が擦り切れるように出来ている。表生地が擦り切れない為の工夫である。八掛は擦り切れても、仕立て替えの時にずらせば同じように仕立てられる。裾が破れても、ぼかしの八掛でも三回は仕立替えが可能である。

着物には他にもリサイクルに耐える工夫がなされている。とは言え、着物をリサイクルするのはそれ程簡単ではない。袷の着物を仕立て替える場合、洗い張りをして仕立てる事になるので5~6万円かかる。洋服の感覚から言えば高価かもしれない。

3000円の浴衣を仕立て替えする人はいないだろう。安い着物であれば、新しく買った方が良いと思う人もいるだろう。しかし、昔はそれ程手間やお金をかけてもリサイクル(仕立て替え)する意味があったのである。

昔は、洗い張りや仕立てを自分でやる人もいた、と言う事情もあるが、着物はリサイクルする価値が十分にあったと言える。

つづく

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その3)

呉服よりも身近な食料も大量に捨てられている。日本国内では年間632トンもの食料が、いわゆる「食品ロス」として捨てられていると言う。これは、一人当たり毎日茶碗一杯分の御飯にあたる。何故そんなに大量の食糧を捨てなければならないのか。もっと有効に消費できないのだろうか。

居酒屋での宴会では、「飲み放題〇千円コース」と言うのがある。PTA等の宴会では価格も手ごろで人気がある。しかし、このような宴会に出ると、つくづく考えさせられることがある。

供される品数も多く、飲み物は注文しただけ持ってくる。しかし、宴会が終われば、大量に料理が残っている。まだ手を付けてない料理も数多く見られる。飲み残しのビールや酒も多く、何ともったいないと思う。

出された料理は、決してまずくはないが、皆の目に留まらない物ばかりで積極的に食べようとする人は少ない。酒のつまみ、と言う程度だけれども、それにしては量が多い。居酒屋では、量が多い事をアピールしているのかもしれない。しかし、完食してゆく人は稀だろう。

もっと品数を少なくして、誰でも箸を付けたがるような料理を出した方が良いと思うのだがどうだろう。同じ金額を支払うのであれば、量は少なくとも、美味しかったと完食した方がより豊かな生活だと思うのだけれど。

同じことは呉服にも言える。

3000円の浴衣が大量に生産され市場に出回って行く。当然ながら広幅の安い綿生地にプリントしたものである。一部は捨てられ、またタンスの底に蓄積され、他はリサイクルされてゆく。

次の年には、既に浴衣を持っている人の購買意欲をそそる為に、奇抜な柄やデザインの浴衣が創られ市場に投入される。それ以前の浴衣も含めて、一度しか着ない浴衣や一度も着ていない浴衣が沈殿してゆく。

浴衣に限らず着物も同じである。

着物の売上は減少している。その大きな原因は、需要すなわち着物を着る人、着る機会が減少していることにある。それでも呉服業界は売り上げを維持せんと様々な努力をしている。着物を着ない人にも売る為の商法は多くの問題を起こしている。そして、着物の生産そのものにも問題が及んでいる。

今、最新の技術や人件費の安い海外品によって着物は以前に比べて非常に安く生産する事ができる。3000円の浴衣もその成果物である。ただし、それらは昔から創られてきた着物とは、似て非なるものである。

一方では需要、販売が減り、また一方では安く生産できるのが今日の呉服業界である。その結果、呉服業界では相反する二つの行為が行われている。

つづく

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その2)

小売屋から市場に出た浴衣は、市場の中でグルグル回りながら浴衣の需要をカウントしてゆく。その結果小売屋から市場に出る浴衣の数は減少するという仕組みである。

浴衣を売る側、業界からすれば大変困った話である。売上の減少が業界をしぼませてしまう。しかしこの事は、浴衣を売る側、浴衣を購入する側双方で、もっとよく考えなければならない課題である。

まず、浴衣をオークションなどで処分する行為は悪い事ではない。むしろ、使わなくなったものを他人に使ってもらうというリサイクル、即ち物を大切にしようという行動だと捉える事ができる。

且つて江戸時代には完全なリサイクル社会だったという。壊れた茶碗を欠け継で直し、破れた着物は欠け剥ぎで直して使った。生活用品は、何でも完全に使えなくなるまで使っていた。物は豊富ではないが、生活に困ることはなく、それ程不便は感じなかったかもしれない。

それに比べて今日は、大量生産・大量消費と言う資本主義のサイクルに組み込まれ、もしもこのサイクルが機能しなくなると、忽ち不況・不景気になり生活が困難になってしまう。

「物を大切にしよう」と言う掛け声とは裏腹に、まだまだ使える多くの物が捨てられている。

私が今乗っている車は、9年間乗っているが、その前の車は24年間乗っていた。使いやすい車だったこともあるが、大した故障もなかったので乗り続けていた。最後はスピードメーターの誤差が許容範囲を超えてしまった為、新しい物と交換しなければならなくなった。

「交換してください。」
と言ったものの、既に10年以上前に絶版となった車である。新しいメーターと交換するには50万円以上掛かります、と言われ流石に諦めて新車に乗り換えた。今にして思えば、乗り続けていれば骨董価値が出たかもしれない。

周りを見回すと、まだまだ乗れる車が廃車処分されている。しかし、もし私の様に皆が20年以上乗り続けたら、自動車産業は成り立たなくなってしまう。

同じように、3,000円の浴衣を10年も20年も着ていられたら、呉服業界、中でも浴衣を扱う業者はたまったものではない。浴衣の売れ行きは激減し、実際にその兆候が表れ始めている。

物を大切にする事と、資本主義社会の原動力である大量生産大量消費は相反する事の様に思えてくる。物を大切にする気持ちを尊重しつつ、業界が(産業が)活気づく方法はないのだろうか。

ここで、私は、本当に豊かな生活とは何なのかをもっと考えるべきと思う。現代の社会は十分に豊かになったはずであるが、使い捨て大量消費の風潮から、決して豊かな社会とは言えない面がある。

つづく

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか

今呉服業界では様々な変化が起こっている。それは、呉服業界に限らないのかもしれない。情報や流通が発達し、これまでなかった事が起こり、今迄の常識が通じなくなっている。そしてそれらは短いサイクルで起こっている。昨年と同じことをしていたのでは、今年は全く通じない、と言う事をしばしば経験する。

先日、小物の商社の方と話をしていた。

「最近いかがですか、ご商売の方は。」

商売上では儀礼的な挨拶である。

「いや呉服関係は全然よくありませんが、レンタルが良いんですよ。」

確かに、レンタルの着物や浴衣が伸びているという話はよく聞く。京都や浅草に行けば、いかにもレンタルと思えるような井出達の人に良く出合う。外人さんも多く、特に中国の人達に人気の様である。

その小物屋さんは小物からプレタの着物や浴衣も扱っており、レンタル用のポリエステルの既製品も多く扱っている。

「今年はレンタルに助けられました。」

もちろん綿の既成浴衣も扱っているのだけれども、今まで売れていた既成の綿浴衣は今年は散々だったという。

「昨年は売れていたんじゃないですか。」

そう聞くと、
「ええ、昨年は売れましたが今年は全然ダメでした。本当にレンタルに助けられましたよ。」

そして更に、
「浴衣が売れないと言っても、若い人たちが浴衣を着なくなったわけではないんです。」

通常、物が売れなくなるのは、その商品の需要が減少するからである。若い人たちが浴衣を着なくなれば浴衣の需要が減少し、売上は減る。しかし、今はそうではないという。

「少し前は、若い人が浴衣を捨てるという話がありました。」

その話は以前私も聞いたことがある。セットで3000円くらいの浴衣を買い、彼女と花火を見に行く。Gパンで行き、途中で浴衣に着替える。帰りはまたGパンTシャツに着替えるが、浴衣を畳むこともできず、面倒くさいのでゴミ箱に捨てて行く。花火大会の後、会場のごみ箱には浴衣が捨ててあるという話である。

昔は安い浴衣と言えども、一枚一枚手で染めたものなので、そこそこの値段もしたし、それを捨てると言う事はなかった。現代の技術革新が創った安価な浴衣のなせる業なのだろう。その小物屋さんの話には続きがあった。

「しかし、今の若い人達は浴衣を捨てるようなことはしなくなったんです。」

品行方正な若者が増えてきた、と思いきや。

「若い人は、浴衣でも着物でも次々と回すんです。」

最初、私は意味がよく分からなかった。

「いらなくなった浴衣や着物、もらった着物、小物でもなんでも、皆メルカリやオークションに出して処分するんですよ。」

もう三十年も前から古着の業界が活気づいている。しかし、当時は着物を古着に出すのは極一部の人達だった。わざわざ古着屋さんに着物を持って出向いて値踏みをしてもらって売って来る。そのような手間は万人のできるものではなかった。

しかし、今日情報産業の発達によって誰にでも簡単にできるようになった。着物や浴衣に限らず、3000円で買って、いらなくなったものは500円ででも処分できれば良い。あわよくば1000円で処分したい、という希望が簡単に手続きできて換金する事ができるようになった。

持っている浴衣が不要になれば即座に処分する。購入する方は、「どうせ一回しか着ないから」とか「安けりゃ安い方が」と言う思いで購入し、用を足せばまた処分する。そう言ったサイクルができつつあるらしい。

つづく

Ⅶ-27 着物の正しい認識(その5)

着物も同じである。現在の着物は、誰かがデザインして出来たものではない。長い日本の歴史が、合理性や装飾性、また習慣に則したものとして創り上げてきた。そしてそこには技術の進歩がその進化を助長してきた。

今日の着物は、日本の長い歴史とそれを創ってきた人々の努力の上にある。それ故に日本の着物は、世界中の人達にも、素晴らしい日本の文化として受け入れられている。

着物は、非常に合理的に出来ている。それは構造のみならず、メンテナンスやTPOにも及ぶ。
襦袢には半襟が付いている。着物には掛け衿が付いている。いずれもそれらの役割は汚れに対する工夫である。首筋に付きやすく汚れやすい処に付けた交換可能な布である。

八掛は、袷の着物の裏地で、表地の色とのハーモニーを楽しめるが、実は、表地が破れるのを防ぐ役割がある。八掛は表地よりも少しはみ出させて仕立てるので、裾が擦れた時、表地は擦れずに八掛が先に敗れる仕組みになっている。八掛が破れたら仕立て直すときに八掛をずらせば、元通りに仕立てる事ができる。

着物のパーツやTPOを始めて見る人にとっては、「何の為に?」と思われるものもあるが、それらも歴史を踏まえた理由がある。

伊達襟(重ね衿)と言うものがある。始めて見る人にとっては、お洒落の為の只の飾りに見えるかもしれない。しかし、伊達襟は、おそらく十二単までその起源は遡るだろうと私は思うけれども、暖かさの演出である。

十二単を着ていた人は御殿の奥でひっそりと暮らしていただろうけれども、庶民とはかけ離れた生活である。十二単の華やかさの幾許かを伊達襟を付け目事で演出し、暖かさを表現している。

黒留袖には、「比翼仕立て」がなされる。着物の内側に「比翼」を付ける。何故このようなビロビロとした布を付けなければならないのか、不思議に思う人もいると思う。昔は比翼を付けずに、留袖の中には「下着」と呼ばれるものを着ていた。着物の下着と言うと「襦袢」を連想される方もいるけれども、下着は襦袢とは別物である。下着は襦袢を着た上に、留袖(着物)と重ねて着る。

従って、衿や裾からは下着が重なって見える。後に下着を着るのを省略したのかどうかは分からないが、下着を着る代わりに比翼仕立てをして、あたかも下着を着ているかのように見せたものである。

このように、着物は時代を経てより合理的な形となり、また伝統を踏襲しつつも、より着易いものに改良され受け継がれている。

そういう意味で、今後着物が変化してゆく中で、築き上げた伝統と慣習を尊重していかなければならないと思う。その為には、着物はいままでどのように着られてきたのか。その着物を着る意味は何なのか等、着物を知ることにより、より良い着物の将来が開ける事と思う。

着物の正しい知識を得る事が、着物の文化をさらに良い物とするだろう。

Ⅶ-27 着物の正しい認識(その4)

日本の着物は、決して昔から変わらない訳ではなく、時代と共に変ってきた。現代の着物と飛鳥時代や奈良時代の衣装とは似ても似つかない。しかし、その変遷は時代と共に徐々に途切れなく連続的である。昨日まで着ていた衣装が、今日から日本全国で全く違う衣装になることはなく、着ている人から見れば、何の違和感もなく変わってきたのである。

着物の形式やTPOが比較的短いサイクルで(洋服に比べればずっと長いけれども)変化している。それでは、果たしてこれからの着物は、どのように変わって行くのだろう。「これから」とは言わず、今目の前で起こっている着物の変化をどう受け止めればよいのだろう。

「女性は羽織を着なくなった」「男性が結婚式で白の紋付を着る」「女性が男性の古着を着る」「葬式で一般参列者は黒紋付を着なくなり、着て行けば親族と思われる」「浴衣に比翼をしたり、帯締めをする」等々、今の着物は昔と変わってきている。これを「着物文化の乱れ」と捉える向きもある。

私は、着物が変化してゆくのに必ずしも反対する、あるいは畏怖を覚える物ではないが、現代の着物の変化は、「着物文化の乱れ」と言う要素も多分に含んでいると思う。

改めて言うが、着物は千数百年の歴史を経て今日の形となっている。日本人が長い時を掛けて、試行錯誤しながらその時代の衣装を創ってきた。

着物に限らず、人類の歴史が創り上げてきた文化は人を感動させるものである。

衣装、建築、料理、音楽等、国や民族が違えば全く違うが、それぞれの民族が長い歴史の中で育んできたものは、他の国や民族の人にも感動を与える。

京都には沢山の外国人観光客が押し寄せている。何故それ程までに京都は世界中の人々を魅了するのだろうか。京都には、金閣寺や銀閣寺、清水寺、京都御所など名刹や名所が沢山ある。しかし、京都の本当の魅力はそればかりではない。

烏丸通りや四条通、河原町通から一歩出れば、そこには町屋が並んでいる。その一角には名もない小さな社があり古い地蔵さんが立っている。そして、地蔵様には真新しい頭巾と前掛けが着せられ、お供え物が供えてある。それは京都の人達が千年以上の時を掛けて育んできた風景である。

日本の文化や歴史を知らない外国人であっても、それは直ぐに日本の風景だと認識する。日本人が積み重ねてきた文化には、日本を知らない外国人も感じ入るのである。その反対の例もしかりである。

多くの日本人が世界中を旅しているが、欧米の歴史を知らない日本人でも、キリスト教の文化を良く知らない日本人でもバチカンのセントピーター寺院の前に立てば、その壮大さと奥深さに感動する。欧米の人達が育んできた歴史を感じるのである。

料理も同じである。京都の料理は「京料理」とも呼ばれている。平安時代には、ヒジキと油揚げが最高の御馳走だったと聞いたことがある。真偽のほどは分からないが、今よりは遥かに貧しい食生活だっただろう。しかし、その後千年の間に、京料理は、地道に素材や調理法を工夫してきた。

海が遠いにも関わらず、鰊を取り入れ「ニシン蕎麦」や「鱧料理」を京料理の名物にしている。京料理の職人たちは試行錯誤を繰り返しながら、それまでの料理を土台に京都の味を創り上げてきたのである。

つづく

Ⅶ-27 着物の正しい認識(その3)

現代の女性の式服とされる黒留袖は、それ程昔からある着物ではない。年配の方の中には、「黒留袖」を「江戸褄」と言う人がいる。もともと「江戸褄」は、「黒留袖」ではなく、引きずりの柄付けの名称である。柄を高くまで配した「島原褄」に対して柄の低い着物を「江戸褄」と称した。派手な「島原褄」に対して江戸の質素な「江戸褄」と言う位置づけだろう。

黒留袖には裾にしか柄がなく、比較的低い柄なので、留袖を江戸褄と言ったのかもしれない。これは、黒留袖と江戸褄が昔から共存していたのではない事を意味している。黒留袖も日本の長い歴史から見れば、ごく最近にできた着物だと言っても良い。

「訪問着」もいつ頃できた着物なのか私は知らない。戦前には「訪問着」と言う着物はなく、似たような着物は「さんぽ着」と言われていたらしい。

「付下げ」に至っては、昔はなかった着物である。『付下げと訪問着の違い』については、「きもの講座 2 きものの格について」で詳しく書いているので、そちらをお読みいただきたいが、「付下げ」と言う言葉ができたのは昭和30年頃らしい。今でこそ、訪問着だの付下げだと言われるけれども、昔はそのような着物はなかった。

「紗袷」と言う着物があるが、一般に市場に出回ったのは昭和40年頃らしい。しかし、大正時代頃、花柳界で着られていたと言う話もある。

而して、着物の形式はわりと短期間で変遷している。現代の着物が、数百年も前から着られている訳ではないのである。

TPOについても同じことが言える。

現代の感覚で言えば、白は慶事の色、黒は弔辞の色と言う印象があるが、昔は反対だった。白装束は市に装束である。黒紋付は最高の式服であり慶事に着られた。慶事に着られる黒留袖が黒なのはその名残だと私は思っている。

戦国時代に来訪したポルトガルの宣教師が、日本と欧州の慶事・弔辞に着られる黒白の装束が正反対なのを驚いた記録がある。白が慶事となったのは、欧米の習慣の影響かもしれない。

最近、結婚式で新郎が白の紋付を着ているのを良く見かける。「新婚早々切腹でもするのだろうか。新婦がかわいそうに。」等と私は冗談を言うのだが、従来の着物の感覚とはずれてきているのは事実である。

式服と言えば戦前は、縞御召に黒羽織が女性の正装だったと聞く。今は女性の御召は正装とは見られないし、正装に羽織は着ない。我々が小学校の時代は、PTAのお母様方は、入卒式には黒の絵羽織が定番だったが、今はほとんどなくなってしまった。私が京都の問屋にいた時(昭和50年代後半)、黒の絵羽織が一山(20反位)が手を付けられずに置いてあった。丁度時代の境目だったのかもしれない。

例を挙げればキリがないのだが、着物の形状、着物の種類、TPOは時代と共に変遷してきた。それも、その変化とは、比較的短いサイクルである。まず、このことを頭に入れておいて欲しい。
さて、ここで話をやめてしまうと、着物について大きな誤解が生ずることになる。着物を本当に理解してもらうのはここから先である。

つづく

Ⅶ-27 着物の正しい認識(その2)

「着物は日本の伝統衣装」「古来から日本人が着てきた」などと言われるけれども、現代の我々が着ている着物の歴史は、それ程古い物ではない。

日本人は2000前にはどのような衣装を身に纏っていただろうか。庶民は、貫頭衣と呼ばれる簡素な衣装を着ていた。今の着物とは似ても似つかぬ衣装である。時代と共に、衣装は合理性と共に装飾性も重視され、より複雑な衣装となる。

平安時代の十二単らしい衣装を見ると、現代の着物のルーツを見たようにも思える。しかし、幾重にも重ね着をして裾を引きずって歩く様は、着物とは似ても似つかない。

時代を下り、着物の直接のルーツと思われるのは小袖である。小袖を着た絵や博物館で衣桁に掛けられた小袖を見ると、現代の着物とそう変わらないようにも見える。

しかし、細部を見れば小袖は現代の着物とは大きく違っている。また、着方も違っていた。今のように帯の太鼓結びはなく、細帯を締めていたり、花柳界では帯を前で結んでいた。現代の着物姿で江戸時代にタイムスリップしたとしたら、江戸の街の人達に奇異の目で見られることだろう。

逆に現代から歴史を遡れば、現代の着物のルーツはどの辺にあるのだろう。

現代の女性の着物の特徴は「おはしょり」と「太鼓結び」である。
「おはしょり」の起源については、専門家に聞くしかないが、昔の「ひきずり」と関係があるのではないかと思う。当時の上流階級の女性の着物(今で言うフォーマル着)は、「ひきずり」だった。裾を前で合わせないために、柄は「島原褄」や「江戸褄」と言った、左右前身頃(今で言う上前下前)の柄が同じように描いてある。

もちろん屋内の衣装だったが、表に出ようとすれば、裾をたくし上げなければならない。京都の舞妓さんは裾をたくし上げて手で押さえながら歩く姿を見かける。手で押さえないとすれば紐で固定しなくてはならない。そういった事情で「おはしょり」ができたのだろう。

太鼓結びは江戸時代、文化・文政時代(1800年代初期)に考案されたと言われている。当時、どれだけ一般的だったのかは知らないが、次第に太鼓結びが一般的になってきた。明治に入ると一般化していたのだろう。

いずれにしても、現代の着物姿の原型は明治時代の頃で、せいぜい150年位の事のようだ。

明治以後、150年間の間にも着物は変化してきた。

名古屋帯は単衣太鼓の帯を意味しているが、元々は胴の部分を反巾に仕立てた、いわゆる名古屋仕立ての帯を意味していた。これは、大正時代に名古屋で発明されたもので、全国に広まっていった。せいぜい百年前の事である。

着物の形状は、季節により、性別により、またフォーマル、カジュアルの別に関係なく基本的には同じである。振袖は袖が長い、男性用は身八口がない等細部では違いはあるが、概ね形は同じであり、個性的な形の着物はない。

着物の形状は、昔から変わりがないように思われるが、小袖から現代の着物に変わったように、非常に長いスパンではあるが、変化している。

変化しているのは、着物の形状だけではない。着物の種類やその着方、所謂TPOも時代と共に変化している。

つづく

Ⅶ-27 着物の正しい認識

日本の着物の素晴らしさは、今更説明するまでもない。日本人ばかりではなく外国人の着物に対する関心も並々ならぬものがある。

札幌冬季オリンピックの前に開かれたグルノーブルオリンピックの閉会式で、札幌市長と共に現れた振り袖姿の女性を見ようと、選手達が一斉に列を崩して殺到したときの様子は余りにも印象的だった。

母が30年前に旅行で中国に行った際、当時は現在の中国とは違って皆人民服を着ていた当時だけれども、母の着物姿を見ようとたちまちに黒山の人だかりになったという。

今、京都や浅草を歩けば、着物や浴衣を着た外国人に遭遇する。着物を着てみたいと言う外国人は少なからずいる。

先日、着物を仕立てたお客様が、次のような事をおっしゃっていた。
「着物の魔力はすごいですね。」
その方は、最近着物を着始めたのだけれども、着物を着て行ったら、皆の見る目がまるで違ったという。他のお客様とも着物の話を良く話をするが、
「日本人は、どんなに高価な洋服を着ても、着物にはかないませんね。」
と言うのは、誰しも認めるところかと思う。

では、着物の良さとは何か。何故、着物は素晴らしいのかを深く考えてみたいと思う。

「着物は日本の伝統の衣装」「日本古来の着物」と言う見方がある。また一方で、正反対の見方もある。業者によっては、
「着物や浴衣は自由です。どんな着方をしても良いんです。」
と言って、今までの伝統からすれば、まるで外れた着物の着方を勧めている。平時に黒紋付(喪服)を着る。女性が男物の羽織を羽織る。浴衣に比翼を付ける。浴衣帯に帯締めを締める等々、今までには考えられなかった着物の着方が巷にあふれている。

着物の伝統を擁護しようとする人達、着物の伝統を無視して着物を着る人達、客観的には、どちらにも軍配を上げるわけには行かない。着物に限らず、着る物に関して法的な規制はない。何を着ようと個人の勝手だからである。

規制があるとすれば、それは社会的な目である。その人の衣装が社会的に受け入れられるのかどうかは、本人の好みで決められることではない。葬儀に赤いワンピースを着ていけば、その人は社会的な制裁を受けるのである。

さて、社会的な目とは、社会一般の常識である。社会常識が正常であれば、衣装を通したコミュニケーションもうまく行くはずである。

着物に関する社会常識を正常にするには、日本人の着物に対する認識を正しい物にしなければならない。「正しい物にする」というのは、画一的な着物を目指すのではなく、着物に対する正しい認識に立脚して、今後の着物のあり方を考えなければならないと思うのである。

そういう意味で、着物の良さは何なのか、日本人にとって着物とは何なのかを考えていただきたいのである。

つづく

Ⅶ-26 再々・・・度、着物のしきたりについて(その2)

「道」(タオ)は、哲学的にはとても難しい概念で、私が解説できる代物ではないが、私は「真実」「真理」または「人の道」と解釈している。私なりの言葉で老子の言葉を解釈すると次の様である。

「人が歩むべき真理は、『これがそうです』と言葉で言える物であれば、それは本当の人の歩むべき真理ではない。真理には名前やお題目もない。・・・・・名の無い真理をすべて受け入れようとする人には真理の本質を認識できるが、真理を我が物にして、そのお題目に与ろうとする者には真理の本質は見えず、その形骸を認識するのみである。」

「道」と言う深遠な概念は人が言葉で表現できる域を超えている。しかし、それは認識できない事ではないが、認識しようとすれば逃げて行くのである。

大変哲学的な話になってしまったが、この言葉は、着物のしきたりの本質を突いているように思われる。

日本の着物のしきたりは、千数百年の時を経て確立されたものである。時代の変遷により着物の形態は微妙に変わり、また社会体制の変化による礼儀や常識も変わってきた。しかし、時代や地域によってしきたりは一見バラバラにも見えるが、衣装に対する日本人の意識(日本人だけでなくどの民族の意識も)には真っ直ぐな筋が通っている.

そのしきたりをお題目で把握する事はとても困難、いや不可能である。

老子の言葉を再度、着物のしきたりに合わせて要約してみる。

「『これが着物のしきたりです。』と言葉で言える物があれば、それは本当の着物のしきたりではない。着物のしきたりを一覧にする事は出来ない。・・・・着物を着る時には、自分の着物の知識や持っている着物を誇ることなく、何を着ればその場に一番合うのか、その場の雰囲気を盛り上げ、他人の心を満たせられるのか、そう考えて着物を着る人には着物の本当のしきたりは見えてくる。しかし、己の知識をひけらかし他人に押し付け、『着物のしきたりはこうだ。』と断言する者は、何時まで経っても本当の着物のしきたりは見えず、着物のしきたりの形骸しか認識できない。」

きもののしきたりを知ることは、今迄積み上げてきた日本の文化、日本人の心を知る事である。日本人が何を大切に守ってきたのかを考えれば、きもののしきたりは朧気ながら見えてくるのではないだろうか。