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Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その8)

現代の、着物に向き合う人(着る人も売る人も含めて)の着物との付き合い方は余りにも偏っている。昔は、高価な着物から普段に泥だらけになって着る着物まであったはずなのだけれども、今は着物と言えば宝石の如く扱われている。

何故そうなってしまったかと言えば、着物を着る人が少なくなってしまったのが大きな理由である。普段着は洋服が取って代わり、着物と言えば振袖をはじめとして晴れ着が主流となった。普段着である紬や綿反、ウールは、生産単数が減り、本当の普段着として織られていたそれらの反物は採算が取れずに姿を消していった。今織られている紬は、付加価値の高い紬ばかりが多くなってきている。

そう言った事情で着物は特殊なものとして扱われ、着物の付き合い方も昔とは変わってきたのである。

しかし、実はそればかりではない。着物が特殊なものになってしまった原因は、我々呉服業界にある。それは、相当な責任である。

呉服業界が斜陽産業となり需要が減り続けた時、業界はどのように振舞ったのか。どんな産業でも売り上げが減ればそれを阻止しようとする。それは当然の対策である。目的は需要の喚起と利益の確保である。しかし、その方向が誤っていた。

需要の喚起の為、あらゆる手段を用いた。過度な勧誘の展示会商法、招待旅行、二重価格による値引き商法、多大な景品など。そして、お客を取り囲んで着物を買わせる、といった犯罪的商法にまで至っている。

そして、利益を確保するために価格のつり上げ、経費の上乗せが行われ、着物の価格は高騰し普段に着る紬でさえも消費者の目には高価な着物と映るようになってしまった。

更に、着物を利益を生む手段としか考えない業者が現れ、普段に着物を着たいと思っている人達の芽を摘んでしまった。

普段に着るような着物、安価な紬や綿反、ウールなどを扱っている呉服屋はどれだけあるだろうか。メリンスの着尺や襦袢、ネルやセルは手に入りにくくなっている。あることはあるのだが、柄数が極端に少なくなっている。扱う問屋も減ってきている。

呉服屋の販売員で仕立て替えや仕立て直しの知識を持っている人はどれだけいるだろうか。古い着物をできるだけ難が目立たないように、いわば巧く仕立てる術をお客様に的確にアドバイスできる呉服屋はどれだけあるだろうか。

仕立替えや仕立て直しなど儲からない。それよりも高価な着物を売ることに精を出している呉服屋が多くはないだろうか。もっとも私は、そのような呉服屋は呉服屋の名に値しないと思っている。

着物は特殊なものではない。本当の呉服屋は晴れ着から普段着まで、どのようなメンテナンスにも応じてくれるはずである。そして、そのような呉服屋はまだ全国にたくさん残っていると信じている。

着物との付き合い方を根本から見直し、いや本当の姿に戻し、それを支えてくれる呉服屋を育ててはもらえないだろうか。呉服屋からの消費者へのお願いである。

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その7)

第三に、着物の取り扱い方である。

着物は高価でデリケートで、取扱い、メンテナンスが難しい、というのが今の人達の着物に対する認識ではなかろうか。

私たち呉服屋も着物を壊れやすい宝石の様に扱い、シミを付けぬ様、キズを付けぬ様最新の注意を以て扱っている。特に一越縮緬の友禅の訪問着や塩瀬の染帯は汚さぬように、折傷を付けない様気を付けている。唐織や浮き糸のある帯は糸を引っかけぬ様気を遣う。

また、仕立は正確な寸法で仕立てることはもちろん、絵羽であれば柄がぴたりと合うように、小紋であっても柄付けによっては全体的に柄がどこかに寄ってしまわない様に考えながら仕立てている。

高価な着物は取扱いや仕立てに気を使わなければならないのは、それを売る呉服屋では当たり前に求められる姿勢であり、高価な着物を購入するお客様にとってはそれを求めるのも当然である。

しかし、昔は日本人皆が着物を着ていた。貴族から庶民にいたるまで。また、普段でも晴れの場でも着物を着ていた。庶民が普段に来ていた着物はどのような着物だろう。そして、その着物はどのように扱われていただろうか。

その基準から言えば、今呉服屋で売られている着物の大半が貴族が来ていたような、又は庶民が晴れの場で着ていた着物と言える。加えて、昔庶民が来ていた着物、例えば結城紬や大島紬等は、その希少性や人件費の高騰による価格の上昇により、普段着ではあるけれども貴族が着る着物あるいはそれ以上高価な着物になっている。

そういう意味で、昔庶民が普段に来ていた着物と言えるものは、今ほとんど呉服屋の店頭からは消え去ってしまった。私の店ではネルやセル、メリンス、綿反など扱っているが需要は非常に少ない。中でも庶民の着物であっただろう会津木綿などの一万円以下で買えるような綿反の仕立てはほとんど注文がない。

本当の意味での「普段着の着物」と言うのは、もはや絶滅したと言っても良い。従って「普段着の取り扱い、仕立て」と言うのはなくなり、全ての着物が宝石を扱うような姿勢を求められている。

さて、このお客様には晴れ着を納めたこともあるが、その時はもちろん他のお客様同様に大切に納めさせていただいている。しかし、このご主人の普段着の場合、私は昔の呉服屋になったような気がしてしまう。

蔵の隅に眠っている反物を持ってきては仕立てを頼んでゆく。長年蔵の隅に眠っていた反物は汚れやヤケ、たまには引っかけたキズがあったりする。長年着古した普段着の仕立て替えを頼まれれば、擦り切れやキズ、古いシミなどいくらでもある。

余りに古い反物は洗って汚れを落とし、時にはカビを払ったりする。仕立て替えの時には洗い張りをして仕立てる。それらの生地は、まともな反物から見れば明らかに難物である。もちろん新品として売ることはできないし、宝石のような着物ばかりを見ている人には着るに値しない着物かもしれない。しかし、昔はこういった着物を大切に仕立てを繰り返して着ていたのである。

仕立てる前にはこのご主人に、キズやヤケ、取れないシミがあれば説明する。そして、「難のある場所は下前の目立たないところに」とか「裏側の方がきれいなので裏返しに仕立てます」とか「袖口が擦り切れていますので左右逆にします」「身丈が足りないので別布を帯で隠れる部分に継ぎます」と仕立て方を説明します。

これらの仕立ての技は、宝石のような着物達にとっては屈辱的かもしれない。あるいは「呉服屋がごまかして仕立てた」と言われるかもしれない手法である。しかし、そのご主人は、「ああ、結城さんの思うとおりにやってください。普段に着られれば良いですから。」と、一向に気にしない。

私は普段着だからと言って仕立てに手を抜く気はさらさら無いし、如何に難を目立たせないか、むしろ正反よりも仕立てには気を遣う。実際にこのような仕立てでも難が目につくことはほとんどない。下前に汚れがあっても捲くって見なければ分からない。やむを得ず剥がなければならない時でも外から見える場所には剥がない。着物の機能として何ら問題はないのである。

本人にしてみれば、機能的には仕立て替えによって新品同様となり、また何年も着る事になる。おそらく洋服よりも安いだろう。いや、本人は安いとか高いとかの感覚ではなく、自分が着たい着物をごく当たり前に仕立てや仕立て返しただけなのだろう。着物と実に自然に付き合っているように思える。

私は、このようなお客様に出会うと呉服屋の原点に戻ったような気がする。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その6)

第一に、この家庭では、着物と縁を切ってはいない。おかしな言い方かもしれないが、現代の日本の家庭を見ると「着物と縁を切っている」と思われる家庭が多い。

着物は一枚も持たず、冠婚葬祭は着物を着るという感覚は全くなく、常に洋服。一生着物を着ない人もいるかもしれない。日本人である限り、冠婚葬祭をはじめ、着るべき時には着物を着る、または選択肢として考えていただきたいのだが実際はそうはなっていない。

この家庭では着物を排除していない。主人以外は普段着物を着る事も無いし、度々着物を仕立てるわけではない。しかし、必要な時には着物を着るし、適切な着物がなければ仕立てもする。

今時、全ての日本人が普段に着物を着るべきだ、などと原理主義を振りかざす気はないし、振りかざしたとてなびく人はいないだろう。ただ日本人として生活の片隅に着物の居場所を創っておいていただきたいのである。

第二に、この家庭では着物を特別なものとは見ていない。

日本の現代の衣装は、まちがいなく主流は洋服である。着物と縁を切っていない人でも「着物」と聞くと特別な衣装、と身構える人が多いように思える。着物が好きでしょっちゅう呉服屋に出入りしている人は極一部で特殊な人と思われている節がある。

たまにしか着物を着ない人は呉服屋に入るのは勇気がいるらしい。そして、着物を仕立てることは特別なことと思われている。たしかに普通の人にとって着物を作るのは稀だしお金もかかる。特別なことと思われても仕方がないかもしれない。

しかし、考えて見れば、洋服も同じである。お洒落に興味のある人は、給料日毎にブティックに出入りするかもしれない。それは着物を好きな人が呉服屋に出入りするのと同じである。普通の人はそれ程ブティック、洋服屋に通っているわけではない。

私は25年前にコートを買って、それ以来コートは買っていない。今度買うとしたら30年ぶりかもしれないが格別緊張はしない。25年は長すぎるが、スーツやコートは10年に一度しか買わない人もいるだろう。しかし、スーツやコートを10年ぶりに買いに行っても緊張したり特別な思いはないだろう。

確かに洋服と着物は価格も着付けもメンテナンスも違うので、洋服ばかり着ている人には違和感を覚えるかもしれない。しかし、「衣装」と言う大きな目で見れば、どちらも同じであり特別な感慨を抱く必要もないのであるがなかなかそうもいかない。

この家庭では着物に対して特別な思いは感じられない。ごく普通に「着るべき物」「衣装」として付き合っている。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その5)

さて、ウールは洗い張りをしないので私が解いた。自分で解けば着物の状態がよく分かる。解いた裂片は一枚でもなくせば仕立て替えはできなくなる。注意して糸を抜きながら解いた。小さな穴が開いたり擦り切れているものもある。

解いた後は仕立てである。仕立士を呼んで仕立てを頼んだ。仕立士は職人としてプライドもあり、古い着物の仕立て替えは嫌がるのかと思いきや、仕立て直しも喜んで受けてくれる。仕立て替えの場合、既に裁ってあるので、反物にハサミを入れる緊張から解放されるという。

そして、今回のような破れや擦り切れなどがあるものは、どのようにしてその難を目立たせなくするかは、その仕立士の腕の見せ所となり、仕立士によっては、そう言った仕事を好んで受ける人もいる。

仕立士には傷のある個所、擦り切れている場所を示しながら仕立て直しの方法を話し合った。「おくみの丈の足りない分は衣敷から採る。」「右左の袖を反対にして、擦り切れた袖口を袖付けにする。」他に「穴の開いた部分をできるだけ目立たせないで」等々。

果たして古いウールの着物は仕立て替えられて仕上がってきた。洗い張り、折消しをしていないので、アイロンで伸ばしているとは言えども若干の折痕が残っているが、袖口の擦り切れはなくなり(袖付けの中に織り込まれている)、本人の寸法通りに仕立て上がった。

その後、綿絣も仕上がり納めることができた。加工代は、解き代と仕立て代程度なので新品を仕立てるよりも遥かに安い。新品と同じとは言えないが、普段に着る着物なので何も不都合はない。そのお客様には大変喜んでいただいた。

私の店のお客様について色々と書いてきたが、このお客様と言うよりもこの家の方々の着物との付き合い方は、現代の日本の家族の手本になることが多々あるように思える。その一つ一つについて解説しよう。

第一に、この家庭では、着物と縁を切ってはいない。

おかしな言い方かもしれないが、現代の日本の家庭を見ると「着物と縁を切っている」と思われる家庭が多い。

着物は一枚も持たず、冠婚葬祭は着物を着るという感覚は全くなく、常に洋服。一生着物を着ない人もいるかもしれない。日本人である限り、冠婚葬祭をはじめ、着るべき時には着物を着る、または選択肢として考えていただきたいのだが実際はそうはなっていない。

この家庭では着物を排除していない。主人以外は普段着物を着る事も無いし、度々着物を仕立てるわけではない。しかし、必要な時には着物を着るし、適切な着物がなければ仕立てもする。

今時、全ての日本人が普段に着物を着るべきだ、などと原理主義を振りかざす気はないし、振りかざしたとてなびく人はいないだろう。ただ日本人として生活の片隅に着物の居場所を創っておいていただきたいのである。

第二に、この家庭では着物を特別なものとは見ていない。

つづく

来週(12月31日)は休ませていただきます。
 新春1月7日よりUP致します。

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その3)

その家は名家で、山形で大きな会社を経営している。息子さんは既に社長さんで、お父さんはもう引退している。

先々代から付き合いはあるが、度々着物を買いに来ているわけではない。私の父が生きていたころ先代さんと合えばよく「結城さん、娘結婚する時には着物を買うから。」と言われたのを私もよく聞いていた。

私が山形に戻ってきてからあまり店に来たことはなかったが、その娘さんが嫁ぐ時には一式揃えてくれた。他にも結婚式など必要な時に何度か買っていただいたが、しょっちゅう店に来るわけではない。必要に応じて必要な着物を買いに来ていた。私の店でも着物を売り込みに行くでもなく、着物について相談されれば相談に応じていた。

その家の方が私の店に余りやってこなかったのは訳がある。それは、着物を買う必要がなかったのである。買う必要がないというのは、名家であるがゆえに着物はたくさん持っていた。先代に嫁いできた大奥様も沢山の着物を持参したのだろう。また、先々代の旦那はいつも着物を着ていた。だから沢山着物を持っていた。

つまり、着物を着る事はあるが、買わなくても着物はある。しかし、必要に迫られれば結城屋で着物を買う、という極当たり前のことだった。

さて、その息子さん(社長さん)が着物姿で自転車の荷台に大きな風呂敷包みをつんで店にやってきた。普段はスーツ姿の社長さんである。

「〇〇さん、今日はどうされたのですか。」
と聞くと、

「先輩(私の事を先輩と呼んでくれる)、ちょっとこれを見てもらいたいんです。」
そう言って荷物を解いて店に持ち込んだ。風呂敷からは反物が十反程出てきた。

「蔵を掃除したら出て来たんです。」
反物はいずれも古いものだった。黄色くなった箱に入ったものや、破れた紙に巻かれたものなど。綿やウールの反物だった。

「私は家ではいつも着物なんです。この着物を着てお尻を端折って洗濯や風呂掃除をしています。」

大社長さんが家で着物の尻を端折って風呂掃除をする姿を想像して、少し可笑しくなったが、かえって名家に似つかわしいようにも思えた。そして、
「私の次男も着物が好きで息子にも一枚作ってやりたいのですが、これで何とかなるでしょうか。」

私は反物を一反一反調べた。中には初めて見る反物もあった。ウールの丹前地である。ウールの生地の裏にネルの生地を張り付けたような反物だった。仕立てれば単衣の仕立物になるが、袷と同じような温かい着物になる。生地の端には「寿」の字が赤く染められていた。

「昔、結婚式で引きものとして貰ったもののようです。昔は引きものに反物を使っていたんですね。」

結婚式で貰った反物をそのまま蔵に仕舞っていたものらしい。

他にもウールや綿反があった。それぞれの反物の幅を計ってみたが、男物に仕立てるのに綿反は幅が狭く裄が出ないものが多い。結局、丹前地が二反あったので、本人と息子さんの着物を仕立てることになった。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは

着物を取り巻く環境は日に日に厳しくなっている。着物の需要が減少し、業界が急激に萎んでいる、と言った我々の商売上の話だけではない。「日本の着物」が我々日本人から日に日に遠ざかっていると感じているのは私だけだろうか。

私の店のお客様に限らず着物が話題になると皆口をそろえたように、「着物は高いから」「一人で着られないから」「着るのが大変で」「いちいち髪もセットアップしなければならないから」「メンテナンスが大変でしょ」等々、着物を敬遠する言葉がゾロゾロと出てくる。

毎日のように着物を着ている人はほとんどいなくなった。私の母も女房も毎日着物を着ているが、「呉服屋さんだからでしょ」の一言で片づけられ特別な存在に見られてしまう。呉服屋や旅館の女将さんなど、必然的に着物を着る人以外の言わば一般人が毎日着物を着ていると、変人扱いされるか、または着物の業界で英雄視されるといった現象まで見受けられる。

着物は日本人にとって全く特別な衣装となってしまった感がある。日本人は昔から皆が着物を着てきた。江戸時代や室町時代とは言わずとも、ほぼ現代の着物の形ができた明治から大正、昭和の初めにかけて日本人は、ほぼ全員が着物を着ていた。

次第に洋服が着られるようになったが、初めは洋装の人をモボ、やモガと言ってむしろ特別視していた。戦後、急速に洋装化が進み現在に至っている。洋装と和装の立場が逆転したのである。

衣装に限らず西洋化は日本の一つの方向性として明治以後勧められてきた。

料理も洋食が生活の中に次第に入り込んできた。とは言っても戦前までは洋食を出す店は少なく洋食を食べるのは庶民の憧れだったという話も聞く。しかし、戦後急速に洋食は日本の食卓に入ってくる。食糧不足の日本にGHQがパン食を勧めたのは、アメリカが後々小麦を日本に輸出する為の地政学的政策だったともいわれているが、それが真実かどうかにかかわらずパン食は日本人の生活に溶け込んでいる。

更に、スパゲッティーやハンバーガーなど昔は日本人が口にしなかった食べ物が幅を利かせるようになっている。料理、食品も着物と同じように西洋化が進んでいるとも解されるけれども、両者は根本的なところで違っている。

確かに現代日本の食品事情を見るに、和食の占める割合は少なくなっている。しかし、いくら和食が少なくなっていると言えども、決して和食は否定されてはいない。否定されるどころか、高級な料亭や料理店は繁盛している。進んで和食を学ぼうとする人もいる。

ハンバーガーが好きだ、イタ飯が好きだ、ステーキが好きだと言っても和食を食べない人はいないだろう。現代日本において和食と洋食、また中華料理やその他の料理も見事に共存していると言える。これから先、ハンバーガーチェーンがいかに売り上げを伸ばそうとも和食がなくなることはあり得ない。

日本人は和食の他にも様々な料理を食べ、幸せな食生活を享受している。

しかるに、翻って着物の世界を見ると、日本の着物は洋服に一方的に駆逐されている。何故こうなってしまったのだろう。和食も洋食も食べるように、着物も洋服も両方のファッションを楽む、と言う事にならなかったのはなぜなのか。一体何が違うのだろう。

Ⅶ-ⅺ 再度、着物の価値について(その3)

一口に「着物の価値」を判断するのは難しい。難しいというよりも価値を判断しようとするところに無理がある。

以前、友人から着物を譲ってもらうのに、どの着物が一番価値があるのかを相談されたことがあった。その価値の判断材料は「作家名」「買った価格」「落款の有無」などである。

確かに高名な作家の作品は、名もない作家の作品よりも価値があると判断されるかもしれない。価格の高い着物は安い着物よりも価値があると判断されるかもしれない。しかし、着物は金や株のような相場はない。客観的な価値は決められないのが着物だと思った方が良い。

着物を選ぶ動機は何だろうか。それはズバリ、その着物を着てみたいかどうか、それだけである。そして、その着物の価格が自分の財布にふさわしいのかどうかが決断させてくれる。どんなに着てみたい着物でも財布にふさわしくないのであれば買うのを諦めるだろうし、自分の財布の許容範囲であっても着たくない着物であれば買うことはないだろうから。

自分が好きな洋服を買う時、後々転売することを考えるだろうか。有名ブランドの洋服だからと言って価値の増加を期待するだろうか。着物は洋服と同じように投機の対象には成りえないし、資産としての期待は相応しくない。

洋服と違うのは、着物は洋服に比べて高い(と言われている)ことである。高い買い物をする時は誰しも慎重になる。家を建てる時には自分が最も住みやすい家を選ぶのと同じように着物も選ぶ時には自分が好きで似合う着物を選ぶ。ただそれだけである。

しかし、着物を選ぶ時には悪魔のささやきが判断を狂わしてしまうのだろう。
「これは〇〇と言う作家物です。」
「この着物には落款が押してあります。」
「本当は〇〇円なのですが、お客様には××円で提供させていただきます。」
「少々高いですが、ローンを使えば月々〇円でお求めいただけます。」
他にも口にするのもばからしいような悪魔のささやきが消費者の正常な判断を狂わせてしまっているらしい。

今回持ち込まれた着物を購入された方が、本当にその着物が好きで購入されたのであれば私は何も言う事はない。

着物の価値とは、その着物を着る人にしか分からない。その事を理解して着物を選んでいただきたいと思う。

Ⅶ-ⅺ 再度、着物の価値について(その2)

訪問着の畳紙に値札が入っていた、印字された数字は「1,000,000円」。おそらく高額の商品を買った証として買った人が大切にとっておいたのだろう。そして更に値札の裏には赤で「700,000円」の印字があった。

私も呉服屋の端くれである。着物の値段とは30年以上向き合っているし、算盤をはじきながら仕入れもしてきている。目の前にある着物を仕入れようとしたらいくら位かは大体分かるつもりである。私の頭の中では、どう算盤を弾こうとも1,000,000円の数字は出てこない。

札を見れば、その着物を打った人の次のような売り口上が聞こえてくる。
「奥さん、これは1,000,000円の作家物ですが、今回は700,000円で買えますよ。」
着物の持ち主がいくらで購入したかは分からない。しかし、私の目にはとても700,000円の着物には見えない。

さて、弁護士の奥さんから私が要求されているのは、この着物の「価値」を判断することである。私は何と答えて良いか分からなかった。「着物の価値」とは何を意味するのだろうか。

「価値」と言うのは、どんな商品であれサービスであれ、その立場によって変わる物である。着物の価格の形成はとても複雑であることは既に述べた。

私の立場で着物を見れば、「いくらで仕入れる価値があるのか」「いくらで売る価値があるのか」が直感的に頭の中に浮かぶ。仕入れに行って欲しい商品を目にしたときは、直ぐにいくらで仕入れればよいのかが頭に浮かぶ。それは売る価格を考えての事である。どんなにすばらしい商品でも価格的に売れるあてのない商品は仕入れられない。

呉服屋にとって単純に「価値」と言えば、「いくらで売れる商品価値」というのが直感である。

しかし、目の前にある着物をその尺度に照らしても、私の頭の中で算盤玉は一向に動いてくれない。すなわち私にとってその着物は「仕入れたくない着物」であって、言わば「価値のない着物」なのである。もしも「ただで差し上げますので店頭に並べてください」と言われたとしても私は引き取らないだろう。

しかし、私に今求められているのは、私の主観的な価値ではなく客観的な価値である。おそらく法的な「価値」の鑑定を依頼されている。

では、法的な価値とは何を意味するのだろう。考えられるのは、①製造原価(染屋の出し値)、②問屋の卸値、③小売屋の売値(その着物の持ち主が買った値段)などが考えられるが、それらはどんな意味を持つのだろうか。その価格を調べたとしてもそれを皆が価値として認めるのだろうか。ましてその着物は仕立て上がっている。引き取っても仕立て替えなければならない人にとってはまた価値は変わってくるだろう。

金の価値は相場により左右される。しかし、相場の価格であればいつでも売買が成立するがゆえに金の価値は常に明確である。しかし、着物の場合は主観に左右される要素が大きい。

法的な価値と言えば「今処分すれば確実にいくらになるのか」と言う事に尽きるように思える。では、「その着物がいくらで転売できるのか」、それは私には応えられない。「100円です」と私が鑑定したとしても、私に100円で引き取りを要求されても私は引き取らない。

かと言って、「0円です」と答えたとしても、100円で引き取る人が出てこないとも限らない。無理に鑑定しても、私は私の鑑定に責任は持てないのである。

結局、着物に関するその辺の事情をよく説明したうえで価値をお応えすることなく引き取ってもらった。

後日談ではあるが、結局その着物は古物を扱う人に鑑定してもらい「価値は0」と言う事で決着したらしい。

つづく

Ⅶ-ⅺ 再度、着物の価値について

先日、改めて「着物の価値とは何なのか」と考えさせられる事件?があった。

知り合いの弁護士の奥さんから電話を頂戴した。内容は「訳があって二十枚ほど着物があるので見てもらいたい」との事だった。

こういった類の電話はお客様から良く頂戴する。母親や叔母さん、または知人に着物をたくさんもらいその利用法に関する相談である。寸法はどうなのか。直そうと思えば自分の寸法に直せるのか。また、仕立て替えする価値のある物なのかどうか。解いて羽織やその他の用途に仕立て替えられるのかどうか等など。

私の店ではそう言った相談には喜んでお応えすることにしている。着物の本当の良さを知っていただくには、そう言った着物本来の使い方を知っていただきたいからである。

先日も他のお客様が数枚の着物を持ち込んできた。その中に素晴らしい辻が花の紬の小紋があった。
「これは素晴らしいですよ。是非仕立て返してとって置かれたほうが良いです。」
そうアドバイスすると、
「えっ、そうなんですか。名古屋帯にでもしてもらおうと思ってきたのですが。」
とおっしゃっていたが、結局着物に仕立てて先日その着物を着て来店された。
「みんなに褒められました。」
そういう言葉を聞くと、私は呉服屋冥利に尽きるのである。

さて、その弁護士の奥様もその類の相談だと思った。そして、いつでもお出で下さいとお応えすると、今すぐに持ってくるという返事だった。

果たして三十分もしないうちに事務所の女性と二人で二十枚程の着物を持って来店された。目の前に山積みにされた着物は皆同じ呉服屋の畳紙に入っている。ただし二~三枚はクリーニング店の畳紙であった。
「これだけの着物一枚一枚寸法を測りながら見るには時間が掛かるな。」
と思っていると、
「この着物の価値を鑑定してもらいたいのです。」
と言うことだった。

その言葉の真意は別として、私は古い着物や仕立て上がった着物を見るのが好きである。昔の着物の中には、今ではできないような染織にお目に掛かることもある。最近の着物であっても私の店では仕入れていないような着物もある。そういう意味で、山と積まれた着物の畳紙を開いてみた。

最初の畳紙を開くと、そこには驚くような着物があった。「驚く」と言うのは、私の店では到底扱わないきものだった。一緒に見ていた母と従業員は「うわー」と言う声を揚げていた。

他の二枚の畳紙も開けてみたが同じだった。「このような着物が流通しているのか」と思い、他の畳紙を開けようとしたが、母が「もう見なくてもいいから」と見るのをやめてしまった。

その着物が私の店では扱わない商品であっても、それを売ったお店ではその店のお勧めの着物として扱っているのであって私が云々する事ではない。購入した人も、その着物が好きで買ったのであれば何も問題はないはずである。しかし、更に驚くことがあった。

つづく

Ⅶ-ⅹ 絵絞り庵再訪記(その3)

絵絞庵の新しい工房は、古い長屋の一角にあった。古いと言っても京都らしい町屋である。ここから奥へ行けば三千院のある大原である。この辺りの歴史は良く知らないが、他にも古い町屋が点在しているのが分かる。

京都の町屋はどこでもそうだけれども、古い建物を大切に、そして巧く使っている。玄関は畳敷きで小間が続いている。その玄関を上がると奥の座敷に廣利先生が昔と変わらぬ優しい表情で座っていた。奥様がお茶を出してくれて話をした。

健先生は今まさに若い染色家として歩き始めている。しかし、先生が取り組まなければならない課題は作品の販売の問題である。

前項でも書いたように、呉服業界の流通は以前とはまるで違ってきている。昔は、染織家は物創りに専念していた。もちろん創る作品は問屋や消費者に受け入れられる作品でなければならないが、染織家の作品は問屋が買い取っていた。見本を元に問屋からの注文に応じて作品を創ったり、渾身の作品を問屋が争って買い取ることもあったかもしれない。

また、問屋が特定の染織家と契約し、その染織家が創る全ての作品を買い取る場合もあった。「〇〇作家の作品は〇〇問屋が留めている(全品買い取っている)。」時にはその作家の作品はその問屋からしか調達できない仕組みだった。問屋は染織家の作品を買い取ると同時に、作家を育てる役割も果たしていた。当時、染織家はより良い作品を創るのに没頭できただろうと思う。

しかし、今日問屋は染織家から作品を買い取るのは稀となり、染織家は作品創りだけではなく販売にも力を注がなければならなくなったのは前項でも書いた通りである。

健先生は父親の廣利先生とは違った時代で物創りをしなければならない。そこに健先生の悩みがあるように思えた。

染織メーカーの中には、問屋と同じように営業せざるを得ないところも出てきている。小売屋の展示会に商品を貸し出し、売り上げを作る。しかし、絵絞庵で一つ一つ手を掛けて創った作品はそう沢山できるものではない。大切に育てた我が子のように染め上げた作品を、あちらの展示会こちらの展示会とたらい回しにされればたちまち作品は傷んでしまう。

染織作品に限らず芸術品一般に言えることだけれども、その作品の良さを理解してくれる人に買ってもらうのが大切である。ある人にとってはいくら出しても欲しい作品が、別の人にとってはそれほど興味を示さないこともある。どのくらいの価値を生み出せるかはその染織家の腕だけれども、それに相応しい対価を支払ってくれる人と出会う必要がある。

しかしながら現在の呉服業界の流通形態を見るに、その出会いを見つけるのはとても難しいように思う。ただ売れればよいと言う問屋、「これは〇〇作家の作品です。」と付加価値を付けて高く売ろうとする小売屋。本当の価値を理解してもらえる土壌はいかにも少ない。

健先生は、そのネットワークを創ろうと腐心しておられるようだった。絵絞庵では工房で染色教室も行っている。多くの人に絵絞り(辻が花染め)を体験してもらい、作品を理解してもらおうという試みだと思う。

そして、私のような小売屋とも接触している。「売れればよい」だけでなく、作品の価値を分かってもらえる小売屋との商売を考えている。

小売屋と染織メーカーとの取引は難しい面もある。従来、問屋が買い取った作品はその問屋のお得意さんである小売屋数十軒、あるいは数百軒に紹介されて販売される。小売屋が仕入れる数は問屋に比べれば極少ない。小売屋は問屋が仕入れた沢山の商品の中から選ぶので、特定の染織家の作品を買い取る確率は極少ない。染織メーカーが小売屋と取引するには沢山の小売屋とネットワークを創らねばならない。とても難しいかもしれない。

しかし、私の店でも既に染織メーカーとの取引は始めている。理由は、問屋に商品がないので(問屋がメーカーから商品を買い取らない為)良い商品を問屋で探すのは困難になってきている。商品を注文してもレスポンスが悪く時間が掛かってしまう。気に入った染物、織物と同じメーカーの商品を見たいと思っても見られない等々。

小売屋としては一軒一軒染屋織屋を巡って商品を探すのはとても労力がかかるけれども、本当に良い物、価値ある物を探そうとすれば労を惜しむわけにはいかない。健さんの苦労も私のそれと裏返しの苦労かもしれない。

絵絞庵では作品を広げて見せてくれた。相変わらず福村先生らしいすばらしい作品だった。下がその作品の一部です。

 

 

 

他にもすばらしい作品がありました。もしも作品に興味がおありの方、または呉服屋さんがおられたら私(結城屋)または絵絞庵に直接ご連絡を頂ければ幸いです。

今回の訪問で物創りの現場、染織家の方々のご苦労が肌で感じられました。是非応援していただきたいと思います。

絵絞庵には、廣利先生、健先生ともう一人内弟子(そう呼んでよいのか分かりませんが)の若い女性の方が働いておられました。美大やデザイン学校でも出て先生を頼ってこられたのかと思いましたが、そうではなく本当に先生の技に魅了されて働いているのだそうです。内弟子の仕事は楽ではない。まして染織をとりまく環境が良いとは言えない中で、技を覚えることも、また技を伝える健先生の苦労も並大抵ではない。
「きちんと給料を払えるように頑張ります。」
と言う健先生の言葉が印象的だった。

本当の染色作品を懸命に創ろうとする先生方とそれを学ぼうとしている若い人たちがいることを肌で感じ、呉服屋として励まされたような、また背中を押された様な気がした

絵絞り庵URL http://www.tsujigahana.com/