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Ⅶ-32 江戸小紋

江戸小紋は、着物のアイテムの中でも比較的ポピュラーである。着物が好きな人であれば一枚は持っているかもしれない。「小紋」とは言いながら、色無地と同じように紋を入れて準礼装として着る事ができる。色無地よりもちょっとおしゃれで、帯を替えればフォーマル、カジュアル、結構幅広く着る事ができます。

私の店でも昔から数えきれないほど江戸小紋を仕立てています。しかし、着物の需要の減少と共に昔ほど頻繁に仕立てる事はなくなってしまいました。自然、私の店でも昔に比べれば扱う反数が少なくなっています。

先日、江戸小紋の染屋さんが来て、改めて江戸小紋を扱ってほしいと言う事で、この度送ってもらった。江戸小紋と言っても、本型染の江戸小紋である。

江戸小紋は非常に細かい柄が染めてあるが、元々武士が登城する際に身に付けた裃の柄を着物にしたものである。江戸小紋で最も一般的である鮫小紋も裃の柄である。

江戸時代の有力藩には、それぞれ留め柄と言われる藩独自の裃柄があった。鮫柄は紀州徳川家の柄で、他の藩は用いる事ができなかった。

因みに、徳川将軍家は御召十、島津家は大小霰、前田家は菊菱、細川家は梅鉢、鍋島家は胡麻を定小紋としていた。

江戸小紋柄のうち「鮫」「行儀」「通し」の三柄は小紋三役と呼ばれている。いずれも錐彫りの細かい点が並んだ柄で、遠目には色無地の様にも見えるが、色無地とは違った味がある。色無地の様で色無地ではなく、ボカシの様でボカシではない江戸小紋独特の味である。

江戸小紋は伊勢型紙を使って染められる。地紙は、美濃和紙を三枚、縦横縦と柿渋で張り合わせた強靭な紙を使う。型職人が細い錐を使って柄を彫って行く。型職人は非常に熟練を要する仕事である。

また、型を使って柄を付ける染職人も高度な技術を要する。短いものでは一尺もない型を何十回も繋いで染めて行く。僅かでもズレれば柄に横線が入ってしまう。型を使った友禅は他にもあるが、型染職人100人の内、江戸小紋を染められるようになるのは僅か2~3人だと言う。

江戸小紋は制作にとても手間の掛かる染物である。

さて、現在の江戸小紋と言えば捺染のものが多い。捺染とは捺染機を用いるプリントである。型染のように一型一型手で染めて行くのではなく、捺染機でプリントするので遥かに安価に上がる。そして「きれい」に仕上がる。

しかし、この「きれい」と言うのが曲者である。「きれい」が人間の目に必ずしも「美しい」と映るとは限らない。

型染の江戸小紋と比べれば一目瞭然である。型職人によって彫られた型を使い、染職人によって染められた江戸小紋は比べ物にならないほど温かみがある。

つづく

Ⅶ-31 日本のきものを支える底力(その2)

「どちらからお出でになるのですか」と問うと、
「京都です。」と言う答えが返ってきた。
「京都?」、着物を扱う者にとって「京都」と言う言葉には特別の響きがある。それは遠い近いの問題ではない。京都は着物の中心地である。京都から何のための片田舎の山形の私の店にやって来られるのか。

着物を求めようとやってこられるのなら、私の店でいくら良い商品を揃えたとて、地元の人が京都で探す方が遥かに探しやすいはずだ。着物の知識を得ようとするのなら、京都には現場で働く職人もいれば、私よりももっと老練な業界人も星の数ほどいるはずである。
「いったい何を目的でわざわざ京都から山形に・・・・。」
そう言う思いが一気に膨らんできた。

当日、お昼も過ぎた頃その方が店にお出でになった。
「こんにちは〇〇(旧姓)です。」
その方を見た途端、私の目は点になった。店に入っていらしたのは和服姿の若い女性だった。目が点になった理由は、染物の着物を着ていた事。そして、全く着崩れもなく、たった今着物に着替えて来たのかと思える姿だったからである。

京都から山形までは飛行機でもドアツードアで5時間。新幹線の乗り継ぎならば6~7時間かかる。紬で来るのは分かるけれども、染物でいらっしゃるとは思わなかった。

着物が縁遠くなった現代、長い時間染物の着物を汚さず着崩れもせずに着る人をそう見かけない。私は京都からいらっしゃると聞いて、直感的に「着物ならば紬」と勝手に心のどこかで想像していた。それも全く着崩れもせず、着疲れをした風でもない。
「いったいこの方は何者で何をしにわざわざ山形まで・・・。」
そういう思いが益々強くなった。

2時間くらい話をしてようやく理解できた。(詳しい事は本人のブログに掲載されていますのでお読みください。https://kimonoshake.jp/archives/3041

彼女は学生時代に着物に巡り合い、きものの女王にも選ばれている。卒業して一流企業に就職したが、あきらめきれずに転職して着物を生業としたい言う。

今時若い人が着物の業界に入りたいと言うのは大変ありがたい話である。しかし、業界の状況は厳しく、私も責任を持って勧められるものでもない。まして、一流企業にお勤めと言うので私もしり込みしてしまった。

着物業界と言っても上から下まである。糸を採る養蚕から始まり、製糸・製織、そして織屋・染屋から問屋、小売屋まで。また、着付師、仕立師、悉皆といった着物を支える仕事も沢山ある。

いったいどのような着物の仕事に就きたいのか。話をするうちに次第に彼女の気持ちが読めてきた。希望する具体的な職業ではなく、「彼女は着物が本当に好きなんだ」と言う事を。「いつも着物に触れていたい」職業に就きたいのだと。

小売屋ではだめだろう。現在の小売屋の多くは、着物の事よりも着物を売る方法に専念している。折角着物が好きな若い方には、かえって着物が嫌いになられるようでとてもお勧めできない。

問屋はどうだろうか。私は問屋で修業をした。総合問屋であれば裏物から振袖まで着物に関する全ての商品を触れられると言う事で、二年間で着物をある程度理解する事もできた。しかし、今の問屋に往時の力はない。企画物に走る問屋が多く、だいたい商品を持っていない問屋が多い。染屋や織屋から商品を借りて商売をしているので常時店に商品がない。専門問屋の中には商品を抱えるところもあるが、極一部の着物にしか触れる事ができない。

そう考えると彼女には「着物をプロデュースするような仕事が良いのですね。」としか答えられなかった。それは具体的な仕事を意味するものではなかったし、今の業界を見渡して、私の知る限りでは、彼女の意に沿う仕事は思いつかなかった。
「わざわざ山形までお出でいただいて、何か得る物はあったのだろうか。」
とずっと心の底で思っていた。

さて、その後しばらくして京都に仕入れに行った時のことである。
「山形の結城屋さんですね。」
ある問屋の展示会場で若い女性に声を掛けられた。清水さんだった。

相変わらずきちんと着物を着ていた。聞けば、某メーカーに就職し、展示会の販売に来ていると言う。そのメーカーは次々に新しい柄や素材に挑戦している話題のメーカーだった。すっかり着物の業界人となり接客も巧くこなしていた。

その後、もう一度京都の展示会でお会いしたが、先日メールを頂戴した。2年前に独立して京都で着付け教室を始めたとの事だった。

着付け教室・・・・・清水さんの着物を純粋に愛する気持ちで是非頑張っていただきたいと思う。

実は昨今の「着付け教室」と言う言葉に、私は余り良い印象を持っていない。

着付け教室が巨大な組織となり、それぞれの教室で考案した道具を使った着付け。生徒を囲い込む弊害も生まれている。「きもののしきたり」と称する決まりごとが着付け教室毎に異なり着物を着難くしている。もともと統一されたきもののしきたりなどないのだけれど。

また、「無料着付け教室」と称して生徒を集め高額な着物を売りつける、と言った事もなされている。本当の着付けを習いたい人はどこへ行けば、どこを紹介したら良いのだろうと思う。

着付けは着物を着るのに是非とも必要で、着付けを学ぶことで益々着物が楽しく、好きになってもらわなくてはならない。それは上から押し付ける着付けの普及ではなく、着物の良さを知る人がごく自然な着付けを広める事である。

着物は売る人の為にあるのではなく着る人の為にある。着付けは教える人の為ではなく着る人の為にある。

清水さんの様に本当に着物を好きな人に一人でも多くその仲間を創ってもらいたいと思う。それこそが真に「日本のきものを支える底力」だと思う

清水直さん、また同じような志を持つ若い方々を応援いたします。頑張ってください。

清水直さんの着付け教室のHPは下記のアドレスです。

http://kimonosunao.com/
(トップページにリンクを貼っています)

Ⅶ-31 日本のきものを支える底力

私共のHPは「全日本きもの研究会」を立ち上げてから20年過ぎた。この間多くの方に訪問していただいたようである。「ようである。」と言うのは、アクセス数をカウントしている訳でもなく、SEO対策をしている訳でもない。ただ淡々と更新しているのみである。

「ゆうきくんの質問箱」は故有って閉鎖させてもらったが、これまで520件の相談をいただきお答えしてきた。その後もメールでの質問も頂戴している。

また、電話での問い合わせ、相談も時々頂戴している。そして、わざわざ山形までお出でいただく方もいらっしゃる。「たまたま山形に来たので」とか、「偶然通りかかったら、あの結城屋さんかと思って」と来店される方もおられるが、中にはわざわざ電話でアポをとってお出でになる方もいらっしゃった。

そう言う電話を頂戴すると、「何しにお出でになるのですか。」とは聞きづらい。「ただ何となくお出でになるのか、それとも着物の仕立て替え等相談事があっていらっしゃるのか、はてまた何か着物を探して買いにいらっしゃるのか分からない。

しかし、「何か着物をお探しですか、欲しい着物があるのでしたらご用意いたします。」とでも言おうものなら、昨今の着物業界の現状を見るに、相談があって訪問しようとされる方に壁を造ってしまいそうである。

問い合わせがあった時には、日時の確認をして都合が許せばそれ以上は聞かずにご来店を待つようにしている。それでもやはり遠方から来店される場合は、何の用事でいらっしゃるのかが気になる。

「何か高価な着物を探してお出でになるのだろうか。お出でになって、こんなちっぽけな店だとがっかりしてお帰りにならないだろうか。私が大風呂敷を広げたと思われはしないだろうか。」

「わざわざ遠方より来てくださって着物の相談だとすると、満足にお答えできなかったら申し訳ないな。」
などと自己嫌悪に陥ってしまう。

遠方からお出でいただいた中でも最も印象に残っているのが、現在京都で着付け教室を開いている清水直さんである。(本人の承諾を得て実名で出させていただいています。)

「当店を伺いたい」の電話を頂戴したのは5年前だった。

電話の向こうの声は若い女性である。例によって私は来店される日時をうかがった。そして、
「どちらからお出でになるのですか」と問うと、
「京都です。」と言う答えが返ってきた。
「京都?」、着物を扱う者にとって「京都」と言う言葉には特別の響きがある。それは遠い近いの問題ではない。京都は着物の中心地である。京都から何のための片田舎の山形の私の店にやって来られるのか。

着物を求めようとやってこられるのなら、私の店でいくら良い商品を揃えたとて、地元の人が京都で探す方が遥かに探しやすいはずだ。着物の知識を得ようとするのなら、京都には現場で働く職人もいれば、私よりももっと老練な業界人も星の数ほどいるはずである。
「いったい何を目的でわざわざ京都から山形に・・・・。」
そう言う思いが一気に膨らんできた。

当日、お昼も過ぎた頃その方が店にお出でになった。
「こんにちは〇〇(旧姓)です。」
その方を見た途端、私の目は点になった。店に入っていらしたのは和服姿の若い女性だった。目が点になった理由は、染物の着物を着ていた事。そして、全く着崩れもなく、たった今着物に着替えて来たのかと思える姿だったからである。

京都から山形までは飛行機でもドアツードアで5時間。新幹線の乗り継ぎならば6~7時間かかる。紬で来るのは分かるけれども、染物でいらっしゃるとは思わなかった。

着物が縁遠くなった現代、長い時間染物の着物を汚さず着崩れもせずに着る人をそう見かけない。私は京都からいらっしゃると聞いて、直感的に「着物ならば紬」と勝手に心のどこかで想像していた。それも全く着崩れもせず、着疲れをした風でもない。

「いったいこの方は何者で何をしにわざわざ山形まで・・・。」
そういう思いが益々強くなった。

つづく

Ⅶ-30 今年も成人式(その2)

さて、ここで山形市では別の問題が生じる。おそらく同じような問題は他の地方都市でも起こっていると思う。これは呉服業界の問題と言うよりも、私が手掛けるもう一つの事業である街づくりの問題である。

我々の時代は街中の体育館で式を行った。モータリゼーションも今ほどではなく、車で来る人もいたが、それ程交通渋滞も起こらなかったと思う。

しかし、今日モータリゼーションの発達により、車で来場する人が多く会場は郊外に造られた体育館となった。バスも通らないところなので、歩いて行くのは余程近くの人ばかり。ほとんどの人が否応なしに車で送ってもらう事となる。当日周辺は大渋滞。式に送れる人さえ出る始末である。

郊外の新しくて広い体育館で式を終え、帰りはまた車の手を借りなければならない。来るときほどではないだろうが、再び長い時間を掛けて自宅に戻る。

さて、このような一連の過程で、果たして新成人に振袖を堪能し、着物の良さを感じてもらえただろうか。

過程を要約すれば、DMに誘われて展示会で振袖を購入する。本当はもっと振袖や着物の事を理解し他の店も見て回って決めたかったかもしれない。

そして、写真屋さんで言われるままにポーズをとって前撮りをする。本当は、自分が好きな場所、思い出の場所であったり、自宅の庭など自分の人生の一里塚に相応しい場所で前撮りをしたかったかもしれない。

当日、朝早くからの着付けである。見知った美容院の着付師さんであれば、そこそこの感慨もあろうが、そう言った着付師さんがいない人は呉服屋指定の着付師に着せてもらう事になる。

振袖姿で親に車で送ってもらう。渋滞に巻き込まれてようやく式場に着く。式が終われば再び車で帰る。中には渋滞に巻き込まれまいと式が終われば一目散に帰る人もいるだろう。

本当は友達と久しぶりの時間を楽しみたいだろう。一緒にお茶を飲もうにも体育館の限られた施設しかない。そこそこに友人ともお別れとなる。

その後はどうなるか分からないが、自宅に戻り洋服に着替えて同窓会に臨むのかもしれない。

この一連の流れを見ると、本人がどれだけ振袖と自分の時間を楽しめたのか、私は疑問に思う。

成人式と前撮りをする僅かな時間の為に高価な振袖を早々、あるいは一年二年前に決め、まるでオートメーションの様に成人式が過ぎ振袖を脱いでしまう。愛着のある振袖を着て親戚を訪問したり、街を歩いたりすれば皆に祝福される機会もある。式の後街に繰り出しミニ同窓会をして同級の男性に振袖姿を褒められる。そう言った振袖を着る本来の意味が失われていないだろうか。

「成人式には振袖がつきものです」とばかり売り込む姿勢が昨年の「はれのひ」の事件にもつながっている。
「成人式の為だけの振袖」を離れて、売る方も着る方も振袖本来の意味を理解し、振袖に触れてもらいたいと思うのは私だけだろうか。

Ⅶ-30 今年も成人式

今年も成人式を迎える。今年は1月14日である。「今年は」と言うのは、成人式が曜日で決められているので毎年日付が違う。昔は1月15日と決まっていた。連休を考慮して月曜日にしているのだろうが、その前日の行うところも多い。我山形市も今年の成人式は1月13日日曜日である。

「成人式は1月15日」と決めた方が何かありがたみがある様に思えるのだが、それは年寄りの昔を懐かしむ保守的なノスタルジーなのだろう。

さて、この成人式を迎えると私は様々な事を考える。もちろん着物の事、呉服業界の事である。
「成人式で振袖を着るようになったのはいつからか」
「何故、成人式で振袖を着るのだろう。着なければならないのだろう。」

これらの疑問は、私のような業界の人間ではなく振袖を着る当事者の問題なのだけれども、果たして新成人達はどのように感じているのだろう。

私の成人式は四十数年前である。人生の区切り目としてはっきりと覚えている。県外に出ていた私は帰省して山形市の成人式に出席した。同年代、すなわち同級生が多く出席して同窓会さながらだった。

中学までの同級生、高校の同級生、また県外で知り合った同郷の人もいた。すでに静粛な成人式ではなくなっていたが、今と比べればまだ荘厳であった。

多くの女性が振袖を着ていたが、洋服の女性もいた。私は呉服屋の息子であるが、またでそのような意識はなくみんなと同じスーツ姿だった。まだ学生だった私は、スーツを着る機会などなく、スーツでも十分に晴の気分だった。

式が終われば数人のグループで街に繰り出して喫茶店などでのミニ同窓会だった。
成人式が始まったのは戦後の事で、初めは振袖を着る人はいなかったと言う。当時の映像では、姿勢を正して成人式に望む姿が映されている。我々の代と比べても、「これが同じ二十歳?」と思わせる。

成人式の振袖は、呉服業界が仕掛けたとも言われている。おそらくそうだろう。戦後の貧しい時代を越えて豊かに成り、若い女性が振袖を着たいと言う欲求と呉服業界の仕掛けが一致したのだろう。

若い女性が着物に関心を持ってもらう切っ掛けとして真に良い処に目を付けたものである。業界の先輩には感謝しなければならないと思っている。

しかしながら、その後今日に至る成人式と振袖の関係を私は余り感心しない。「何故、成人式に振袖を着るのか?」それはないがしろにされているように思える。

現代の振袖と成人式の関係を見て見よう。

二十歳になる数年前から振袖販売のDMが送られてくる。とても分厚いカタログであったり、DVDが送られてくることもあると言う。それが何社からも競うように送られてくる。そして、電話勧誘が頻繁に掛かってくるようになる。展示会の案内である。

展示会に出向いて振袖を見れば購入を勧められる。当人としては、もっといろいろな店で振袖を見て選びたいと思うのだろうが、店の人からは「早く約定しないと、着付けの良い時間が採れません」と言う殺し文句を言われるらしい。

かくして振袖を購入して、まずは前撮りである。振袖を着つけてもらい写真屋さんで前撮りをする。そして、本番の成人式である。

朝早くから着付けをしてもらい成人式会場に向かう。

つづく

Ⅶ-29 正月によせて

今年もまた新しい年を迎えた。生まれて此の方、もう60回以上正月を迎えていることになる。年の暮には掃除をしたり正月の準備をしたりで慌ただしいのは今も昔も変わらない。

「また年を越して正月がくる」と、毎年同じことをしている様に思えるけれども、昔の正月と比べると最近の正月は大分変ったように思える。

子どもの頃、冬休みに入り、クリスマスから正月に掛けてはとても楽しかった。一年の中では特別な期間だった。普段食べられない美味しい物を食べ、テレビでは特別番組が流された。大晦日は夜遅くまで家族と起きて、零時を過ぎると初詣に行った。普段午後9時過ぎには寝ていた子供にとってはとても不思議な時間だった。

とは言っても、今と比べれば何という事はない。「美味しい物」といっても今よりもずっと貧しかった。昭和30年代には、冬アイスクリームは販売されなかった。「アイスクリームは夏の食べ物」と言うのが常識だった。しかし、クリスマスの時だけ特別なアイスクリームが売られていた。アイスクリームを食べることすら稀な時代に、冬場にはないはずのアイスクリームを食べて年末の特別な時間を感じていた。

食事も今とは比べものにならない。クリスマスは鳥のもも肉がごちそうだった。正月は雑煮とおせち料理だった。おせち料理は子供にとってそう美味しい物ではない。それでも、子どもながらに「正月が来た」と感じる食事だった。

テレビは山形では当時民放は一局しかなく、普段子供向けの番組は少なかった。しかし、年末年始になると子供向け番組が放映され、子どもにとっては至福のひと時だった。

考えて見れば、言うまでもなく現代の方が遥かに豊かになっている。食べ物は昭和30年代では考えられないほど豊かである。テレビや映画は言うに及ばず、テレビゲームやスマホなど子供にとって遊び道具には事欠かない。

当時、正月はせいぜい家の周りで遊んでいたが、今は交通手段が発達し、遠出や旅行をしたり、また正月から開いている郊外のショッピングセンターの初売りに行ったりもする。

何もかにもが豊かで便利になった今日だけれども私は昔の正月の方がずっと楽しかったように思う。

何故か?、と考えて見ると、昔正月は特別な日だった。今でも一年の最初の日と言う特別な日に違いはないが、現代人の意識の上で正月は特別な日ではなくなっている。一年の最初の日を荘厳な気持で迎えると言う意識が失われている様に思われる。

何もかもが便利になり物も豊富な今日、特別な日と言う意識は埋もれてしまっている。

私が直近で「特別な日」と感じたのは、昭和天皇の御大葬の日だった。もう30年も前の事になるが、その日はほとんどの商店が店を閉めていた。国民誰しもが「特別な日」と感じただろう。

今年は今上天皇が退位され元号が変わる。ゴールデンウィークは10連休となりプラチナウィークになると物議をかもしている。商売をしている我々は一日も休みの採れないプラチナウィークとなるが、果たして御退位、御即位の日はどのような特別な日になるのだろうか。

着物の世界でも同じことが言える。昔は、着物は正月につきものだった。しかし、今日「正月に着物を着る」と言うのは死語になってしまったようだ。

私の母は、年末になるといつも同じことを言う。
「昔は年末になると忙しくて、除夜の鐘が聞こえる頃まで仕立てた正月の着物をお客様にお届けしたものだった。」
時代は変わり、またノスタルジーにうなされた分を差し引いて考えれば、「だからどうする」事でもないが、昔は正月に多くの人が着物を着ていた。正月は特別な日、と言う意識がそうさせたのだろう。

更に昔、皆が普段に着物を着ていた時代でも正月には普段の着物とは違った着物を着ていた。新調した着物や振袖など。その当時の正月の風景はいかばかりだっただろう。

若い女性が振袖を始めとして着物を着て歩いている。どれも普段は着ない着物である。着ている人も見ている人も「今日は特別な日」を感じただろう。

では、今は何故正月に着物を着なくなってしまったのだろう。

衣服が洋風化したと言うのが最も大きな理由であることは否めない。しかし、皆が洋服を着るようになったからだと言っても、正月に特別な洋服を着る人はいない。正月の為に洋服を新調する人はまずいないだろう。

やはり、正月が特別な日ではなくなったことが、着物にせよ洋服にせよ普段と変わらなくなった原因である。正月と普段の起伏がなくなったのは、世の中が豊かに成った事、経済的に豊かに成った事が関係している。それは良い事だけれども、それによって失ったものも多いように思える。

正月に着物を着て初詣に行く。着物で親戚に挨拶に行く。そう言った正月が懐かしく思える。

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その5)

農家の嫁が亭主の為に機を織り仕立てる。機を織ると言っても、既成の糸がある訳ではない。糸から作ったかもしれない。糸をつむいだり、麻を割いて糸を作る。そして、それを機に掛けて生地を織り、一針一針仕立てたのだろう。そう言った一連の仕事は、夜なべ仕事で、どれだけ手間を掛けて着物が完成したのだろうか。

当時は自給自足であり、人件費と言う概念もなかった。その手間を考えれば大変な価値である。現在、結城紬や大島紬、越後上布など昔ながらに織られている織物が高価なのは十分にうなずける。

昔の農民、時代劇に登場するような虐げられた農民は、実は結城紬や大島紬のような現在で言えば高価な紬あるいはそれに準じた織物を着ていたと言える。

その着物は大切に着られ、汚れれば洗って仕立て直す、裏地を取り換えて仕立て替える等の工夫をしながら着られていた。現代の様に、数回来たら飽きてしまったとばかり放って置いたり、オークションに出すと言う事はなかった。

長い間着た着物は、子どもに譲ると言う事もあっただろう。これは現代でも行われている。私の持っている着物の八割は、父や祖父の着物であり、中には祖母の着物を仕立て替えたものもある。既に五十年以上経つものばかりである。

長い間着てボロボロになり、どうしても仕立て替えられない着物もある。しかし、その場合は、子供用に仕立て替えもしただろう。最後は、もったいない話だけれども、雑巾にでもしたかもしれない。
一枚
の着物を雑巾になるまで使う、と言うのは、いかにも貧しい昔の農民の姿の様に思える。しかし、その着物は、現代で言う高級紬(「超」が付くような)であり、それを大切に着回したと言う事である。

プリントの安い浴衣を数度着ただけで捨てたり、またオークションに出し、また新しいプリントの安い浴衣を買う。インクジェットの安っぽい着物を次々に世に送り出し消費者の購買を誘う、と言った現代の着物事情と良く比べて見たらよい。

例えて見れば、昔は高級車を大切に修理しながら何十年も乗り続けたようなものである。しかるに現代は、安い軽自動車を毎年乗り換えているようなものである。どちらがより豊かな着物生活なのだろうか。

現代の着物業界は、既に量的な拡大を求められないところに来ている。日本の着物を健全な形で後世に伝え、業界も健全に生き残るためには業界として態度を改めなくてはならない。そして、消費者に着物の本当の良さを啓蒙する事である。

業界として消費者に着物の本当の良さを紹介し、理解してもらう。さすれば自ずから伝統的な職人の居場所も後世に残される。決して高価な着物を買ってくれと言う訳ではなく、捨てても惜しくない様な着物は創らず、より長く愛着を持っていただけるような本物の着物を創り販売する事である。

消費者には量的、価格的な満足感ではなく、質的な満足感を味わっていただけるようにできない物だろうか。

プレハブの住宅に住み、スクラップアンドビルドを重ねるのではなく、しっかりとした職人が造った住宅に末永く住んでもらえるように。

江戸時代に比べて現代は、経済的には遥かに恵まれているはずなのに、着物についてはなぜプレハブ住宅に住む如く文化を享受できないのだろうか。今日の業界の姿勢が一番問われることであるが、消費者も本当の着物の文化を考えていただければと思う。

 

年末年始の為、来週は休刊致します。新年は1月6日のUPになります。

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その4)

一つは安価な価格で着物が販売されている。これは悪い行為ではない。着物を着たい人が、着物を安く購入する事ができるので、着物を普及させるのによい事かもしれない。ただし、業者によっては、その成因をつまびらかにせず、高価な着物を安く売っているかの様に消費者にアピールしているところもある。

もう一つは、安い着物であるにも関わらず、さも高級品の様に見せかけて、とてつもない利益を得ようとする行為である。型物の訪問着を作家の作品と偽る。プリントの江戸小紋を型染の江戸小紋と偽って販売する。この場合、プリントにはない耳をわざわざ型染であるかのように染めているものもある。

どちらも呉服業界の販売不振を量的に利益の上で確保しようとする行為だけれども、業界として最も大切なことが抜けている。

それは、昔から培ってきた本当の染や織の技術がないがしろにされていることである。安く生産された物で売上や利益を確保しようとしているが、本当の技術を持った染屋織屋、そしてそれを支える職人たちは幕の外に置かれている。

呉服の未来を本当に考えるならば、それらの技術の継承を第一に考えなければならない。大量販売、大量消費は需要の減少する今の呉服業界にはなじまない。ここで考えなければならないのは、呉服業界が小さく成ろうとも、健全な形で次世代に伝える事である。ではどうしたら良いのだろうか。

着物は昔から世代を超えて大切にされてきた。リサイクルやオークション等と言う言葉が飛び交う現代の遥か昔から着物はリサイクルが行われてきた。

着物の構造を見れば分かる事だけれども、自分の着物を自分よりも背の高い人が着られる様に、身丈は「内揚」をして仕立て替えできるようにいる。背の高い子や孫にも仕立て替えられる工夫である。

八掛は表生地よりもせり出している。八掛の色を見せる、と言う意味もあるけれども、裾が擦れた時、八掛が擦り切れるように出来ている。表生地が擦り切れない為の工夫である。八掛は擦り切れても、仕立て替えの時にずらせば同じように仕立てられる。裾が破れても、ぼかしの八掛でも三回は仕立替えが可能である。

着物には他にもリサイクルに耐える工夫がなされている。とは言え、着物をリサイクルするのはそれ程簡単ではない。袷の着物を仕立て替える場合、洗い張りをして仕立てる事になるので5~6万円かかる。洋服の感覚から言えば高価かもしれない。

3000円の浴衣を仕立て替えする人はいないだろう。安い着物であれば、新しく買った方が良いと思う人もいるだろう。しかし、昔はそれ程手間やお金をかけてもリサイクル(仕立て替え)する意味があったのである。

昔は、洗い張りや仕立てを自分でやる人もいた、と言う事情もあるが、着物はリサイクルする価値が十分にあったと言える。

つづく

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その3)

呉服よりも身近な食料も大量に捨てられている。日本国内では年間632トンもの食料が、いわゆる「食品ロス」として捨てられていると言う。これは、一人当たり毎日茶碗一杯分の御飯にあたる。何故そんなに大量の食糧を捨てなければならないのか。もっと有効に消費できないのだろうか。

居酒屋での宴会では、「飲み放題〇千円コース」と言うのがある。PTA等の宴会では価格も手ごろで人気がある。しかし、このような宴会に出ると、つくづく考えさせられることがある。

供される品数も多く、飲み物は注文しただけ持ってくる。しかし、宴会が終われば、大量に料理が残っている。まだ手を付けてない料理も数多く見られる。飲み残しのビールや酒も多く、何ともったいないと思う。

出された料理は、決してまずくはないが、皆の目に留まらない物ばかりで積極的に食べようとする人は少ない。酒のつまみ、と言う程度だけれども、それにしては量が多い。居酒屋では、量が多い事をアピールしているのかもしれない。しかし、完食してゆく人は稀だろう。

もっと品数を少なくして、誰でも箸を付けたがるような料理を出した方が良いと思うのだがどうだろう。同じ金額を支払うのであれば、量は少なくとも、美味しかったと完食した方がより豊かな生活だと思うのだけれど。

同じことは呉服にも言える。

3000円の浴衣が大量に生産され市場に出回って行く。当然ながら広幅の安い綿生地にプリントしたものである。一部は捨てられ、またタンスの底に蓄積され、他はリサイクルされてゆく。

次の年には、既に浴衣を持っている人の購買意欲をそそる為に、奇抜な柄やデザインの浴衣が創られ市場に投入される。それ以前の浴衣も含めて、一度しか着ない浴衣や一度も着ていない浴衣が沈殿してゆく。

浴衣に限らず着物も同じである。

着物の売上は減少している。その大きな原因は、需要すなわち着物を着る人、着る機会が減少していることにある。それでも呉服業界は売り上げを維持せんと様々な努力をしている。着物を着ない人にも売る為の商法は多くの問題を起こしている。そして、着物の生産そのものにも問題が及んでいる。

今、最新の技術や人件費の安い海外品によって着物は以前に比べて非常に安く生産する事ができる。3000円の浴衣もその成果物である。ただし、それらは昔から創られてきた着物とは、似て非なるものである。

一方では需要、販売が減り、また一方では安く生産できるのが今日の呉服業界である。その結果、呉服業界では相反する二つの行為が行われている。

つづく

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その2)

小売屋から市場に出た浴衣は、市場の中でグルグル回りながら浴衣の需要をカウントしてゆく。その結果小売屋から市場に出る浴衣の数は減少するという仕組みである。

浴衣を売る側、業界からすれば大変困った話である。売上の減少が業界をしぼませてしまう。しかしこの事は、浴衣を売る側、浴衣を購入する側双方で、もっとよく考えなければならない課題である。

まず、浴衣をオークションなどで処分する行為は悪い事ではない。むしろ、使わなくなったものを他人に使ってもらうというリサイクル、即ち物を大切にしようという行動だと捉える事ができる。

且つて江戸時代には完全なリサイクル社会だったという。壊れた茶碗を欠け継で直し、破れた着物は欠け剥ぎで直して使った。生活用品は、何でも完全に使えなくなるまで使っていた。物は豊富ではないが、生活に困ることはなく、それ程不便は感じなかったかもしれない。

それに比べて今日は、大量生産・大量消費と言う資本主義のサイクルに組み込まれ、もしもこのサイクルが機能しなくなると、忽ち不況・不景気になり生活が困難になってしまう。

「物を大切にしよう」と言う掛け声とは裏腹に、まだまだ使える多くの物が捨てられている。

私が今乗っている車は、9年間乗っているが、その前の車は24年間乗っていた。使いやすい車だったこともあるが、大した故障もなかったので乗り続けていた。最後はスピードメーターの誤差が許容範囲を超えてしまった為、新しい物と交換しなければならなくなった。

「交換してください。」
と言ったものの、既に10年以上前に絶版となった車である。新しいメーターと交換するには50万円以上掛かります、と言われ流石に諦めて新車に乗り換えた。今にして思えば、乗り続けていれば骨董価値が出たかもしれない。

周りを見回すと、まだまだ乗れる車が廃車処分されている。しかし、もし私の様に皆が20年以上乗り続けたら、自動車産業は成り立たなくなってしまう。

同じように、3,000円の浴衣を10年も20年も着ていられたら、呉服業界、中でも浴衣を扱う業者はたまったものではない。浴衣の売れ行きは激減し、実際にその兆候が表れ始めている。

物を大切にする事と、資本主義社会の原動力である大量生産大量消費は相反する事の様に思えてくる。物を大切にする気持ちを尊重しつつ、業界が(産業が)活気づく方法はないのだろうか。

ここで、私は、本当に豊かな生活とは何なのかをもっと考えるべきと思う。現代の社会は十分に豊かになったはずであるが、使い捨て大量消費の風潮から、決して豊かな社会とは言えない面がある。

つづく