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Ⅶ-ⅸ 染帯の怪(塩瀬帯の消滅)その3

 着物は高価でデリケートである。また創った人の心も籠っている。そう言った着物は細心の注意を払って扱わなければならない。塩瀬だけでなく呉服商品の扱いについては私も先輩に十分に注意された。
「商品を触る時には手を洗うように。」
「飾ってある袋帯を撞木から外す時には裏が擦れないように一度持ち上げてから外すように。」
「唐織の帯を扱う時には糸を引っかけないように腕時計などに注意するように。」
等々、いずれも呉服商品を扱う基本的な心掛けである。

 呉服に限らずどの業界でも商品を扱う時には細心の注意払っている。魚屋さんであれば魚の鮮度が落ちないように。陶器屋さんは商品の陶器が欠けないように。商品は、それを扱う商売人にとっては取扱いに気を付けて扱わなければならないものである。
 しかし、呉服業界、呉服の展示会での商品の扱われ方にはひどいものがある。その結果塩瀬の染帯は哀れな姿で染屋に戻ることになる。

 原因は、第一に販売員の着物に対する意識の低さがある。お客様を展示会に送り込むだけの販売員。何でもかんでも売れればよいという販売員、マネキンさん。そう言った意識が商品の扱いに反映されてくる。

 また、展示会で並べられる商品はほとんどが浮き貸し、すなわち問屋やメーカーから借りてきた商品であるということがある。自社の商品(買い取った商品)であれば、商品を傷めることが何を意味するのかが分かるはずである。そこには、他人の物だからぞんざいに扱うと言った非常に稚拙な意識が垣間見える。

 一人の販売員にしてみれば、言われたようにお客様を勧誘し展示会に連れてくる。皆がするように商品を扱いお客様に勧める。と言ったように、何の罪悪感もないのかもしれない。このあたりにも呉服業界の問題が浮かび上がってくる。

 呉服業界の流通形態がおかしくなっている。小売屋は商品を買わず問屋からの浮き貸しで商売をしようとする。商品を買ってもらえない問屋は疲弊し、問屋自体が商品を買えずにメーカー(染屋織屋)から商品を借りて商売をする。シワ寄せを食ったメーカーは、本来の物創りに専念できずに創った商品を貸して商売をしている。呉服を扱う者は、そのプロとしての意識が欠如し、着物は商売で利益を得る媒体としてしか認識していない。

 染屋が塩瀬の染帯を創らない事情の裏には呉服業界の深刻な問題がある。

Ⅶ-ⅸ 染帯の怪(塩瀬帯の消滅)その2

「以前は塩瀬も染めていたのですが、最近はやめました。展示会に出すとどうしようもないんです。」
 主人の話によると、展示会に塩瀬の帯を貸すと帯がボロボロになって帰ってくるという。

 塩瀬は羽二重の一種で太い緯糸を使い緻密で地厚な平織の生地です。縮緬と違って糸に撚りを掛けていませんので、堅くてしっかりとした生地です。表面もツルッとしています。染帯には適しているのですが、反面折れに弱いのと汚れに弱い性質があります。

 縮緬や紬地は柔らかいので折れ(シワ)には鷹揚ですが、堅い塩瀬の生地はシワに対して脆弱で、シワができるとなかなか元に戻りません。表面がツルッとしているだけに汚れが付きやすく、また目立ちやすいので取り扱いには注意が必要です。

 私も京都にいた時分、問屋の先輩に塩瀬の帯、特に白の帯の扱い方はよく注意されました。生地が織れないように、むやみに擦り付けたり汚れた手で触らないようにと。

 私は、染屋の主人が言う「展示会に出すとどうしようもないんです。」の意味は直ぐに呑み込めました。腫物を触るように扱わなければならない塩瀬の帯がぞんざいに扱われたらどうなるかは容易に想像できたからです。

 今の呉服の展示会で着物の事を理解している人がどれだけいるでしょうか。客を展示会に呼んでくるだけの社員。売る為だけの販売員、マネキン。その現場の風景は容易に想像できます。

 お客様の前に次々に帯を広げ、踏みつけたりシワができてもものともせずに売ることに専念する。お客様が希望すれば半分に折って体に巻き付けて鏡の前に立たせる。お客様に気に入っていただけなければそのまま放り出して販売に専念する。

 塩瀬の帯としてはたまったものではない。シワだらけになり汚され染屋に戻ってくる。中には新品としての価値がなくなってしまった物も出てくる。

 このように扱われるのは塩瀬の帯に限らないが、紬であればまた元通り新品の体裁を整えて出荷することができる。染屋として塩瀬の染帯を創りたがらない理由がそこにある。塩瀬の染帯を創らない染屋の主人の悩みは十分に理解できるし、いたしかたないとも言える。しかし、そこには呉服業界の深刻な問題がはらんでいる。

 一つは、商品の流通の問題である。展示会では多くの商品が必要なため、商品は委託(借りて)である。昔は小売業者が問屋から商品を借りていた。しかし、今は問屋の力がなくなり、問屋は商品を持っていない。したがって問屋は染屋、織屋から商品を借りたり、小売屋が染屋、織屋から直接商品を借りるようになった。

 昔は染屋、織屋はそれぞれの仕事に専念し物創りに励んでいた。創った商品はほとんど問屋が現金で買い取っていた。染屋、織屋は物創りに専念し、問屋はそれを買い取って全国の小売屋に売り渡す。メーカー、問屋、小売屋はそれぞれが責任を持ってその成すべき役割を果たしていた。

 しかし、今日小売屋も問屋も商品を買い取らず委託に頼っている。シワ寄せを食ったメーカーは多くの負担を強いられている。それに拍車を掛けているのが展示会である。そして一度展示会に商品を出品すれば、染上がったばかりの商品が見るも無残な姿で帰ってくる。そこに業界の流通形態の問題がある。

 もう一つの問題は展示会で商品を扱う人の問題である。
                                        つづく

Ⅶ-ⅸ 染帯の怪(塩瀬帯の消滅)

 前節でも書いたように、今呉服業界では、良い商品を入手するのが難しくなっている。昔から商品は問屋から仕入れたものだが、問屋には商品がない。今の問屋の多くは、必要な時だけ染屋織屋(メーカー)から借りてきて商品を並べている。問屋を周っても欲しい商品はなかなか無いし、注文してメーカーから取ってもらっても良い商品にはお目に掛からない。そういう訳で、最近は染屋織屋(メーカー)まで足を延ばして仕入れをしている。

 メーカーで創る商品は限られているので、一軒のメーカーで色々な商品を仕入れることはできないので、何軒も染屋織屋を周って仕入れをすることになる。大変手間がかかるけれども、商売には替えられない。産地に出向いて商品を仕入れることが多くなった。

 先日も私がひいきにしている染屋に足を延ばして仕入れに行ってきた。

 その染屋は品質を落とさずに頑なに良い染物を創っている。振袖から染帯まであり、価格も常識的である。振袖も欲しいと思ったけれども生憎振袖は出払って2~3枚しかなかった。代わりに染帯があったので見せてもらった。

「染帯」と言っても、どんな帯なのかは意外と分かりづらいかもしれない。「染帯」とは文字通り「染めた帯」である。「染めた帯」でない帯は「織った帯」である。ここで言う「染め」とは「後染」、すなわち白生地に柄を染めたものである。「織った」とは、糸の段階で色を染めて織ったものを指している。(「きもの講座4.染と織について」参照)

 さて、「染帯」と言っても種類は様々である。帯の形式から言えば、九寸名古屋帯が圧倒的に多い。八寸名古屋帯もいくらかあるし袋帯も稀に創られている。

 その染屋で創られているのも九寸名古屋帯である。しかし、同じ九寸名古屋帯でも素材によってまた色々な種類がある。

 九寸名古屋帯に使われる素材としては、紬、縮緬、塩瀬などがある。それぞれ用途は違っている。紬染帯は紬の白生地に柄を染めたものでカジュアルである。縮緬の染帯はシボがあるために塩瀬の方がフォーマルとされている。

 塩瀬の帯は、デュークエイセスの「女一人」と言う歌の歌詞に
「結城に塩瀬の素描の帯が・・・」
と詠われているように染帯の代表格でもある。「塩瀬」と言うのは「塩瀬羽二重」と言う生地を指す言葉で、塩瀬は染帯や男性の紋付に用いられる生地である。しかし、業界で「塩瀬」と言えば十中八九「塩瀬の染帯」を意味している。それ程塩瀬の染帯は染帯の中でも中核を成している。

 さて、その染屋で染帯を見せてもらった。5~60本位あっただろうか。丸巻きの染帯を畳の上に流して行く。しかし、その9割が紬の染帯だった。

 私は塩瀬の染帯が欲しかった。塩瀬は紬の着物にも合わせられるし、小紋や色無地にも合わせられる。色無地を着る際には、織帯と塩瀬を使いこなせば幅広く着用することができる。以前は京都でも沢山染められていたが最近はあまり見なくなった。安価な塩瀬はとても重宝したが、最近見かけるのは高価な工芸帯が多い。その染屋で染められていた塩瀬の染帯がある事を期待してきたが期待外れに終わった。

 私の店に限って言えば、染帯の需要の中では塩瀬が多い。次に縮緬である。そして紬の染帯は締める着物が限定される為に塩瀬や縮緬に比べてはるかに少ない。紬の染帯は色無地には締めないし、小紋も限定され主に紬に限られてしまう。染屋とて同じはずである。少なくとも塩瀬は紬と同数あるいはそれ以上染めても良さそうである。主人に聞いてみると、塩瀬は染めていないという。

 私は染屋の主人に聞いた。
「何故、塩瀬は染めないのですか。塩瀬の方が売れるでしょう。」
 その問いへの主人の答えは驚くべきものだった。
つづく

Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時(その5)

 訪問着や小紋、袋帯や名古屋帯、襦袢などはメーカーが減っているとはいえ、これからもまだまだ創られるだろう。しかし、着物の裾物とも言える付属品やメリンスなどの普段着に必要な商品が減少し、姿を消すことも考えられる。

 今呉服店で盛んに売られている訪問着や小紋、高級紬、袋帯や名古屋帯を着物の本丸とすると、呉服業界は次第に外堀を埋められつつある。極普段着としての紬やウールは次第に姿を消し、それらを仕立てるのに必要な付属品もいつまで供給が続くか分からない。

 三の丸、二の丸を失えば城としての機能は果たさなくなってしまうのだが、呉服業界は、そんな事にはお構いなしに本丸の高さだけを競おうとしている。やせ細った異常に高い本丸だけが残り、それが瓦解する時が「呉服屋がなくなる時」かもしれない。

 さて、需要の減少によって外堀が埋められる・・則ち店頭に並ぶ商品のアイテムの減少・・は避けられないだろう。細った需要に対しても真摯に向き合い、呉服の火を灯し続ける努力をすれば「呉服屋がなくなる時」はずっと先に延命できる、否再生できるかもしれない。

 問題は、やせ細った異常に高い本丸である。外堀には目もくれず、高額な着物を、いや高額にした着物を消費者に売るだけの呉服業界であれば、バベルの塔が倒壊する如く崩壊するだろう。

 私の店に限って言えば、「結城屋がなくなる時」は何が引き金になるのだろう。

 企業である以上、最も危ないのは放漫経営である。店の実情を考えずにどんぶり勘定で経営して倒産する例は散見されるが、私はそれはないつもりでいる。現状のような呉服業界で放漫経営すればたちまち倒産の憂き目を見ることは間違いない。
放漫経営はないとしても、どんな経営者であっても、どんなにまじめに経営に専心しても内的外的理由によって店を閉めなくてはならなくなることもある。

 内的理由としては経営手腕の不足と言う原因が考えられるが、それは資本主義の世の中に於いては「力不足」として本人の責任でしかない。

 外的理由としては、今まで述べてきたように、
① 需要の減少による呉服店の消滅
② 着物の生産の減少により売るべき商品の減少
③ 着物の付属品や安価な着物のアイテムの消滅によって着物そのものの存立が危うくなる
④ 業界自身による自滅
が考えられる。

 私の店で①は何とか耐えている。きものの需要は確実に減っているが、店をそれに合わせて縮小しながらも、本当に着物を欲しい人の需要に応えれば、まだまだ店は閉めずにいられると確信している。

②には本当に困っている。お客様求めている商品、店に並べたいと思う商品が容易に手に入らない。最近は、問屋では見つからないので染屋、織屋に足を運んで商品を調達している。この時代ならではの企業努力と思う。

③も大変困った問題である。需要の量としては非常に少ないとはいえ、本当に着物が好きな人にとっては必要なアイテムが消えて行く。これも、仕入れ先を変えながら、また代用品を探しては調達している。このような努力をいつまで続けられるか分からないが続く限り少ない需要にも応えて行きたいと思っている。

 ここまでの①から③までは、企業努力により何とか店を続けられそうである。しかし、私の店にとって一番の問題は④である。

 日本の着物をより後世まで伝えたい。そういう意味で①②③の努力を続けている。しかし、業界ではそれとは真逆に動いている。需要の少ない着物は切り捨てる。売り上げを確保するために展示会ではとてつもなく高額で着物が販売される。あの手この手の販売は消費者に不信感を与え、着物に近寄りがたい印象を与えている。

 ネット上で散見される呉服店への苦情はまさにそれらの産物である。
 また、売り上げを確保するために、日本の伝統的な着物はどこへやら、今迄とはまるで違ったしきたりを誘発する着物が売られている。それらは、これからの日本の着物を創造するものではなく、売り上げを確保せんがためのもので、一過性に留まり出ては消え、着物の本質を見えにくくこそすれ、本当に着物の普及にはむしろ障害となっている。

 このような呉服環境の中、消費者の間で着物の本質が見えなくなり私の店に、
「こんな安い着物は化繊ですか。」
「ゆかたに合わせる袋帯はありませんか。」
「裄丈を2尺3寸にしてください。」
そう言うお客様が頻繁にいらっしゃるようになれば、私の店も閉めなくてはならないだろう。

Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時(その4)

 呉服店が商売をするために仕入れる物は着物地や帯に限らない。胴裏や帯芯などの仕立てに必要な付属品。半襟や帯締、帯揚、草履などの小物。それらが揃って初めて着物や帯を仕立てることができ、着物を着る事ができる。

 こう言った小物や付属品はとても種類が多い。半襟を一つ取って見ても、秋冬用の半襟と夏用の絽の半襟がある。素材によっても、正絹、交織、化繊、麻など。そして、色物や柄物、刺繍半襟など。全ての半襟を揃えようとするだけで途轍もないアイテムの半襟を在庫として用意しなければならない。

 また、裏襟は表には出ないので半襟ほど種類は多くはないが、羽二重、夏用の絽、化繊、キュプラ、麻など様々な種類がある。

 これら半襟や裏襟は今でも相当数の需要があるが、最近ほとんど需要のなくなった付属品もある。昔は、日本人のほとんどが四六時中着物を着ていたので、着物の種類は現在に比べてはるかに多かった。綿やウールの着物。半纏、寝巻、掻巻、ねんねこ、産着や子供の着物(普段着の)等々。それらを仕立てるには、着物と同様に表生地と付属品が必要だった。

 普段着として用いられた生地は、木綿やウール。木綿にも材質や産地によって高価なものから極廉価なものまで。ウールと一口に言っても、「しょうざん」等の染を施したものから、ネル、セル、メリンスまで種類があった。

 しかし、それらの着物(訪問着、小紋、紬といった現在呉服屋に並んでいる商品ではない着物)はほとんど需要がなくなってしまった。なくなったと言っても、まったくというわけではなくていくらかの需要はある。ウールの着物を求めてくる人は稀にいるし、何十年も使った掻巻がボロボロになったので相談に来る方もいる。そして、未だに自分で仕立てをする人が、裏襟や袖口に使う黒八、別珍衿を買いに来ることもある。

 そう言った商品は、着物のパーツとして昔はどこの呉服屋でも扱っていただろう。しかし、そう言った商品を扱っている呉服屋はほとんどないらしい。私の店に来て、
「別珍の衿は置いていますか。」
という問いに、
「はい、ございます。」
と言うと、「本当にあるんですか。」といった驚いた様子で買って行く。

 私の店では、ほとんど動かないような商品でもできるだけ置くようにしている。在庫の金額としてはそう大きくはないし、やはり常に着物を着ている人達が利用できない呉服屋にはなりたくないと思う。

 しかし、小売屋はそれで済むのだけれども、それを作る立場(メーカー)になるとそうはいかない。わずかな需要の為に商品を生産するのは大変なことである。

 先に挙げた袖口や半纏、丹前の衿に使われる黒八は、私の店で売れるのはせいぜい年に2~3着分である。一着分は1,000~1,500円。山形県ではおそらく私の店も含めて数件しか扱っていないだろう。そう考えると、全国で年間どれだけ黒八が売れるのだろう。

 メリンスの襦袢は普段着用として着られてきた。普段着に正絹の襦袢ではもったいない。メリンスであれば安価でメンテナンスも楽である。そういう意味で私の店では普段着にはメリンス襦袢を勧めてきた。メリンス襦袢は多彩な色柄で染められ、以前は柄見本帳と言えば生地を分厚く閉じたものだった。しかし、最近は柄数が限られてきた。先日男物のメリンス襦袢を発注しようとしたところ柄は色違いも含めてせいぜい十種位。柄を選ぼうにも選べなくなってきている

 メーカーとしては多くの柄を生産できるほどの需要がないのだろう。需要のないものは、メーカーとして生産を減らし、時には生産を終了せざるを得ないのは、この業界に限ったことではない。

                                   つづく

Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時(その3)

 着物の需要の減少とは逆に呉服屋が店を閉めなければならなくなる原因に、着物の生産の減少がある。簡単に言えば、呉服屋は続けていても売るべき商品がなくなってしまう、と言うことである。

 織屋や染屋、その他メーカーが次々に倒産や廃業で店を閉め、商品の供給事情は変化している。需要の減少に伴ってメーカーの数が減っているので、需要に対する供給の量に問題はないのかもしれないが、問題はその中身である。

 最近欲しいと思う商品が入りにくくなってきた。「欲しい」と言うのは、在庫に欠けている商品や、お客様から注文を受けた商品である。色や柄、年代、また染や織の良し悪し、価格等お眼鏡に叶う商品は中々見つからない。

 昔は仕入れに行って2~3軒の問屋をまわれば欲しい商品が手に入った。お客様から注文があり在庫に無ければ、やはり2~3軒の問屋に電話をすれば適切な商品が数反入手することもできた。

 お客様からの注文は、「客注」と言って、売れる確率が高いので問屋さんは一生懸命に商品を探して送ってくれたものだが、最近は商品がなくあきらめる場合も多い。
「松の柄で色の濃い訪問着。年頃は40歳位。柄は大胆なもの。」
と注文しても、まず松の柄そのものが少ない。ようやく見つけてくれた訪問着を三枚送ってきたがいずれもイメージとは違う。
「もっと松が大胆に描かれたものを。」
と再度お願いすると、
「いや、うちはもうそれ以上松の柄は探せません。」と断られてしまう。

 お客様の注文なので何とか探したいと思うのだけれども結局期待に添えないこともある。必死になって探そうと、数件の問屋に問い合わせて返事を待っていると、
「その注文、他の問屋さんにもしていなかったですか。」
という返事が返ってくることがある。それぞれの問屋さんは一生懸命に私の注文品を探してくれているのだけれども、行き着く先は同じ染屋や織屋になるらしい。染屋や織屋に複数の問屋から同じ問い合わせが入り、上記のような返事になってしまう。

 染屋や織屋はまだまだ沢山あるけれども、特定の柄や色、価格の商品となるとどこの問屋でも同じメーカーをあてにせざるを得ないのである。

 これは困った事ではあるけれども、業界が縮小し、流通する商品が減り、問屋やメーカーの数が減った結果であり、致し方ないかもしれない。

 希望する柄の着物が少なくなった。思った色の着物の数が減った。といったように着物を選ぶ選択肢が減ったことは残念だと言え、着物がなくなったわけではないし、着物を着られなくなったわけでもない。呉服屋としては商売がし辛くなったとは言え、呉服屋が店を閉めるという原因とはならない。
 しかし、業界の縮小には別な角度から呉服店を閉店に追い込む要素がはらんでいる。
                             
                              つづく

Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時(その2)

 その昔(30年前)までは、月に何度も来店されるお客様が何人かいらした。月に何度とは言わなくても、時々顔を見せるお客様もたくさんいらした。しかし、最近はそのようなお客様はとんと少なくなってしまった。そのようなお客様は、着物が好きで新着の着物を見に来たり、着物の話をしたくていらっしゃるお客様だった。着物を着る機会も興味もあったのだろう。

 来店客の減少は店の売り上げに直結している。それに耐えられずに店を閉める呉服屋も多い。しかし、このような、云わば自然減とも言える呉服の需要の減少に業界はまだまだ耐えられると私は思っている。

 私の店も売上はピーク時の半分以下になったけれどもまだまだ続けている。お客様の来店頻度は落ちているけれども私の店が見捨てられたわけではない。古くからのお客様や以前買っていただいたお客様など、多くのお客様が頻度は減ったと言えども来店していただいている。

 それまで月に一度来店されていた方は半年に一度、年に一度来店されてた方は三年に一度、と言うように必要な時には私の店を頼っていただいている。中には十年に一度、二十年に一度のお客様もいる。来店の動機は、「娘が嫁入りするので」「昔仕立てた訪問着が若くなったので」「結婚式に出るので」など。また、「嫁入りの時に仕立てた着物を娘の寸法に仕立て替える。」「丸洗いしてください」などのメンテナンスの場合もある。

 いずれも、着物を着る頻度が少なくなり来店の頻度も減ったけれども、必然的な需要で来店されるお客様ばかりである。

 着物の需要は減っても確実に必然的な需要は残っている。需要の減少に耐えられずに閉めた店のお客様が行き場を失い来店される場合もある。需要の減少を世の流れと捉え、それでも間違いのないサービスを続けていれば、間口を狭くしながらも十分に生き残る余地はある。

 着物の需要の減少は残念なことではあるけれども、少ないながらもお客様が求めているサービスを如何に守れるかが呉服屋に求められている事だと思う。

 着物の需要の減少以外に呉服屋が店を閉めなければならなくなる原因に、着物の一部アイテムの消滅がある。簡単に言えば、呉服屋は続けていても売るべき商品がなくなってしまう、と言うことである。

 織屋や染屋、その他メーカーが次々に倒産や廃業で店を閉め、商品の供給事情は変化している。需要の減少に伴ってメーカーの数が減っているので、需要に対する供給の量にそう問題はないのかもしれないが、問題はその中身である。

                                          つづく

Ⅶ-ⅷ 呉服屋がなくなる時

「呉服屋がなくなる時」と言う表題は、呉服業を生業とする私にとって嫌悪すべき問題である。しかし、それを近未来の現実として受け止めなければならないところまで来ているように思われる。

「呉服屋がなくなる」と言っても、きもの、呉服、呉服屋、着物を着る人がこの世から全てなくなってしまう、と言うのは考え難い。しかし、細々と続いていても、「あの業界は死んだ」と言われる業界が多い様に、呉服業界が死を宣告される日も近いかもしれない。

 呉服業界は確実に萎んでいる。30年前には二兆円と言われた市場規模も二千億円を切ったらしい、とも言われている。織屋染屋も倒産、廃業が続き、問屋の数も減っている。業界は確実に0に収束しているようにも思える。全く0にはならないにしても、その刹那に何が起こるのか、業界に残っている人達はどのような心情なのだろうか。

 今日に限らず、一軒の呉服屋が姿を消すというのは珍しくはない。しかし、個々の呉服屋が姿を消すのは倒産、廃業と言われるもので、経営の不振や後継者難によるものである。
 どんな業種でも放漫経営による倒産はあるし、不況業種であれば努力の甲斐なく倒産と言う場合もあろう。しかし、このようなケースは、今回の考察には含めない。呉服儀容会の行く末を、産業としてではなく日本の伝統文化を担う生業として捉えてみたい。

 まず最初に考えられるのは、需要の減少による呉服屋の消滅である。

 着物を着る人は日に日に減少している。「きものブーム」などと言われることもあるが、日常着物で生活する人は日本の全人口から言えば皆無とも言えるレベルである。

 それでも着物を着るべき時に着物を着る人はまだいる。慶弔時やお茶をする人など、普段洋服を着ていても結婚式や葬儀、お茶会で着物を着る人は見かけられる。しかし、それらの人も減少している。結婚式で着物を着る人は少なくなった。入学式や卒業式でも父兄の着物姿は少ない。

 葬式となれば更に少なくなったように思える。葬式で女性は喪服(黒の紋付)を着るのだけれども、最近は親族以外の人が喪服を着ていると奇異な目で見られることがあるという。「親族でもないのに喪服なんて」と言う目があるらしい。親族でも喪服を着る人は少なく黒のスーツが目立つ。

 お茶をする人の人口も減っているらしい。特に若い人の入門が減っているという。お茶は習い事である。いわば修行であり厳しさも伴う、そう言ったことを若い人たちが嫌がり、また着物を着る事に嫌悪感を感じる若い人もいるという。

 若い人の中にはおしゃれで着物を着る人もいるにはいるが、必然的に着物を着る人達は確実に減少している。

 私の店の目線で見ても着物の需要は激減している

                              つづく

Ⅵ-ⅶ 不思議な下駄(その2)

 昔から日本人が履いてきた下駄や草履の鼻緒は真ん中に付いている。昔は日本人であれば誰しもが履いていたので、何の違和感もなく履いていた。しかし、和装が廃れ洋装が主流となってきた現代、履物と言えば靴、カジュアルな履物としてはサンダルがある。サンダルの中には鼻緒の付いているものもあるが、それらの鼻緒は内側に寄っている。下駄、草履に右左はないが、サンダルには右左がある。

 下駄、草履は鼻緒が真ん中にあるために、外側の小指ははみ出てしまう。また、踵は出るのが普通である。この点が洋式の履物と大きく違う。

 洋式の履物に慣れた人が下駄や草履を履くとまずこの点に違和感を感じる。

 お客様に試しに履いてもらうと、「この下駄小さくて小指がはみ出してしまいます。」「この草履は踵が出てしまうのでもっと大きな草履はないですか。」と言われることが度々ある。お客様足のサイズを聞いたうえで勧めるのだが、このような話はよく聞く。

 鼻緒は、初めて履く時にはきついのが当たり前である。履いているうちに足になじんで緩んでくる。従って新品の下駄、草履は足が入りずらい分余計に踵が出てしまう。それで益々下駄が小さく思えてくるのだろう。
このような事情は、洋装が主流の現代においては致し方のない事だろう。お客様には洋式の履物との違いを説明して履いてもらわなければならない。履いていただければ下駄や草履の良さは分かっていただけるし、着物や浴衣に合ったいでたちで履いていただけるのである。

 しかし、問題なのは、お客様から「小指が出る」と言われれば鼻緒の位置を変える。「踵が出る」と言われれば妙に長い下駄を創る、と言った事が業界で行われていることである。

「お客様の要望に合った商品づくり」のつもりかもしれないが、本当に下駄、草履の事が分かっている人がそんなことができるだろうか。もしも、「訪問着の袖が長いので着ずらい」と言われれば洋服の袖のような訪問着を創るだろうか。初めて着物を着る人、初めて下駄を履く人の意見を聞いて着物や下駄の本質を教えることもなく迎合した商品づくりは何をもたらすのだろうか。

 以前に書いたけれども、裄が2尺3寸位の既成浴衣が問屋に有った。百貨店の担当者からの依頼で創った言う。おそらくこの下駄も大手の流通業者の依頼で創ったものだろう。

 流通業界では沢山売る者の意見が通る。大手の流通業者がモノ作りに介入してくるけれども、果たしてその人達は自分が創らせようとしている商品にどれだけ知識があるのだろうか。

 和装業界はその規模が縮小しているだけ業界に関係のない人達の影響力が増してきている。今後、私の目には「変な商品」が出てくることだろう。それを消費者がどう捉えるのか、業界の人間はどのように扱うのか、着物の将来が案じられる。

Ⅵ-ⅶ 不思議な下駄

先日、お客様が下駄を買いにいらした。閉店も近い時刻で、買い物袋を片手に店に入ってきたそのお客様は、安いスポンジ底の履物を見ていた。足元を見ると下駄を履いている。そのうち、下駄が並んでいる棚に行って下駄を手に取って見ていた。

「下駄はお好きですか。」と言って声を掛けたけれども、先に見ていたスポンジ底の履物に比べて下駄は3~4倍の価格である。私の店の下駄はほとんどが国産の素材を使い、鼻緒は本天、又はそれに準ずるものを使っている。失礼な話だけれども、そのお客様の履いている下駄はそうは見えない。どう見ても南方の柔らかい桐材で、形も何となくおかしい。果たして買っていただけるのか不安だった。

するとそのお客様が、「この下駄〇〇(大手スーパー)で買ったんだけれども、とても履きずらくて・・・。」「私、下駄が好きなんです。」とおっしゃった。そして、「履いてみても良いですか。」と言って、下駄を脱いで手に取った下駄に合わせていた。

さて、その脱いだ下駄を見て私は「アレッ」と思った。

脱いだ下駄の形が何だかおかしい。よく見ると鼻緒が真ん中に付いていない。ツボの位置が左に寄っている。(右足だった)下駄の鼻緒は真ん中に付いているものである。この事情については『続々きもの春秋6. 下駄の鼻緒に関する力学的考察』を参照していただきたい。

日本の履物は鼻緒が真ん中に付いている。西洋のサンダルは足の形に合わせて鼻緒は内側に付いている。日本の履物と西洋の履物の大きな違いである。

最近はサンダルのような下駄?も創られている。サンダルのような形をした下駄であれば、鼻緒の位置が偏っていても合点が行く。しかし、その下駄は右近型(楕円形の下駄)である。更に、その下駄は長さが非常に長い。

結局その下駄は、標準よりも長く、鼻緒の位置が偏っていたので何となく一目で違和感を感じたのだった。

さて、何故そのような下駄が出回っているのか。私が文句を言う筋合いではないかもしれないけれども考えさせられてしまう。
日頃下駄、草履を売っていてお客様から次のような言葉を耳にする。
「この下駄は小指がはみ出してしまいます。」「小さくて踵が出てしまいます。」

特に若いお客様からこのような言葉が聞かれる。それに対して私は次のように説明している。
「日本の履物は鼻緒が真ん中に付いているので小指は出て当たり前です。」

更に、「何故鼻緒は真ん中に付いているのか。」と問われれば、『続々きもの春秋6. 下駄の鼻緒に関する力学的考察』で書いたことを詳しく説明している。

踵が出ることについては、日本の下駄草履は踵が出て当たり前であることを説明している。

西洋の履物に履きなれた人にとっては、小指が履物からはみ出したり、踵がはみ出したりするのは奇異に感じるのだろう。
西洋のサンダル、日本の下駄、どちらの形状が良いのか、あるいは正しいのか、と言った議論は成り立たない。それぞれ長い歴史が創ったもので、それぞれに合理性がある。サンダルはサンダルの形状、下駄は下駄の形状に従って造られ履くことが自然である。

では何故そのような下駄が創られ出回っているのか。私は次のように推察する。

つづく