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Ⅶ-22 絹の動向(その4)

今回入手した資料によれば、2003年に比べた2014年の縮緬類(生糸を原料とする呉服の素材)の生産数量は16.5%、即ち83.5%の減少である。それに対して同じ年の比較で、中国からの生糸の輸入量は28.8%(71.2%減)、ブラジル産は15.5%(84.5%減)である。国内で生産される生糸は2003年には4,800俵あったものが2014年には僅か400俵、8.3%(91.7%減)である。

日本の絹の需要が減る以上に日本の生糸の生産は減少し、その穴埋めに中国、ブラジルの生糸が入ってきている。そして、特に中国の生糸の割合が増えているのが分かる。

中国産の生糸とブラジル産の生糸の輸入量は、2008年には2.64対1であったのが、2013年には、6.31対1になっている。数量から言えば、中国は横ばい、ブラジルが減少している。

ここで疑問に思えるのは、中国やブラジルの生糸が果たして日本の生糸に取って代わることができるのかと言うことである。高品質の日本の生糸で織られた縮緬が、中国やブラジル産で織った場合どうなるのか。

実は、正直言って直感できるほどの差は感じないかもしれない。既に相当数の海外の生糸、と言うよりもほとんどの縮緬が海外の生糸で織られている。生糸は海外であっても、製織、精錬を日本で行えば生地に「日本」の文字が押印されるので見た目には区別がつかない。知らず知らずのうちに海外の生糸は呉服地の多くを占めるようになっている。日本の絹が何時海外の絹に取って代わったのかは分からないまま海外の絹は国内に入り込んでいる。

それでも、純日本製、即ち製繭、製糸、製織、精錬全てを国内で行った反物を触れてみると、サラサラとしたその感覚の違いに驚かされる。純国産の白生地をお客様に触ってもらうと、その違いに驚いていた。呉服業界自体が国産の縮緬の感覚を忘れ海外の生糸に慣らされていると言う事だろう。

しかし、今更「日本の絹を」と叫んでみてもどうにもならない。日本の養蚕農家の数は1994年には19,040軒あったものが、2014年には僅か393軒である。パーセンテージにすれば2%である。

今更国内で増産を叫んでもたかが知れている。そして価格的にはとても太刀打ちできない製品を増産して売れるかどうかも分からない。そう考えれば、国産品は超高級品として標本の如く存続させ、汎用の絹は全て海外品と言う事になって行くのだろう。

しかし、これから先がまた問題である。海外からの絹はこの先安定して日本に供給されるのだろうか。

ブラジルの繭、生糸の生産量は1993年1994年をピークとして減少している。それに合わせたように日本への輸出も減っている。中国は2007年をピークとして繭、生糸共に減少しているが、世界の生産量の70~80%を占めている。中国が世界のシルク生産センターと言っても過言出来ない。

それでは中国の生糸は日本に今後とも安定供給されるのだろうか

つづく

Ⅶ-22 絹の動向(その3)

原料、製糸、製織、精錬、染織など着物を創る工程に海外からの参入が増えていることは否めない。まず原料の大元である繭に目を向けてみよう。

かつて繭を作る(養蚕)のは全国各地で行われていた。江戸時代には中国から輸入する量の方が多かったが、本格的に増産されたのは明治以降である。

明治政府は富国強兵のための殖産興業として富岡製糸場をはじめとして外貨獲得の手段として盛んに養蚕を奨励していた。私の家にも蔵があるが、その昔蚕を飼っていた蔵だと言う。また、私が小学校の頃まで山形にも養蚕試験場があった。国を挙げて全国各地で養蚕が行われていたのだろう。

国の政策は功を奏し、1930年(昭和5年)にはピークとなり40万トン生産されたという。終戦後5万トンまで減少したが、その後12万トンまで回復している。1955年から1970年ごろまではその水準を維持しているが、その後更に減少し2014年の収繭量は僅か149トンである。1930年のピーク時に比べて0.04%である。

生産される繭の量は、海外への輸出用に生産された時代とは異なり、内需とりわけ呉服の需要をそのまま反映しているわけではない。海外から大量の生糸絹糸が輸入され国内における需要供給の構図は全く変わってきている。

海外からの絹の輸入はどうなっているのか。

国内で生産される絹は減少するが、昭和40年頃から需要が増え、中国や韓国などの海外から絹が輸入され始める。ここ20年の絹の輸入先は中国、ブラジル、ベトナムであるが、生糸に限って言えば、ベトナムは殆どなく(生糸ではなく絹糸として輸入される)中国とブラジルの二か国がほとんどを占めている。輸入の総量は減っているが、相対的にブラジルが減少し中国が増えている。

海外の絹の輸入は、ただ単に数量の確保の意味だけではない。国産との価格差はいかんともしがたいほど大きい。安い外国の絹が入ってきたことで国産の絹が駆逐されたのか、国産の絹の生産が減少したので海外から絹が入ってきたのか、ニワトリと卵の関係かもしれない。しかし、結果的に国際相場との余りにも大きな価格差は、日本の絹を追い込んでいった。

日本の絹が高価なのは、蚕糸農家やそれに関わる産業が不当に儲けていたと言う事ではない。日本の絹の品質はどこの国でも真似ができないほど高い。その品質が評価されずに価格のみの評価で海外の絹に駆逐されていったと言うのが真相ではなかろうか。私は大変残念に思う。

そうは言っても、現実に海外、中国やブラジルの絹が入ってきている。実態はどうなのだろうか。

つづく

Ⅶ-22 絹の動向(その2)

まず、日本の呉服の市場はどのような状況なのだろうか。先に西陣の例を挙げたけれども、昭和50年から西陣の着物地が98.1%減と言うのは、最も減少率が高い物の一つだろう。中には100%減、即ち姿を消した織物や染物もあるはずなので、最悪とは言えないまでも最悪に近いアイテムの一つであることは間違いない。

染物の素材になる縮緬についてはどうだろうか。上記の西陣の統計に合わせて昭和50年と平成26年を比べてみると、丹後織物工業組合の資料によれば、丹後における縮緬の生産反数は次の様である。
昭和50年 7,337,443反
平成26年  400,192反
率にして5.5%、94.5%の減少である。因みに、平成29年は更に減少して294.451反。昭和50年に比べると4.05%、95.95%の減少である。

私が京都にいたのは、昭和50年代後半。当時の呉服産業は、既に斜陽に差し掛かっていたが、それでも白生地の生産反数は今よりも10倍以上あったはずである。一度丹後の白生地屋に見学に行ったことがある。社長の自宅に招かれると、広い庭がある邸宅だった。その昔、昭和20年代後半に起こった「ガチャ万景気」を彷彿とさせるものだった。

白生地や織物の生産が減っている背景には需要の減少がある。昭和50年代には2兆円と言われた呉服市場は現在3,000億円を切っている。それでもまだ7分の1である。需要の減少以上に白生地の生産反数は減っている。そこには、海外からの呉服素材の輸入が絡んでいる。

呉服の素材、製品に外国製が参入してきたのは何時頃からだろうか。その引き金となったのは、中国の改革開放であるように思われる。

中国の改革開放は昭和55年頃。丁度私が京都にいた時分、中国をはじめ海外から呉服の流入が始まっていた。

中国刺繍の帯、「香港」「韓国」「マレーシア」等の印が押してある白生地。韓国の綴、中国で織られた帯等々。海外、特に東アジアの諸国と日本の経済格差、賃金格差を利用して安価な、または利幅の採れる海外の商品が日本の呉服業界に浸透し始めていた。

「海外の製品」と言っても、その位置づけが難しい。何をもって日本製とするのか、〇〇国製とするのか、実は簡単ではない。

どこの製品かを決定する定義として通商産業省(かつての)では、「製品を作る最終工程がその産地を決定する。」というのがあった。(今はどうか分からない)

つまり、機械製品(パソコン等)では最終組み立てを行った国が原産国となる。部品がどこの国の物であっても最終的に組み立てて出荷する国が原産国と表示される。

アメリカのインテル社のCPUが入っていても、部品が中国製であっても日本で組み立てれば日本製である。イギリス、ロールスロイス社のエンジンを搭載していても旅客機YS-11は日本製である。

さて、きものの場合はどうなのか。

着物制作の最終工程は仕立てである。通産省の定義に従えば、どこの国で染められた物、織られた物を使っていても仕立てが日本で行われれば日本製と言う事になる。しかし、これは一般に通用しそうもない。ことさら反物を卸し小売する場面では通用しない。

しかし、通産省の定義を度返ししても、実は白生地がどこで作られたものなのかを判定するのは複雑で難しいのである。

つづく

Ⅶ-22 絹の動向

まず、先週お伝えしました当社サーバーのトラブルについて、無事復旧したことをご報告申し上げます。「全日本きもの研究会」が閲覧できなくなり、またメールが使えなくなったりとご迷惑をお掛け致しました。

今回のトラブルで、改めて現代社会の複雑さと危うさを感じさせられました。

ITについては、必要な事はある程度知識を得ていたつもりでしたが、本来周知すべき知識は、私の持つそれの数十倍あるいは数百倍に及ぶもので、またその進化発展は非常に早く、必須事項でありながら私が全然知らないことが次々と生まれているようです。

大変便利な今日のIT社会ですが、そこにどんな落とし穴があるのかと考えると身の毛もよだつ気がいたします。

今回のトラブルで、三週間近くWEBが閲覧できなくなり、ご覧になっていた方の中には、「とうとう結城屋もなくなった」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。メールが使えない事で重要な情報を失っていたかもしれません。

いろいろとご迷惑をお掛け致しましたが、ゆうきくんは元気です。これからも頑張ってやっていきますのでよろしくお願いいたします。

 

さて、前置きが長くなってしまいました。「Ⅶ-16 絹」では日本の絹について書いてみました。特に品質の良い日本の絹が失われることについての一考でした。

そして最近また「絹」について考えさせられる出来事がありました。

「絹」は呉服の素材であり、欠くことのできない物です。呉服業界(狭い意味で、問屋→小売屋→消費者)では、その素材については余り語られません。

私は、店にやって来る白生地屋さんとは「日本の絹は・・・」「中国の絹が値上がりして・・・」と言った話はしますが、具体的に定量的にどのようになっているのかは把握していません。

一般の小売りの現場では、現在絹の供給がどのようになっているのか、どういった絹が目の前の反物に使われているのかは話には登りません。むしろ、反物に「日本」の刻印があれば、それを強調して「これは日本の絹ですから・・・。」との売り口上に替えてしまいます。

以前説明した通り、その反物がどこの国の物か、日本産かと言った事は非常に複雑で、「日本」と言う文字が反物に刻印されているからと言ってそれが完全な日本製(製繭から製糸、製織、精錬、染や織の加工)とは限りません。

小売りの現場では、そんなことはお構いなしに売り口上に利用されているのが現状です。
自分が扱う商品は、一体どこから来ているのか、その供給体制はどうなのかは呉服業界に限らずどんな業界でも気になるところです。

魚屋であれば、マグロやイカが高くなった、タコが高騰していると言う話題は、小売店のみならず消費者も敏感です。マグロやウナギの漁獲高が減って価格が高騰すると「私のような庶民の口には入らなくなるのでは・・・」と心配になり、タコが高騰すれば「たこ焼きは一個いくらになるのだろうか」と考えてしまいます。

自動車業界や建設業者は鋼材の価格には敏感であり、中国のダンピングやアメリカに輸入規制などのニュースには常に耳をそばだてています。

あらゆる業界にとって原材料の供給状況を把握する事は、プロ意識以前の問題であり、敏感であるべきです。しかし、呉服業界に限っては、問屋小売屋のレベルでは余り真剣に顧みられることがないのが現状です。

先日、問屋さんがやってきてある業界紙を見せてくれた。絹糸や白生地の業者が創っている業界紙で、絹の動向が定量的に書いてあった。所謂呉服業界(問屋→小売屋→消費者)の雑誌ではお目に掛からない統計資料だった。

その業界紙は、実はその問屋さんの話題が掲載されていたのでそれを紹介しようと、持ってきたのだったが、私はついそちらの方に目が行ってコピーさせてもらった。

その資料を元に絹の大元の現状がどのようになっているのかを考えて見たい。

絹の供給状況を考える前に、現在の呉服業界の現状を紹介、把握しておこう。

西陣における帯地と着物地の生産量の推移である。

昭和50年における帯地の生産本数は、7,332,867本、着物地は2,388,646反である。これに対して平成26年は、帯地が600,917本、着物地が44,947反である。即ち昭和50年から今日まで45年間で帯地は8.2%(91.8%減)、着物地は1.9%(98.1%減)である。どちらも十分の一、五十分の一である。驚くべき数値である。

もっともこれは西陣の統計で、他の産地もあるので業界全体の数値ではないが、どこの産地も似たような数値を呈している。

果たしてこれが絹の供給とどのような関係になっているのか、次回から紹介したい。

つづく

Ⅶ-21 お詫びとご説明

先々週より、サーバーのトラブルで「全日本きもの研究会」のページが閲覧できなくなっています。また、メール「yukikun@ykya.co.jp」も使えない状態が続いております。

原因は、私のサーバー管理にミスがあったことですが、現在復旧に努めていますので、今週前半には回復する見込みです。

ご覧いただいております「着物の結城屋」のページは別サーバーですので閲覧可能です。こちらのサーバーのメールアドレス「shop@kimono-yukiya.com」はお使いいただけますので、ご連絡のある方は、御手数ですがこちらをお使いください。

良い機会ですので「全日本きもの研究会」と「着物の結城屋」について少しご説明いたします。

「全日本きもの研究会」は2000年(平成12年)に立ち上げました。当時のHPは一般にはまだ出始めたばかりで、暗中模索で創ったものです。当時プロの制作会社に頼むと、とても高い制作料が請求されましたので、ページの制作からUPまで全て私一人で行いました。「全日本きもの研究会」のページデザインがダサいのはそのせいです。

ちなみに「全日本・・・」と言う題名は、私が高校の時、ある先生の「名前は大きな名前を先に付けた方が勝ちだよ。」と言った言葉がそうさせました。「全日本きもの研究会」と言っても、会員がいる訳ではなく私一人なのですが。

「全日本きもの研究会」は一人でも多くの方に、着物、呉服業界の真実を知っていただきたいと思って立ち上げました。着物の事、業界の事、着物のマナー等多岐にわたって書き進めているうちに膨大な量になり、サーバーがパンクしそうになりましたので2005年に改めてサーバーを確保しました。

「きもの春秋」「続きもの春秋」「結城屋きもの博物館」に続いて、「続々きもの春秋」「ゆうきくんのきもの講座」「ゆうきくんのきものフォトトピックス」「ゆうきくんの質問箱」と進めましたが、時代と共にページのダサさが目に付き、また、ソフト会社のHP製作費も妥当になってきましたので、2009年ページを刷新するために別ページの開設に至りました。ソフト会社にお願いして、全てのページを刷新して新ホームページに移行する予定でしたが、いくつかの問題が生じてきました。

ページの膨大さに(「ゆうきくんの質問箱」だけでも500ページ)ソフト会社もやや匙を投げる事態となりました。「きもの春秋」や「ゆうきやきもの博物館」などの主要なページは引越できましたが、未だに全て引越できずにいます。

また、「全日本きもの研究会」を閲覧していただいている方も多くおられ、それぞれのページが検索の上位にあることから、ソフト会社からも「全日本きもの研究会」を撤去するのは惜しいと言う意見も聞かれました。

そんな訳で現在二つのホームページを開設しております。「全日本きもの研究会」は、更新はしておりません。徐々に整理してゆく予定です。

ホームページ上での商品の販売に付きましては、現在いくつかの商品を紹介するにとどめております。当初、積極的に商品をページ上で紹介いたしましたが、呉服の場合、一点一点が違う商品なので、管理が膨大となり一人では手に負えなくなっております。商品をUPして欲しいと言うメールも頂戴するのですが、現状では中途半端になってしまうので極一部に限らせていただいております。

それでも多くのお客様からの問い合わせに応じで直接メールで商品を紹介し販売させていただいております。必要な商品がございましたらご連絡いただきましたら適切に対応させていただきます。

最近、ホームページをご覧になられた方が、お店を訪問していただく事が多くなってきました。「旅行で山形に来たので。」「たまたま見つけました。」など動機は様々ですが、ありがたい話です。山形にお出での節はお立ち寄りください。きもの談義でも致しましょう。

当社開設のホームページ並びにメールアドレスを下記に示します。「結城屋」と別事業でやっております「七日町御殿堰開発(株)」のページがあります。どちらのメールでも私のアドレスですので、万が一メールが届かない場合は別他のメールアドレスでお願いします。

「全日本きもの研究会」

URL   http://www.ykya.co.jp

「着物の結城屋」

URL   http://www.kimono-yukiya.com

E-mail  yukikun@ykya.co.jp

order@ykya.co.jp

shop@kimono-yukiya.com

以上 結城屋

「七日町御殿堰開発(株)」

URL   http://gotenzeki.co.jp

E-mail  goten@ykya.co.jp

info@gotenzeki.co.jp

以上 七日町御殿堰開発(株)

Ⅶ-20 蓮布、藕絲 (ぐーし) 織 、その後

平成18年2月に「結城屋きもの博物館」にて「55. 蓮布、藕絲 (ぐーし) 織」として蓮布を紹介した。かなり多くの人に読んでいただいたらしく、その後随分問い合わせを頂戴した。そして、何人かの方に蓮帯を買っていただいた。

しかし、その後蓮帯は入荷できなくなってしまった。

ミャンマーで蓮布を作っている法衣屋さんとはコンタクトを採っているが、法衣にする蓮布はあるけれども帯にする蓮布は入らないと言う。その後も何人かの方から蓮帯を購入したいと問い合わせを受けたけれども、残念ながら全て断らざるを得なかった。

蓮帯が入荷できない理由は次の様らしい。

最初にミャンマーで生産を開始した当時は、鎖国が解かれたばかりで、昔ながらの技術を素朴に伝えていた人達が多くいた。その彼らにとって稼げる仕事はありがたかっただろうし、技術指導の下にこつこつと蓮糸を作っていた。

しかし、この十年の間、ミャンマーを取り巻く環境は大きく変化した。国を開き開発、経済成長が始まる。政権も変わり、国民にとって様々な意味で多くの変化を経験したのだろう。急激な経済成長は人々の心も変えてしまう。

ミャンマーは10年位前から5~8%の経済成長を続けている。仮に6.5%の成長を10年間続いたとすると10年前の1.88倍である。新興国にありがちな事だが、経済成長によって貧富の差が極端に開き、富むものは1.88倍どころではなく途轍もない富を得ているのだろう。

それまでは貧富の差も感じずにやってきた人たちが経済成長に接し、富裕層が身近に生まれる中で、こつこつと蓮糸を作ってきた人たちの心にも変化が起きたであろうことは想像に難くない。法衣屋さんの話である。

「ミャンマーだけでなくカンボジアあたりでも蓮布の生産が行われ、他の糸を混ぜたものや、質の悪いものが出回っているんです。」

蓮糸が金になると思えば誰でも蓮糸を作って儲けたいと思う。人の当然の心理である。そして、より効率よく蓮糸を作って儲けを増やしたいと思う。その結果、手間のかかる仕事は敬遠される。より良い物を作るよりも、より儲かる物を作ろうとする。伝統文化においては、経済成長と品質は相反する関係を創る事があるようだ。

私の想像の多分に入っているが、そんな訳で蓮帯ができるような蓮糸を作っていた人達も離散し、あるいは商売替えをしたりして思うような技術の集約ができなくなったようだ。

そんな時、つい先日その法衣屋さんが突然私の店にやってきた。抱えてきたのは麻の織物だった。

広げて見せてくれたのは中国で作らせた手績みの麻織物だった。手績みの麻織物と言えば越後上布がある。その織物は越後上布とは別物だったが、手作り感のある織物だった。

さて、麻織物の話はさて置いて、蓮帯の話をした。

「今でも蓮帯の問い合わせがあるのですが、やはりもう作れないのですか。」

そう聞くと、法衣屋さんは、
「いや、実は・・・。」
と話し始めた。

帯にできる蓮糸は途絶えてしまったけれども、再開に向けて立て直しているとの事だった。市場が混乱している時に商売はやりずらいものである。あちらで似たような商品ができたと思えば、こちらでまがい物が登場する、といった状況では相場も安定せず、商品価値も正当に評価されにくい。しかし、そのような混とんとした状況は既に過ぎたのかもしれない。

「今、体制を立て直しています。息子を現地にやって生産体制を整えています。蓮布ももう出来て着ています。」

そう言って、包みから蓮布を出して見せてくれた。法衣用の生地だったが、帯用も生産を始めると言う。商品が出来次第見せてくれるように言った。

今度出来てくる蓮帯がどのような出来なのか、価格はいくらなのかまだ分からないが、良い蓮帯ができてくるように願っている。

Ⅶ-19 伝統・しきたりは守られるべきか(その4)

伝統は不変である、と言う不文律は成立しない。伝統やしきたりは時代によって変わっているのは例を挙げるまでもないだろう。では、現代(までに)守られている伝統をどのように変えて行くのかが論点となる。ここで、「伝統は守られるべき」と言う肯定派と「伝統など無視して構わない」と言う否定派が議論にしのぎを削ることになる。

この議論をする際に、双方とも盲目的な意見の主張であってはならない。つまり、「何が何でも伝統は守られるべき。」または「伝統など壊して然るべき」といった感情的な主張である。

そう言った議論がなされる時、往々にして議論は本筋とはかけ離れた論理によって歪められることがある。

相撲の話を例に採れば、相撲の伝統と男女平等の話が同じ土俵で語られている。土俵に女性が揚がれない伝統は男女差別から起こったものであることが明白であれば、そのような議論も成り立つだろうが、私にはそうとは思えない。何某かの合理性を含んだ伝統であると思える。

議論に先立ち、まず明確な事実の把握が必要である。伝統護持に反対する者は、その伝統にどのような合理性があり、現代では通用しない非合理性はどこにあるのかを焙りだすことが先決である。

同じように、伝統を守ろうとする者は、否定する人達は、守られてきた伝統が現代の世の中では何が非合理的だと主張しているのかを理解しなければならない。双方がお互いの真意を理解してこそ議論が始まる。

さて、呉服の世界に話を戻そう。呉服の世界でも上記と同じように伝統しきたり論争がなされている。

伝統護持派は、時代の変化を読み取らずに頑なに伝統を守ろうとしている。季節による着物、袷や単衣の着る時期、着物と帯の合わせ方など、見知らぬ人にまで強要して自分の主張の正しさを実感しようとしている。

伝統を無視しようとしている人達は、伝統を守ろうとする人達から見れば、目を覆いたくなるような着物を着ている。女性が付けるような半襟を男性が付ける。女性が男性の羽織を着る。黒い喪服を平然と普段に着る、等。

さて、両者にはお互いの主張を理解する努力は為されているのだろうか。答えは否である。伝統を頑なに守ろうとする人達は、自分が習ったまたは見知った知識が全てであり、他の価値観は認めない。伝統に逆らおうとする人達は、着物の伝統しきたりは初めから分からず知ろうともしない。自分勝手に着物を理解し着物を着ている。

このようであれば両者は初めから水と油であり議論の余地もないだろう。伝統を守ろうとする人達は、現代の世の中をよく理解し、また若い人たちが何を求めて着物を着ようとしているのかを理解すべきである。そして、伝統の殻を破ろうとする人達は、まず着物の伝統を知らなければならない。その上で着物の伝統しきたりは今後どうあるべきかを考えなければならない。

両者がお互いの主張を理解し日本の伝統文化の将来を考えるのであれば、両者の溝はそう大きくないと思う。相手の主張の真意を理解する事無く議論がなされれば溝は益々深くなってゆくだろう。

角界であれ呉服業界であれ、伝統文化の問題は、もっと真摯に取り組むべきである。

尤も、呉服の伝統の乱れは、商品を売ろうとするメーカーや商社がありもしない伝統を流布している感が否めないのは残念な事である。

Ⅶ-19 伝統・しきたりは守られるべきか(その3)

よく言われているのは、「産後間もない母親の体を気遣って」と言うものである。私は子供を産んだことはないので分からないけれども、産後間もない母親は子供を抱いて宮参りするのは体に堪えるのかもしれない。と言うよりも、御姑に抱いてもらえば身体が休まる、と言う事だろう。

他にも合理的理由があるのかと考えれば、家族の絆という意味もあるかもしれない。昔の日本は今と違い大家族、家父長制であった。生まれた子供がその家の祖母に抱かれて宮参りする事は、一家の一員として認められる第一歩だったのだろう。

大家族や家父長制については現代では違和感があるかもしれない。私も家父長制については封建的な臭いがして少なからず批判的である。

伝統やしきたりは、時代の事情を背景として築かれてきたものなので、時代が大きく変わると、その時代にそぐわなく成ることは十分に考えられるが、合理性を含んでいることもまた事実である。
相撲の話に戻れば、現代の論点は「男女差別」にある。「男性に許されることが何故女性には許されないのか」と言う男女平等の根本問題である。土俵に女性を上げないと言うしきたりに合理性はないのだろうか。

「女人禁制」と言えば高野山が思い浮かぶ。現在は、和歌山県伊都郡高野町と言う都市として男女共に住まう街だけれども、昔女性は入山が許されなかった。私は高野町には仕事で数十回訪れたことがあるが、今は寺の多い普通の門前町だった。

高野山が女人禁制だった理由は男女差別によるものだろうか。私は極合理的な意味があったと思う。高野山金剛峰寺は弘法大師空海が修禅の道場として開いたものである。当時修行をするのは男性であった。女性は男性にとってはとてつもなく魅力のある存在である。男性の修行の場に女性がいては修行に専念できない、と言う理由から女人禁制となったのだろう。

一方、女性の修行の場として尼寺がある。尼寺は女性僧(尼、比丘尼)が修行する処で男性はいない。同じように西洋でも修道院は男子修道院と女子修道院に分かれている。どちらも修行の場に異性が居ては修行に身が入らないと言う事だろう。

宗教の場、修行の場では異性を区別すると言う合理性が働いている。では、相撲の場はどうか。
相撲は神事と言われるが、同時に勝負の場でもある。とりあえず相撲は男性の競技である。男性の真剣勝負の場に女性が居ては気が散ってしまうと言う事だろうか。昔、レーシングサーキットに女性を入れないところがあったと聞く。やはり事故と隣り合わせのレーサーにとって魅力ある女性は影響を与えかねないのだろう。

伝統やしきたりには、少なからず合理性が潜んでいる。しかし、それが現代の世の中で通用するかどうかはまた別問題である。

先の尼寺の例では、どこかの尼寺では尼僧になる人が少なく、男性の僧侶が住職になったそうである。

では、この問題(伝統やしきたりは守るべきか否か)はどのように考えればよいのだろうか。

つづく

Ⅶ-19 伝統・しきたりは守られるべきか(その2)

実は先頃私に初孫が誕生した。孫はかわいいものである。若い時には、「孫の為には何でもしてあげたい。」と言っている年配の方を見ると「何とも婆バカな。」と思っていたが、私も「爺バカ」であった。

私が孫に何をしてやれるのかと言えば、職業柄宮参りの掛け着の用意である。日本の伝統的しきたりとして、生まれた子を連れて神社に詣でる。その際、抱いた子供に着せ掛けるのが「掛け着」あるいは「一つ身」「祝着」とも言う。着物と言っても生まれたての赤ちゃんに着物を着せる訳ではない。赤ちゃんを抱いた上から掛ける着物である。

さて、誰が赤ちゃんを抱くのかと言えば、伝統的なしきたりでは父方の母親が抱いて宮参りする事になっている。赤ちゃんを産んだ当の本人である母親は手ぶらで参ることになる。こういったしきたりが長年続けられてきた。

ところが、知人の話によると、息子の子供を宮参りで写真館に行ったところ、息子の嫁が子供を抱いて祝着を掛けて写真を撮った。写真館の人の指示に従ったところ母親は幕の外で、嫁が抱いて当然と言う風だったと言う。伝統には全く目もくれずに親子三人の写真となった。

赤ちゃんは、嫁が抱くのか母親が抱くのか。これもまた、「伝統・しきたりは守られるべきか」の論点となりそうである。

生まれた子供を宮参りさせるときは子供の母親が抱いて行く、と言うのは理にかなっているし、当たり前に考えれば当然のようにも思える。それでは何故父方の母親が抱いて祝着を掛けるのか。それには、それ相応の理由がある。

様々な理由があるらしいが、良く言われるのは、「出産後の女性は不浄なので、神社に詣でてお祓いをしてもらうまでは子供を抱っこさせない。」と言うものである。不浄と言うのは、昔は血を流すこと、血を出すことが不浄と考えられ、出産に際して血を流した母親の体には穢れがあると考えられていた。

出産した女性は不浄なのか、と言えばその科学的根拠もないし、議論しても始まらない事であろう。「昔の人はそう考えた。」としか言えないだろう。そう聞けば、反伝統派の人達は、「それなら意味がない。」といきり立つように思える。

しかし、伝統やしきたりには意外と合理的な意味が含まれていることが多い。お茶の作法や食事の作法等、昔から伝えられた伝統やしきたりは理に適っているようにも思える。

食事の時の茶碗とお椀はどちらが右でどちらが左か。日本の食事では茶碗やお椀を手に持って食べる事になっている。茶碗やお椀を持つのは左手である。茶碗とお椀のどちらを手に持つ頻度が高いのかを考えれば自ずと答えが出てくる。

また、何故茶碗やお椀を手に持たなければならないのか。最近はテーブル席が多いために茶碗を持たずに食べる人も見かけられる。しかし、御膳に座って見ればよく分かる。御膳では茶碗と口の位置が離れているために茶碗を持って口に近づけるのが理にかなっている。

お茶の作法もしかりである。お点前で建水を後ろに下げる仕草がある。何故建水を後ろに下げなければならないのか。洋服でお茶を習っている人はつい飛ばしてしまうらしいが、着物を着てお点前をすればその意味がよく分かる。建水を下げなければ袖を濡らしてしまういとった事がある。お茶の作法は傍から見ると面倒くさそうに思えるが、実は合理的に組み立てられているらしい。

さて、それでは宮参りで父方の母親が子供を抱くのはどのような合理性が伴っているのだろうか。

つづく

Ⅶ-19 伝統・しきたりは守られるべきか

着物についての伝統やしきたりについては以前から触れてきた。しかし実は私はこの「伝統・しきたりは守られるべきか」と言う議論には巻き込まれたくないと思っている。決して責任を逃れたりノンポリを決め込むつもりはないのだけれども、この議論は果てしなく勝敗は決してつかないからである。

この議論が始まれば、「伝統は守られるべき」と言う肯定派と「伝統は時代と共に変わる」「昔の悪弊を引きずる必要はない」と言うような否定派が喧々諤々の論争を交わすことになる。しかし、どちらかが相手を論破して納得させると言うのはまず起こり得ない。どちらも自説を唱えるのみで、妥協点を見いだせる物でもない。結局、何の結論も見いだせずに、場合によっては敵愾心のみが醸成されてしまうのである。

着物に限らず伝統やしきたりを現代の世の中ではどう見たらよいのか、実に大切な問題ではあるけれども、巷ではそれぞれがそれぞれの解釈でコンセンサスは見出されていない。

今回、紙面をもってこの難問を考えて見ようと思うが、これは議論ではなく私の個人的な見解を一方的に書くものである。どのような批判が浴びせられるか分からないが、一方通行の一撃離脱ブログである。

この表題が思いついたのは、ニュースを賑わせた角界のさる事件だった。

ご存知のように、土俵で倒れた男性に心臓マッサージを施そうと女性が土俵に上がった際、「女性は土俵から降りてください」のアナウンスが流れた。詳細は書かずとも事の次第はご存知の事と思う。

「土俵に女性は登れない」と言う伝統と、「命を救おうと土俵に登った女性」の間に齟齬が生じニュースを賑わすこととなった。

結果から言えば、一刻を争う救命に立ち上がった勇気ある女性(看護師?)に対して「土俵に登るな」は的を得ていない、と言うのは衆目の一致する処だと思う。インターネットやSNSでも「女性は土俵から・・・。」への批判が多かった。批判の声が渦巻く中、八角理事長は謝罪の声明を出した。当然の対応だったが、あるいは「女性は土俵から・・・。」と咄嗟にアナウンスした本人も「まずい事を言ってしまった。」と思っているのではないだろうか。

しかし、問題はこれに留まらなかった。その後も女性の土俵への登壇の是非が問題視され、土俵の下で挨拶をした宝塚市長は登壇できない事への不満を挨拶の中でしたと言う。本人は「伝統は撤廃すべき派」なのだろう。もちろんその主張には一理も二理もある。相撲協会の不手際に乗じて一気に伝統の撤廃を主張する良い機会と捉えたのかもしれない。

私は再度申し上げるが、このよう議論には関わりたくない。宝塚市長の言を受けて相撲協会が白旗を掲げて伝統を完全に撤廃する事はないだろうし、もしもそうした場合、また多くの不満が反対派から噴出するだろう。決して決着は付かない問題だと思う。

さて、相撲の話になってしまったが、着物の世界では相撲の世界以上に伝統やしきたりが論ぜられる。両派の議論に関わりたくないと言って耳を塞いでただ黙っている訳には職業柄いかない。この問題はどのように捉えれば良いのだろう。

つづく