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Ⅶ-14 呉服専門店の役割

「はれのひ」は振袖業界の振袖屋である。呉服の中で振袖に特化して販売、レンタルをして商いをしている。呉服屋は呉服一般全てを扱う専門店である。この事件を通して、呉服専門店とは何か、呉服専門店の役割は何かを考えさせられる。

先日、休みの日に女房と郊外のショッピングセンターに行って来た。ショッピングセンターには色々な店がある。衣料品所謂ブティックから食料品、雑貨、楽器店等。もちろん書店も入っている。

女房が洋服を見ている間、向かいにあった書店に入った。実は探している本があった。その本を探して書棚を見て回った。探している本は岩波文庫。通常の書店であれば各出版社の文庫本がひしめき合って並んでいる。〇〇文庫、〇〇新書の並ぶ書棚を見て回ったが、岩波文庫の書棚がない。店員さんに聞いてみた。
「岩波文庫はどこですか?」
しかし、応えは、
「岩波文庫は扱っておりません。」
街なかの書店では小さい書棚であっても岩波文庫はありそうなものだけれども、書棚はなく一冊も置いていない。その書店は文庫本を並べるのに十分な広さがあった。

仕方がないので女房の用事が終わるまで店内を見て回った。大きく書棚を占めているのはマンガ本だった。そして実用本や娯楽本が書棚を埋めていた。
「成る程、この書店の客層、売れ筋本に合わせて本を並べているんだ。」
そう思うと納得できる。ショッピングセンターの書店で哲学や歴史、思想、古典の本は売れ筋ではないのだろう。

後日、別のショッピングセンターへ行った時も同じだった。岩波文庫はなく、品揃えも前のショッピングセンターと同じだった。

「売れる商品を品ぞろえして、売れる物を売る。」これは商売の鉄則である。ショッピングセンターに出店する書店は、十分な経験とマーケティングが行われているのだろう。ショッピングセンター出店は過酷な条件が付される。ぎりぎりまでに売り上げを伸ばし、利益を確保しなければならない。その為に品揃えは売れ筋に特化するのは自然の流れである。

しかし、どうも私には合点が行かない。以前、街の本屋さんから聞いた話である。昔、本屋さんは沢山あった。私の店の周りには本屋が六軒あった。しかし、今は淘汰され、残っているのは一番大きな本屋さんが一軒だけである。

そして、その本屋さんの話では、年々売上が下がっていると言う。様々な原因が考えられるが、以前コンビニエンスストアーで盛んに本が売られていた。新聞、週刊誌はもちろん、ベストセラーの本が並べられていたことがあった。

芥川賞や直木賞を受賞した本は本屋の店頭に高く平積みにされ飛ぶように売れる。コンビニでは、そのような売れると分かっている本を種類は少ないが並べていた。芥川賞や直木賞の本と言えども全国で売れる数は決まっている。コンビニで売られた分、在来の本屋の売れ数は減少する。一通り売れてしまうと売れなくなるのでコンビニではもうその本は売り場から姿を消す。

そこで本屋さんの愚痴とも文句とも言える言葉が登場する。

専門の本屋では、売れ行きが落ちた本も置かなくてはならない。普通の人が誰も目に留めないような専門書も並べなくてはならない。大きな本屋に行けば棚がずらりと並び、図書館のように項目ごとに本が並べられている。

何千冊、何万冊並べられているのか分からないが、売り上げの大きな部分を占めるのが話題の本、ベストセラーである。専門書もベストセラーも販売しながら売上を確保している。しかし、売り上げの大きな部分、すなわちその時々の売れ筋の本をコンビニが扱う為に売り上げが減っているというのだ。

反対の見方をすれば、コンビニは実に巧い商売をしたものだ。本屋の一番美味しいところだけを商売にして利益を上げている。

本屋曰く、
「我々は専門書や極一部の人達が読む本も揃えて、万人の為の商売をしているのだけれども、美味しいところだけ持って行かれては・・・・。」
そのコンビニも最近は本の販売が急速に萎んでいると言う。インターネット販売に押されて、それほど美味しい商売ではなくなったと言う事だろうか。

つづく

 

Ⅶ-13 成人式と振袖業界(その3)

着物の中で振袖は特殊である。振袖は若い(未婚)女性の第一礼装として着られる。結婚式や正月にも着たりするけれども、多くの女性が成人式に同時に着る。逆に言えば、振袖を着る日(必要な日)が特定されるのである。

商売は、消費者の需要に応じて行われる。消費者が必要な物を必要な時に供給するのが商売である。お客様が何時どんな着物を着るのかは通常不特定である。あるお客様の親族の結婚式がいつあるのか、友人の結婚式がいつあるのかは他人にはわからない。お茶を始めようと思っているのか、友人と着物を着て女子会を何時するのか、呉服屋は分からない。いつ何時着物が必要になってもそれに応えられるようにしているのが呉服屋である。

振袖を売る店が呉服屋から振袖屋に変わった原因はその辺にあると思う。
ほとんどの女性が、誂え仕立て、レンタルを問わず成人式で振袖を着る。そして、その振袖を着る日は特定されている。さらに、振袖は一式揃えればそこそこの金額になる。金額の張る商品は逆に値引きをして(安価に)消費者の目を眩ますのに都合の良い商品である。しかして振袖を売り込むパターンが築かれていく。

できるだけ早くターゲットとなるお客様を掴んで営業を掛ける。成人式が近づけば、DMを送り何度も電話で勧誘する。同じターゲットとなるお客様に複数の振袖業者が同時に売り込み合戦をすることになるので、あの手この手の売り込み合戦になる。

上述したように「早く決めて頂かないと、当日の着付けは良い時間が採れません。是非早く決めてください。」と言うのもいち早くお客様を確保しようとする手段である。そして、他の業者よりも早くお客様を囲い込むために、一年前の予約、二年前の予約と言う事になるのだろう。

これらの努力は商売としては当たり前のことで、真面目に振袖の商売をしている呉服屋も沢山ある。しかし、売り込みがマニュアル化された振袖市場には呉服屋とは違った業者が参入してくる。

呉服の商売は実に難しい。呉服だけではなく専門的に商品を扱う商売は、宝石であれ、魚であれ、お茶であれ必要な知識を得るには並大抵ではない。しかし、マニュアル化された振袖業者の商売は、呉服を扱った事のない人でもマニュアルに従って営業現場に立たされる。そう言った意味で、振袖を売るのは、我々呉服屋ではなく振袖業界になってしまっている。

これも時代の流れなのだろう。成人式の振袖を見ると、花魁かと思わせるような振袖から、ミニスカートのような振袖、チャンピオンベルトのような帯締めなど、呉服屋の目から見れば、まるでよその業界の商品である。とは言え、今振袖は振袖業界が主流である。私のような店は化石のような店かもしれない。

しかし、その化石のような店に本来の振袖を求めてやってくる人は少ないながらいらっしゃる。そういう人達の為にも、振袖を扱い売り続けなければならないと思う。

消費者にお願いしたいのは、自分の目で振袖を選ぶことである。「早く決めて頂かないと、・・・」の言葉に惑わされず、「〇〇点セットで〇〇円ですよ。」に振り回されずに良い振袖を選んでいただきたい。そうすればこの度の「はれのひ」のような悲劇は避けられるものと思う。

Ⅶ-13 成人式と振袖業界(その2)

年頃の娘さんがいらっしゃる方であれば経験する事だが、成人式の数年前から振袖のDMが山の様に送られてくる。中にはビデオテープのカタログが同封されるDMもあると言う。それらのDMを送るのは、振袖を専門に、あるいは振袖に力を入れている呉服屋である。そう言った呉服屋さんが販売する振袖が成人式で着られる振袖の大半を占めている。

派手なDMを送らない私のような店は「(振袖を売る)やる気のない店」と思われるかもしれない。実際に私はお客様からお叱りを受けたことがある。

「娘の成人式が近いのに、結城屋さんから振袖の案内が来ると思っていたのに、来るのは他のお店ばかり。豪華なDMやビデオテープまで入ったDMが山ほど届くんです。」
その後、振袖をお目にかけて仕立てて、とても喜んでいただいた。

実際に届いたDMを見せていただいたけれども、とても私の店では真似ができるよう代物ではない。大量に印刷するのだろうけれども、「一冊いくら掛かるのだろう」と思われるものばかりだった。モデルの撮影だけでも相当掛かるだろ。私のような小さな店で創れるものではなかった。

問屋の中には、振袖専門のDMを創って呉服屋に販売しているところもある。しかし、それでは他の店との差別化は成り立たないし、扱う振袖も特定の問屋に限られてしまう。そして、そのような振袖は私の店では扱わない物ばかりである。

未成人に対する振袖販売アプローチはDMばかりではない。その筋の話によると、振袖を売り込む対象者は幼稚園、店によっては生まれた時からマークしていると言う。女子の新生児をマークして七五三、幼稚園入園まで把握して成人式の振袖販売に結びつけていると言う。

成人式が近づいてくると電話による勧誘も頻繁に来るようになるらしい。同じ店から何度も電話がくる。何軒もの振袖業者から電話が来て、「毎日のように」と言っていたお客様もいた。

振袖業者による売り込みのマーケティング、販売努力は商売人とすれば尊敬すべきものである。しかし、我々のような零細の呉服屋ではとてもついて行けない。

今回の事件で、2年後の成人式の振袖予約をして現金を支払っていた人も多数いたと言う。2年後に着る振袖が残っているのか、同じ振袖を今年も着る予定だったとすると、その振袖はどうなるのか。

振袖業者は、とにかく他の振袖業者よりも早く確約を採ることを目指している。成人式の振袖は、購入するにしてもレンタルするにしても二着はいらない。先に客を確保した方が勝ちである。電話で勧誘を受けたお客様に聞いてみると、
「早く決めて頂かないと、当日の着付けは良い時間が採れません。是非早く決めてください。」
と再三言われると言う。

売り込みのアプローチは段々早くなり、確約も一年前、二年前と早くなっている。
「早く決めて頂かないと・・・」と言うのは、殺し文句の売り口上なのだろう。

つづく

Ⅶ-13 成人式と振袖業界

最近の成人式は何かとニュースを賑わす。

数年前までは「荒れる成人式」として暴走族まがいの新成人が酒を飲んで暴れたり、式場で騒いで退場させられる新成人がいたり、と新成人本人の資質が問われるような話題がニュースを賑わしていた。

また、近年はファッションショーや仮装行列かと思わせるようないでたちの新成人が話題になっていた。こちらは、呉服屋から見ると、まるで伝統から逸脱した振袖や紋付など、これも現代若者の文化なのかと考えさせられた。

そして、今年真っ先にニュースを賑わしたのは、振袖の販売、レンタル業者である「はれのひ(株)」の夜逃げ事件だった。一生に一度の成人式を楽しみにしていた人達にとっては悲劇としか言いようがない。

今年の成人式の話題は、新成人達本人ではなく、それを支えるべき旧成人の話題になってしまった。事件は故意的な詐欺によるものなのか、あるいは経営破綻の結果なのかは分からないが、今回の出来事は起こるべくして起こった事件の様に思える。

振袖は和服の中でも目立つ着物である。目立つと言うのは、振袖は着物の中でも最も豪華で華やかな着物である。価格も物にも寄るが、袋帯や襦袢などを合わせれば一般に高価でもある。そういう意味では、和服の華と言えるかもしれない。

成人式が近づいてくると、和主はお客様に次のような事をよく言われる。
「成人式が近いので、お忙しいでしょう。」
ほとんどの新成人女性が振袖を着ている成人式を見ると、
「さぞ呉服屋さんは振袖を売るのに忙しいのでしょう。」
と思われるらしいのだが、私の店ではそのような言葉通りの忙しさはない。

一つには、新成人達は成人式が近いからと言って振袖を誂えるわけではない。振袖を誂える時期は人により様々である。強いて言うならば、最近は進学や就職で地元を離れている人が多いので、春休みや夏休みに親子で振袖を見に来る人もいるが、それも時期が決まってはいない。

もう一つの理由としては、振袖を誂える人は少ない。

成人式の振袖を着ている新成人達を見ると、
「あんなに沢山の振袖姿・・・。」
と思われるかもしれないが、実は最近レンタルが多い。今回の事件でも「レンタルした振袖が届かなかった。」と言う人が沢山いた。昔はレンタルで成人式に臨む人はいなかったと思うけれども、最近はレンタルが多数、いや主流になっているようだ。

とは言え、それでも平成18年山形県の成人式対象者は1万1141人。その内女性は5501人である。成人式に出席しない人もいるので八掛と考えても、女性全員が振袖を着れば、5501×0.8=4400人分の振袖が必要となる。レンタルを選ぶ女性は5~7割という話もある。中には母親の振袖を着る人もいるので、実際に振袖を誂えるのは3割以下かもしれない。

仮に3割としても山形では1320着の振袖が販売されていることになる。私の店ではレンタルはしていないので、この1320着が対象になるのだけれども、私の店では年間の振袖販売は数着である。呉服屋の振袖販売量としては非常に少ないと思われるかもしれないし、「おたくの店では振袖はもっと売れるでしょう」と言う問屋さんもいる。しかし、振袖の販売は、私の感覚からすると呉服業界とは違った別の業界が販売しているように思える。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その8)

現代の、着物に向き合う人(着る人も売る人も含めて)の着物との付き合い方は余りにも偏っている。昔は、高価な着物から普段に泥だらけになって着る着物まであったはずなのだけれども、今は着物と言えば宝石の如く扱われている。

何故そうなってしまったかと言えば、着物を着る人が少なくなってしまったのが大きな理由である。普段着は洋服が取って代わり、着物と言えば振袖をはじめとして晴れ着が主流となった。普段着である紬や綿反、ウールは、生産単数が減り、本当の普段着として織られていたそれらの反物は採算が取れずに姿を消していった。今織られている紬は、付加価値の高い紬ばかりが多くなってきている。

そう言った事情で着物は特殊なものとして扱われ、着物の付き合い方も昔とは変わってきたのである。

しかし、実はそればかりではない。着物が特殊なものになってしまった原因は、我々呉服業界にある。それは、相当な責任である。

呉服業界が斜陽産業となり需要が減り続けた時、業界はどのように振舞ったのか。どんな産業でも売り上げが減ればそれを阻止しようとする。それは当然の対策である。目的は需要の喚起と利益の確保である。しかし、その方向が誤っていた。

需要の喚起の為、あらゆる手段を用いた。過度な勧誘の展示会商法、招待旅行、二重価格による値引き商法、多大な景品など。そして、お客を取り囲んで着物を買わせる、といった犯罪的商法にまで至っている。

そして、利益を確保するために価格のつり上げ、経費の上乗せが行われ、着物の価格は高騰し普段に着る紬でさえも消費者の目には高価な着物と映るようになってしまった。

更に、着物を利益を生む手段としか考えない業者が現れ、普段に着物を着たいと思っている人達の芽を摘んでしまった。

普段に着るような着物、安価な紬や綿反、ウールなどを扱っている呉服屋はどれだけあるだろうか。メリンスの着尺や襦袢、ネルやセルは手に入りにくくなっている。あることはあるのだが、柄数が極端に少なくなっている。扱う問屋も減ってきている。

呉服屋の販売員で仕立て替えや仕立て直しの知識を持っている人はどれだけいるだろうか。古い着物をできるだけ難が目立たないように、いわば巧く仕立てる術をお客様に的確にアドバイスできる呉服屋はどれだけあるだろうか。

仕立替えや仕立て直しなど儲からない。それよりも高価な着物を売ることに精を出している呉服屋が多くはないだろうか。もっとも私は、そのような呉服屋は呉服屋の名に値しないと思っている。

着物は特殊なものではない。本当の呉服屋は晴れ着から普段着まで、どのようなメンテナンスにも応じてくれるはずである。そして、そのような呉服屋はまだ全国にたくさん残っていると信じている。

着物との付き合い方を根本から見直し、いや本当の姿に戻し、それを支えてくれる呉服屋を育ててはもらえないだろうか。呉服屋からの消費者へのお願いである。

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その7)

第三に、着物の取り扱い方である。

着物は高価でデリケートで、取扱い、メンテナンスが難しい、というのが今の人達の着物に対する認識ではなかろうか。

私たち呉服屋も着物を壊れやすい宝石の様に扱い、シミを付けぬ様、キズを付けぬ様最新の注意を以て扱っている。特に一越縮緬の友禅の訪問着や塩瀬の染帯は汚さぬように、折傷を付けない様気を付けている。唐織や浮き糸のある帯は糸を引っかけぬ様気を遣う。

また、仕立は正確な寸法で仕立てることはもちろん、絵羽であれば柄がぴたりと合うように、小紋であっても柄付けによっては全体的に柄がどこかに寄ってしまわない様に考えながら仕立てている。

高価な着物は取扱いや仕立てに気を使わなければならないのは、それを売る呉服屋では当たり前に求められる姿勢であり、高価な着物を購入するお客様にとってはそれを求めるのも当然である。

しかし、昔は日本人皆が着物を着ていた。貴族から庶民にいたるまで。また、普段でも晴れの場でも着物を着ていた。庶民が普段に来ていた着物はどのような着物だろう。そして、その着物はどのように扱われていただろうか。

その基準から言えば、今呉服屋で売られている着物の大半が貴族が来ていたような、又は庶民が晴れの場で着ていた着物と言える。加えて、昔庶民が来ていた着物、例えば結城紬や大島紬等は、その希少性や人件費の高騰による価格の上昇により、普段着ではあるけれども貴族が着る着物あるいはそれ以上高価な着物になっている。

そういう意味で、昔庶民が普段に来ていた着物と言えるものは、今ほとんど呉服屋の店頭からは消え去ってしまった。私の店ではネルやセル、メリンス、綿反など扱っているが需要は非常に少ない。中でも庶民の着物であっただろう会津木綿などの一万円以下で買えるような綿反の仕立てはほとんど注文がない。

本当の意味での「普段着の着物」と言うのは、もはや絶滅したと言っても良い。従って「普段着の取り扱い、仕立て」と言うのはなくなり、全ての着物が宝石を扱うような姿勢を求められている。

さて、このお客様には晴れ着を納めたこともあるが、その時はもちろん他のお客様同様に大切に納めさせていただいている。しかし、このご主人の普段着の場合、私は昔の呉服屋になったような気がしてしまう。

蔵の隅に眠っている反物を持ってきては仕立てを頼んでゆく。長年蔵の隅に眠っていた反物は汚れやヤケ、たまには引っかけたキズがあったりする。長年着古した普段着の仕立て替えを頼まれれば、擦り切れやキズ、古いシミなどいくらでもある。

余りに古い反物は洗って汚れを落とし、時にはカビを払ったりする。仕立て替えの時には洗い張りをして仕立てる。それらの生地は、まともな反物から見れば明らかに難物である。もちろん新品として売ることはできないし、宝石のような着物ばかりを見ている人には着るに値しない着物かもしれない。しかし、昔はこういった着物を大切に仕立てを繰り返して着ていたのである。

仕立てる前にはこのご主人に、キズやヤケ、取れないシミがあれば説明する。そして、「難のある場所は下前の目立たないところに」とか「裏側の方がきれいなので裏返しに仕立てます」とか「袖口が擦り切れていますので左右逆にします」「身丈が足りないので別布を帯で隠れる部分に継ぎます」と仕立て方を説明します。

これらの仕立ての技は、宝石のような着物達にとっては屈辱的かもしれない。あるいは「呉服屋がごまかして仕立てた」と言われるかもしれない手法である。しかし、そのご主人は、「ああ、結城さんの思うとおりにやってください。普段に着られれば良いですから。」と、一向に気にしない。

私は普段着だからと言って仕立てに手を抜く気はさらさら無いし、如何に難を目立たせないか、むしろ正反よりも仕立てには気を遣う。実際にこのような仕立てでも難が目につくことはほとんどない。下前に汚れがあっても捲くって見なければ分からない。やむを得ず剥がなければならない時でも外から見える場所には剥がない。着物の機能として何ら問題はないのである。

本人にしてみれば、機能的には仕立て替えによって新品同様となり、また何年も着る事になる。おそらく洋服よりも安いだろう。いや、本人は安いとか高いとかの感覚ではなく、自分が着たい着物をごく当たり前に仕立てや仕立て返しただけなのだろう。着物と実に自然に付き合っているように思える。

私は、このようなお客様に出会うと呉服屋の原点に戻ったような気がする。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その6)

第一に、この家庭では、着物と縁を切ってはいない。おかしな言い方かもしれないが、現代の日本の家庭を見ると「着物と縁を切っている」と思われる家庭が多い。

着物は一枚も持たず、冠婚葬祭は着物を着るという感覚は全くなく、常に洋服。一生着物を着ない人もいるかもしれない。日本人である限り、冠婚葬祭をはじめ、着るべき時には着物を着る、または選択肢として考えていただきたいのだが実際はそうはなっていない。

この家庭では着物を排除していない。主人以外は普段着物を着る事も無いし、度々着物を仕立てるわけではない。しかし、必要な時には着物を着るし、適切な着物がなければ仕立てもする。

今時、全ての日本人が普段に着物を着るべきだ、などと原理主義を振りかざす気はないし、振りかざしたとてなびく人はいないだろう。ただ日本人として生活の片隅に着物の居場所を創っておいていただきたいのである。

第二に、この家庭では着物を特別なものとは見ていない。

日本の現代の衣装は、まちがいなく主流は洋服である。着物と縁を切っていない人でも「着物」と聞くと特別な衣装、と身構える人が多いように思える。着物が好きでしょっちゅう呉服屋に出入りしている人は極一部で特殊な人と思われている節がある。

たまにしか着物を着ない人は呉服屋に入るのは勇気がいるらしい。そして、着物を仕立てることは特別なことと思われている。たしかに普通の人にとって着物を作るのは稀だしお金もかかる。特別なことと思われても仕方がないかもしれない。

しかし、考えて見れば、洋服も同じである。お洒落に興味のある人は、給料日毎にブティックに出入りするかもしれない。それは着物を好きな人が呉服屋に出入りするのと同じである。普通の人はそれ程ブティック、洋服屋に通っているわけではない。

私は25年前にコートを買って、それ以来コートは買っていない。今度買うとしたら30年ぶりかもしれないが格別緊張はしない。25年は長すぎるが、スーツやコートは10年に一度しか買わない人もいるだろう。しかし、スーツやコートを10年ぶりに買いに行っても緊張したり特別な思いはないだろう。

確かに洋服と着物は価格も着付けもメンテナンスも違うので、洋服ばかり着ている人には違和感を覚えるかもしれない。しかし、「衣装」と言う大きな目で見れば、どちらも同じであり特別な感慨を抱く必要もないのであるがなかなかそうもいかない。

この家庭では着物に対して特別な思いは感じられない。ごく普通に「着るべき物」「衣装」として付き合っている。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その5)

さて、ウールは洗い張りをしないので私が解いた。自分で解けば着物の状態がよく分かる。解いた裂片は一枚でもなくせば仕立て替えはできなくなる。注意して糸を抜きながら解いた。小さな穴が開いたり擦り切れているものもある。

解いた後は仕立てである。仕立士を呼んで仕立てを頼んだ。仕立士は職人としてプライドもあり、古い着物の仕立て替えは嫌がるのかと思いきや、仕立て直しも喜んで受けてくれる。仕立て替えの場合、既に裁ってあるので、反物にハサミを入れる緊張から解放されるという。

そして、今回のような破れや擦り切れなどがあるものは、どのようにしてその難を目立たせなくするかは、その仕立士の腕の見せ所となり、仕立士によっては、そう言った仕事を好んで受ける人もいる。

仕立士には傷のある個所、擦り切れている場所を示しながら仕立て直しの方法を話し合った。「おくみの丈の足りない分は衣敷から採る。」「右左の袖を反対にして、擦り切れた袖口を袖付けにする。」他に「穴の開いた部分をできるだけ目立たせないで」等々。

果たして古いウールの着物は仕立て替えられて仕上がってきた。洗い張り、折消しをしていないので、アイロンで伸ばしているとは言えども若干の折痕が残っているが、袖口の擦り切れはなくなり(袖付けの中に織り込まれている)、本人の寸法通りに仕立て上がった。

その後、綿絣も仕上がり納めることができた。加工代は、解き代と仕立て代程度なので新品を仕立てるよりも遥かに安い。新品と同じとは言えないが、普段に着る着物なので何も不都合はない。そのお客様には大変喜んでいただいた。

私の店のお客様について色々と書いてきたが、このお客様と言うよりもこの家の方々の着物との付き合い方は、現代の日本の家族の手本になることが多々あるように思える。その一つ一つについて解説しよう。

第一に、この家庭では、着物と縁を切ってはいない。

おかしな言い方かもしれないが、現代の日本の家庭を見ると「着物と縁を切っている」と思われる家庭が多い。

着物は一枚も持たず、冠婚葬祭は着物を着るという感覚は全くなく、常に洋服。一生着物を着ない人もいるかもしれない。日本人である限り、冠婚葬祭をはじめ、着るべき時には着物を着る、または選択肢として考えていただきたいのだが実際はそうはなっていない。

この家庭では着物を排除していない。主人以外は普段着物を着る事も無いし、度々着物を仕立てるわけではない。しかし、必要な時には着物を着るし、適切な着物がなければ仕立てもする。

今時、全ての日本人が普段に着物を着るべきだ、などと原理主義を振りかざす気はないし、振りかざしたとてなびく人はいないだろう。ただ日本人として生活の片隅に着物の居場所を創っておいていただきたいのである。

第二に、この家庭では着物を特別なものとは見ていない。

つづく

来週(12月31日)は休ませていただきます。
 新春1月7日よりUP致します。

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その4)

初めて着物を仕立てるので寸法の控えはなかった。そこで着ている着物を見本として採寸することにした。ところが着ている着物は異常に丈が短い。裄も短かった。

「ちょっと丈が短いようですが。」
と言うと、
「これ私の祖父さんの着物なんです。うちの祖父さんは背が低かったので・・・。」
着ていたのは祖父が着ていた単衣の着物だった。直さずに来ているので、丈は2寸程度(7~8センチ)短かった。採寸して、その後丹前地を仕立てて納めた。

しばらくして、また風呂敷包みを抱えてやってきた。

「先輩、いいですね。やはり自分の寸法と言うのは。足元は暖かいし、体にピタッと来るんです。」

そう言って風呂敷包みを解いて、
「これも仕立て直してください。私、いつもこれを着ているんです。」

先日着てきたウールの着物だった。正直高価な着物ではない。袖口も一部擦り切れている。それでも内揚げしてあるので丈は伸ばせそうである。

仕立替えをするとなると、通常、洗い張りをして筋けしをして仕立て替える。加工賃も結構かかる。いくらぐらいかかるかを理解していただくために加工する手順と加工賃を説明した。そして、普段着なので折痕が気にならないのであれば洗い張りをせずにアイロンで伸ばすだけなら安くなることも説明した。

ウールは普段着である。昔はおそらく仕立て替えするのにいちいち丁寧に洗い張りなどしなかったかもしれない。もしくは自分の家で洗い張りをしたのかもしれない。

「どうせ家で着ますので、洗わなくても結構です。」

結局、解いてアイロンで筋消しして仕立てることにした。

風呂敷包みには他にも数着の着物が入っていた。
「これはどうしたらよいでしょうか。」

いずれも祖父や父親の着物らしいが、着ていてやはり自分の寸法に直せれば良いと思ったのだろう。それら一枚一枚寸法を測り、打揚げはあるのか、反物幅は裄が出せるだけあるのかどうかを調べた。残念ながら内揚げがなかったり、幅が足りなかったりで仕立替えが難しい物ばかりだった。

しかし、一枚だけ私の目に留まった着物があった。単衣の綿の絣だったが、非常に柔らかく綿薩摩かと思わせるものだった。亀甲も綺麗に揃っている。

「残念だけど仕立て替えは難しい物ばかりですが、これだけは良い物ですので洗い張りをして仕立替えしたら良いですよ。」

私がそう言うと、
「ああ、それはとても着易いと思っていたんです。それじゃ、それだけ仕立替えしてください。」

結局、ウールと綿絣の着物を仕立て替えることになった。

つづく

Ⅶ-ⅻ 着物との本当の付き合い方とは(その3)

その家は名家で、山形で大きな会社を経営している。息子さんは既に社長さんで、お父さんはもう引退している。

先々代から付き合いはあるが、度々着物を買いに来ているわけではない。私の父が生きていたころ先代さんと合えばよく「結城さん、娘結婚する時には着物を買うから。」と言われたのを私もよく聞いていた。

私が山形に戻ってきてからあまり店に来たことはなかったが、その娘さんが嫁ぐ時には一式揃えてくれた。他にも結婚式など必要な時に何度か買っていただいたが、しょっちゅう店に来るわけではない。必要に応じて必要な着物を買いに来ていた。私の店でも着物を売り込みに行くでもなく、着物について相談されれば相談に応じていた。

その家の方が私の店に余りやってこなかったのは訳がある。それは、着物を買う必要がなかったのである。買う必要がないというのは、名家であるがゆえに着物はたくさん持っていた。先代に嫁いできた大奥様も沢山の着物を持参したのだろう。また、先々代の旦那はいつも着物を着ていた。だから沢山着物を持っていた。

つまり、着物を着る事はあるが、買わなくても着物はある。しかし、必要に迫られれば結城屋で着物を買う、という極当たり前のことだった。

さて、その息子さん(社長さん)が着物姿で自転車の荷台に大きな風呂敷包みをつんで店にやってきた。普段はスーツ姿の社長さんである。

「〇〇さん、今日はどうされたのですか。」
と聞くと、

「先輩(私の事を先輩と呼んでくれる)、ちょっとこれを見てもらいたいんです。」
そう言って荷物を解いて店に持ち込んだ。風呂敷からは反物が十反程出てきた。

「蔵を掃除したら出て来たんです。」
反物はいずれも古いものだった。黄色くなった箱に入ったものや、破れた紙に巻かれたものなど。綿やウールの反物だった。

「私は家ではいつも着物なんです。この着物を着てお尻を端折って洗濯や風呂掃除をしています。」

大社長さんが家で着物の尻を端折って風呂掃除をする姿を想像して、少し可笑しくなったが、かえって名家に似つかわしいようにも思えた。そして、
「私の次男も着物が好きで息子にも一枚作ってやりたいのですが、これで何とかなるでしょうか。」

私は反物を一反一反調べた。中には初めて見る反物もあった。ウールの丹前地である。ウールの生地の裏にネルの生地を張り付けたような反物だった。仕立てれば単衣の仕立物になるが、袷と同じような温かい着物になる。生地の端には「寿」の字が赤く染められていた。

「昔、結婚式で引きものとして貰ったもののようです。昔は引きものに反物を使っていたんですね。」

結婚式で貰った反物をそのまま蔵に仕舞っていたものらしい。

他にもウールや綿反があった。それぞれの反物の幅を計ってみたが、男物に仕立てるのに綿反は幅が狭く裄が出ないものが多い。結局、丹前地が二反あったので、本人と息子さんの着物を仕立てることになった。

つづく