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Ⅶ-41 「着物を着てください」(その2)

お客様によく「着物を着る機会がなくて」と言う言葉を聞きます。それに応えて業界では着物のイベントに向かう訳ですが、それとは反対方向に、即ち普段に着物を着る環境を啓蒙する事の方が重要と思えます。

「着物を着る機会がなくて」と言うお客様の言葉に、
「今日お召しに成ってお出でになれば良いんじゃないですか。」
と言うと一応頷かれます。実は着物を着る機会がないのではなく「一人では着れない」「自分だけが着物を着るのが恥ずかしい」「こんな着物を着たら誰かに何か言われる」と言った理由がその裏にあるように思われます。

そう言った着物を着る事に対する不安を一つ一つ解消して差上げる事が着物を着る事に繋がる様に思えます。

私の店でもお客様には普段着物を着てもらうように話している。そして、
「自分で着て不安だったら店に寄ってください、直して差しあげますから。」
帯の組み合わせに苦慮しているお客様には、
「持って来て見せてください。その場に合わせた組み合わせを考えます。」
普段着物から遠ざかっている事が着物を着るのを億劫にさせている。

着物を着るのはファッションショーに出るのとは違う。仮装行列に出るのではない。着物を着る事が何か特別な事と言う意識をなくしてもらえないだろうか。

生活の中のちょっとした機会に着物を着ていただければ、もっと着物を身近に感じる事ができるに違いない。

 

結城屋のホームページは10月中にリニューアルします。ご期待ください。

Ⅶ-41 「着物を着てください」

着物の需要が減っている。「需要」と言うのは、ここでは着物の販売量である。業界では減少する着物の販売に歯止めを掛けて「需要」を喚起しようとしてきた。その手法はと言えば、大々的な販売会を催したり、旅行に誘って着物を販売する、度々訪問して販売につなげる等、それらはそれなりに「需要」を促進したと言えるかもしれない。

しかし、それらは本当に「需要」と言えるのだろうか。それらは「需用」ではなく「販売量」である。

「需要」と「販売量」は同じでない事は明白であるが、通常「販売量」は「需要」とほぼイーブンであることが多い。例えば「歯磨き」の販売量は「需要」に伴った「販売量」である。流通のロスや販売されても何らかの理由で消費されなかった「歯磨き」は必ず存在するが、それらは歩留まりとしての範囲である。「需要」が「販売量」を越える事はなく「需要」は「販売量」をわずかに下回る程度である。

しかし、呉服業界の場合事情を異にしている。

着物においても本当の「需要」と言うのは「着物を着る事」である。歯磨きをしなくてはならないから歯磨きを買うのと同じように着物を着なくてはならないから着物を買うのが本当の需要である。

そのような原則に従っていれば、呉服業界でも「需要」と「販売量」の差は僅差であるはずである。しかし、着物の需要がないのに度を越した販売がなされているのが現状である。

あの手この手で販売を喚起している業者も「需要」即ち消費者が実際に着物を着る事と「販売量」との差に大きな開きがあることを悟っている。つまり、自分たちが販売した着物に消費者が袖を通していない事実は十分に分かって販売している。

「需要」と「販売量」の剥離は将来を見渡せば間違いなく販売量の減につながる。そこで実際の需要(着物を着る)を増やす為に行われているのが「着物パーティ」「着物で〇〇」の類のイベントである。着物を着る機会を増やして「需要」と「販売量」の剥離を減らそうと言う試みである。

お客様の話を聞けば、「着物を着る機会がなくて・・・」と言う言葉をよく聞く。着物を着る機会を増やすことは良い事であり呉服業界にとっても活性化の要因となり得る。

しかし、それらのイベントが本当の意味での需要の増加と言えるのかどうか、私には疑問が残る。

このようなイベントで着物を着るプロセスは、

着物イベントに誘う → 着物を購入する、または箪笥から着物を出す → 着物のイベントに参加する

イベントに参加する事によって消費者が着物を着る事に抵抗がなくなり、普段も着物を着るようになる、と言うのであれば意味がある。しかし、そのイベントの為だけに着物を購入する(購入させる)と言うのであれば実際の需要とは言えず、その為に購入した着物が箪笥に眠ってしまうのであれば、益々「需要」と「販売量」の剥離が進むと思われます。

表題に「着物を着てください」と書きました。着物を着る根源的な動機をもっと広めて頂きたいのです。

つづく

Ⅶ-40 着物の処分・古着(その4)

ご存知の通り、着物は超高額の商品もあるが、普段着として安価な商品もある。今は余り着られなくなったが、綿やウールの着物。安い紬地など昔は普段着として着られたものである。親から譲られた着物の中には、そう言った普段着の着物がある一方で、嫁入りの為に親が娘の幸せを祈って仕立てた高価な紋付や訪問着、大島紬や結城紬もタンスに眠っている。

それらの着物を譲られた人の多くがその違いが分からずに処分・売却しようとしている。その為に私の処へ相談にいらっしゃる人が多いのだけれども、果たしてそれらは区別して業者に引き取られているのだろうか。

前述したように、古着を買い取ってそれを店に並べて売って商売するのはそう簡単な事ではない。余程安く仕入れ(買取ら)なくては商売にならないのだろう。

普段着のウールの着物などは、買い取る側からすればほんの二束三文の値段は避けられない。しかし、玄人の目で見てはっきりと価値が分かる着物も二束三文と言う事はないのだろうか。

私は着物を処分売却する立場、着物を買い取る立場どちらかに加担するつもりはさらさらなく、売りに出される着物の立場を考えるとやるせない気持ちになるのである。

古着として処分される着物は買った価格から比べれば二束三文になるのは避けられない。しかし、売却する立場、買い取る立場双方が売却される(買い取られる)着物を尊重してほしいと思うのである。

着物には、それを織った人染めた人の心が込められており、それを買って仕立てた人、また仕立てた職人の心も宿っている。それらの心を十分に理解した着物の処分であって欲しいと思う。

着物を処分する方法は様々あるけれども、自分が処分しようとしている着物がどのような着物なのかをまず理解していただきたい。着物の事がよく分からない方には難しいかもしれないけれども、着物に詳しい人や近くの呉服屋さんで一度見てもらえばよいと思う。

自分が持っている着物がどのような着物なのかを理解すれば処分の方法も変わってくるだろうから。また、長年箪笥の中に眠っていた着物に対する礼儀だとも思えるのである。

Ⅶ-40 着物の処分・古着(その3)

我々呉服屋がお客様に着物を売る場合、お客様の目的と好みに合わせて商品をお目に掛ける。成人式であれば振袖を。結婚式であればそれに相応しい晴れ着を。おしゃれ着であれば財布と相談して相応しい紬を、と言ったように。

しかし、着物を譲る場合、その着物が譲られる人が必ずしも欲している着物とは限らない。いやむしろそうでない場合がほとんどであると思った方が良い。振袖を欲しがっている人に振袖を、と言うのは確率から言って非常に少ないだろう。

親族であれば、「とりあえず貰っておいて」と言う事もあるかもしれないが、全くの他人に有償無償で譲るとなると、好みと需要とが一致すると言うのは殆どないと考えた方が良いかもしれない。
それでも、「邪魔になるので幾らででも処分してしまいたい」と言う人もいる。

着物に限らず中古品の買取は行われている。着物に限って言えば、ここ十数年前から古着の市場が盛んである。古着を専門とする全国チェーンもいくつかある。そして、それらの店の商品を集めるために積極的に古着を買い集めている。

そういう店では古着を買い取ってくれる。しかし、実際に買い取ってもらった人の話では極安価な価格での引き取りである。私は古着の商売はしていないが、古着を安くしか買い取らない事情は理解できる。

買い取った古着が全て売れるわけではない。売れるのは一部で、大半の残った古着は裁断して端切れとして売るらしい。そうすると、押しなべて買い取る古着は極安価でなければ採算は取れないだろう。

私も古着店を覗いたことがある。「よくもこれだけ集めた」と思えるほど商品が並んでいる。中には、本場大島紬や加賀友禅などもある。それらは古着の中でも別格扱いにされていた。

仕立上がった本場大島紬にまだ仕付け糸が付いたものもあった。店の人が作為的に仕付け糸を付けた訳ではないだろうが、9マルキの本場大島紬が誰かの為に仕立てられ、袖を通される事無く古着屋に並んでいるとすると、呉服屋としては複雑な気持ちになってしまう。

大島紬に限らず、「娘の為に」と仕立てた着物が、時代が変わり着物を着なくなった現代、袖も通されずに古着屋に並んでいるのに何故か哀れを感じるのは古い人間だろうか。

感傷はさて置いて、着物を処分したい人がそのようなルートで処分・売却するとしたらどうなのだろう。極安価な価格(いわば二束三文)で引き取られるのを承知で売却しているが、問題はないのだろうか。

買い取るお店によっても違うかもしれないし、私は本当の実態を知らない。しかし、呉服を扱う者として少々気になることがある。

つづく

Ⅶ-40 着物の処分・古着(その2)

着物は直線裁ちを基本として、寸法を採るのに生地を縫い込み、また内揚げをして仕立て替えを可能にしている。洋服には、仕立替えをして他人が着るという事は想定されていない。

予め仕立替えを前提に着物のデザインがなされたのか、着物のデザイン故に仕立替えが可能なのかは分からないが、伝統的に着物は仕立替えをして着られてきた。

そういう意味から言って、着物の処分の相談に来られる方には呉服屋として「誰か身内で着る人がいたら着てもらうのが良い」と言う言葉が出てしまう。自分が着ないのであれば誰か身内で着る方に仕立て替えて着てもらうのが着物にとって最も幸せだろうと思う。

しかし、昨今の事情を鑑みるに、他人の着物を仕立て替えて着たいと言う需要は非常に少ない。着物にとっては残念ではあるが、現実にはなかなか難しい。

そうなると、着物を処分したい人にとって選択肢は➁➂➃のいずれかとなる。いずれにしても着物を手放す、他人に渡す場合基本的に着物について知っておかなくてはならない。

着物を売り払う場合いくらで売れるのか、着物を処分したい人にとっては興味のある事と思う。中には高額な着物もあり、相応の価格で売却できると思う人もいるかもしれない。

着物に限らず物の売り買いと言うのは、売る人がいて買う人がいる。双方の価格が一致する時売買が成立する。これが商品売買の基本である。

金や(上場)株の場合取引は比較的簡単である。相場は決まっていて、売る人はいくらで売れるかが分かる。大量に売り出せば相場に影響するかもしれないが、通常の売買では売りに出せばその時の相場で売買は成立する。

着物の場合はどうだろうか。着物の価格と言えば呉服店の店頭で値札が付けられている。その価格で買えばすぐに売買は成立する。しかし、呉服の小売価格に関しては以前から延々と解説してきたけれども相場と言うものはない。安い店頭価格と展示会等の価格では五倍以上差がある場合もある。

着物を買う人は感じていないかもしれないが、買い手(お客様)は売り手(呉服屋)が提示する価格に納得して買うのである。時には値引きをして買う場合もある。最終的には、その価格でその商品を買うのが妥当と判断してお客様は着物を買う。そう言うと「着物の価値は分からないから呉服屋さんが一方的に価格を決めて・・・。」と言う反論を頂戴するかもしれない。

しかし、物の売買は基本的にはそういうもので、売り手買い手双方が責任をもって成立したものである。残念ながら現在の呉服の世界では、「接待」や「勧誘」、「作家物」や「落款」と言った付加価値で目を曇らせられているケースも多い。着物を購入する時はあらゆる雑音を排し、自分がその金額で着たい着物なのかを判断するのが大切であると以前より書いてきた。

そのような目で判断した場合、自分が持っている着物を他人に譲る時、譲られる人(買う人)が「いくらであればその着物を着たいのか」が問題となる。買う人の判断には、もといくらで買った着物かは問題ではない。単純にその着物を着て見たいか否かが買う値段を決める事になる。

加えて、古い着物(中古品)、汚れがある等のマイナス点も考慮する事だろう。

つづく