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Ⅶ-40 着物の処分・古着

最近、着物の処分に関する相談が増えてきた。「処分」と言うのは、必ずしも捨てる事ではなく、親や知人から譲られた大量の着物についての相談です。

先日、高校時代の同級生から電話があり、
「お前呉服屋だったな。親父の着物見てくれないか。俺はさっぱり分からないから。」
そう言って、風呂敷に二包みの着物を持ってきた。

このような場合、相談の内容には、次のようないくつかのパターンがある。

➀ 自分が(あるいは娘が)着たいと思うけれども、果たして着れるものかどうか。着られるとしたらどのような加工が必要でいくらぐらい加工代がかかるのか。

➁ 自分は着物を着ないので売り払いたい。売るとしたらどうすればよいのか、そしていくらぐらいで売れるのか。

➂ どうしようもないので捨ててしまいたい。しかし、価値が分からないので、高価な着物があるかどうか見てもらいたい。そうでない物はタダで良いから引き取ってもらいたい。

➃ 着物の事は全く分からないのでどうしたら良いか教えて欲しい。
大まかに言えばそのような相談である。

その同級生の場合は概ね➂のパターンだった。

聞けば、父親の着物を処分したいと言う。私は呉服屋として、できるだけ着物を大切に伝えてもらいたいと思っている。相談にいらっしゃる方には、「誰か身内で着る人がいたら着てもらうのが良い」と言う立場でお応えしている。

「なんだ、自分で着ればいいじゃないか。」

その友人にそう言うと、
「俺は着物を着ないし、俺の分は俺の分で親父が仕立ててくれた着物があるんだ。」

そして、
「処分したいので、誰か着る人がいたら着てもらって。」
と言う訳で、誰か貰って着てくれる人を探すことになった。

持ってきた着物は、黒紋付と袴一式、大島紬アンサンブル一式、紬アンサンブル一式、ウールの着物等だった。黒紋付は、今では手に入らない様な立派な塩瀬羽二重地だった。仕立替えしても値打ちがある生地だったが、紋付の場合紋が入っているので他の人はそのままでは着られない。黒の紋入れ替えは難しいので貼り紋になってしまう。

差し当たって黒紋付を着る人と言えば、謡曲家か弓道家である。お客様に弓道家がいらっしゃるので着る人を探してもらう事にした。

他の着物は、知り合いの演劇集団に声を掛けたら直ぐに飛んできた。時代劇の演劇集団なので着物はいくらでも欲しいと言う。

何とか着物の嫁入り先を見つける事ができた。

さて、このケースは➂に該当するが、何時でもすぐに嫁入り先が見つかる訳ではない。一般的なご相談にはどのように対処したらよいのか、改めて考えさせられた。

つづく

Ⅶ-39 続「KIMONO」騒動(その6)

日本でもパスタが広く食されている。元々はイタリア、地中海で創られた食材、食文化が世界中に広がっている。そして、日本では「和風パスタ」など日本独自のパスタメニューが考案されている。イタリア人が見れば、始めて見るものも多いだろう。

「ラーメン」は元々「中華そば」と呼ばれ、中華料理の一つの様に思えるが、日本人が長い時を経て今日の「ラーメン」を創り上げている。

「中国へ行ったらラーメンを食べなきゃ」
と言った人が、
「日本のラーメンとは似ても似つかないものを食べてきた」
と言う話を聞いたことがある。今、中国からの観光客が日本のラーメンを食べて来ると言う。中国に進出するラーメン屋も相次ぎ、また日本のラーメン屋をパクった店も現地で繁盛していると聞く。

食文化に限らず、ある国の文化が海外に紹介され受け入れられれば、自然とその国に同化して行くものである。「和風パスタ」は日本人の口に合うし、「ラーメン」は日本の物として認識され始めている。海外で進化した「SUSHI」は、日本人には奇異に見えても、現地の人には美味しいのだろう。

問題を「着物」に戻してみよう。

「着物」は日本の文化であり、海外にも知られるようになり、その美しさは評価されている。日本を訪れる外国人は「KIMONO」をレンタルし名所をそぞろ歩く。

外国人は、自国の文化を通して「着物」を見て評価する。それは必ずしも日本の伝統的な着物とは一致しない場合もある。

以前、男性の欧米人が浴衣を仕立てに着たことがあった。男性用の浴衣の反物を見せて、どれがいいかと尋ねた。しかし、その男性は目の前の反物が気に入らず、女性ものの反物を手にした。
「それは女性用で、男性用はこちらです。」
そう説明したが、結局気に入らずに帰ってしまった。彼の感覚では、浴衣はアロハシャツの感覚なのかもしれない。日本では男性が赤い浴衣を着る事はないが、欧米では年配の紳士が赤いネクタイやセーターを着るのはごく自然である。

「着物文化を世界に広める」事と「日本の伝統文化を世界に紹介する」と言う二つの事象は異なるものと思わなければならない。

キム・カーダシアンさんの「KIMONO」もその辺のボタンの掛け違いから生じたものとも言える。ただし、キム・カーダシアンさん場合、商標登録しようとしたことで問題が大きくなった。キム・カーダシアンさんが本当に「日本の伝統文化である着物」を理解していたならばそうはならなかったかもしれない。しかし、掛かる所業は「着物文化が世界に広まった」証左と言えるかもしれない。

この問題を検索していたら次のような意見があった。
『「KIMINO」の命名に日本人が不快を感じるならば、「ジンギスカン鍋」と言う名称は良くない。』
確かにその通りかもしれない。モンゴルの人達は、自分達の英雄の名前を焼肉の名称にされているのをどう思っているのかは分からない。しかし、やはり他国の文化や名称などを取り入れようとするならば、一定の配慮が必要だろう。

今後とも世界は益々小さくなり文化的な交流も活発になるだろう。着物の世界で言えば、日本の伝統文化である着物をより正確に海外に発信していく事が大切ではないだろうか。それが現地の人にどのように受け止められるか分からないが、少なくとも在りもしない日本文化を吹聴する事は避けたい。

 

Ⅶ-39 続「KIMONO」騒動(その5)

日本の食文化の中で世界にその名を馳せるものとして「寿司」がある。「寿司」は「SUSHI」として世界に通用する。今や世界中どこの国に行っても(と言えるほど)「SUSHI」は食されている。

昔、私が子供の頃、「寿司」は中々食べられなかった。今程裕福ではなかったこともあるが、冷蔵技術の発達も寿司の普及に貢献しているのだろう。

その頃、外国人は「寿司」を食べない物と思っていた。実際そうだったろうと思う。「生の魚を食べる」と言う風習は日本以外にあまりない。イタリア料理でカルパッチョと言う生魚を使った料理にお目に掛かるけれども、カルパッチョと言うのは牛の生肉を使ったもので、生魚を使ったのは日本人のシェフが始めたと言う話を聞いたことがある。

中国料理では、魚であれ野菜であれ生では食べず、必ず火を通すと言う。西洋料理で言うところの「サラダ」は中国料理には元々存在しない。

そんな中国でも今や「寿司」は人気である。今までマグロの刺身のおいしさを知らなかった中国人にマグロの刺身や寿司の味を覚えさせてしまったばかりに日本の市場に出回るマグロが減ってしまったのを嘆かずにはいられないが、それだけ日本の「寿司」が世界中に認められたと言う事だろう。

日本を訪れる外国人の多くは「寿司」を食して行く。以前、西洋人のグループが店にやって来て寿司屋がどこにあるのか教えて欲しいと言う。しかし、私は外国人に寿司屋を紹介するのに答えに窮してしまう。

果たしてその外国人は、安い回転ずしを紹介してほしいのか、それとも老舗の職人が握る寿司を食べたがっているのかが分からない。下手に高級店を紹介すれば、ぼられたと勘違いして国際関係にひびが入るかもしれない。反対に日本の最高級の寿司を食べに来たのに機械で握る安い回転ずしを紹介したのでは、これまた国際関係に問題を起こしてしまう、などと考えると答えに窮してしまうのである。

これだけ「SUSHI」が世界中に広まると、日本人としては誇らしく思う。世界中に寿司屋が出来て、寿司職人になりたい外国人が沢山来日していると言う。「SUSHI」は「JUDO」と共に世界に広く認められている日本の文化である。

先日、回転寿司チェーンの「くら寿司」がニューヨークのナスダック市場に株式を上場したと言うニュースがあった。既に寿司は日本を飛び出して世界の「SUSHI」になっている。

しかし、海外の寿司屋で食べた人の話を聞いてみると、また違った問題が見えてくる。

海外の寿司屋では、日本ではお目に掛からない寿司が供されていると言う。

カリフォルニアロールと言う巻き寿司が随分前に話題になり、現在日本でも供する寿司屋もあるらしい。かにかまやアボカドにマヨネーズや白胡麻を使った巻きずしである。海外発の巻き寿司として一頃話題になり、日本の寿司屋でも供されていると聞いたことがある。

カリフォルニアロールは、日本の寿司の延長と言う気もするが、最近は「これがお寿司?」と思われるような「SUSHI」が見受けられる。フルーツを握ったり巻いたりした寿司。何をネタに使っているのか分からないけれども色鮮やかな寿司等。それらはそれまでの日本の寿司とはかけ離れたもので、日本の寿司屋では今後とも出されないと思える寿司である。

他国の料理を自分たちが取り入れてオリジナルの料理を創る、と言うのは珍しい事ではないし、悪い事ではない。

つづく