Ⅶ-39 続「KIMONO」騒動(その4)

日本に限らず自国の文化を海外に紹介し広める事にはどのような意味があるのだろう。また、どのような結果をもたらすのだろうか。

日本の文化である「着物」をはじめ、「茶道」や「華道」、「柔道」や「剣道」など、また「寿司」や「天ぷら」などの料理が世界中でもてはやされていると言うニュースを聞くと、我々日本人は何故か嬉しい、誇らしい気持ちになる。自国の文化が世界中の人達に受け入れられたと言う自尊心をくすぐるのかもしれない。

しかし、私はそれらの文化が世界中に浸透すればする程、一抹の寂しさと不安がこみあげてくる。
世界の「柔道」のシーンを見てどう思われるだろうか。私は柔道の専門家ではない。専門家どころか、中学の柔道部員と対戦しても簡単に一本取られてしまうだろう。しかし、そんな私の目から見てもテレビで見る世界の柔道は果たして柔道なのかと疑問を抱いてしまう。

私が柔道を肌で感じたのは、中学高校の体育の授業である。柔道の授業は何故か寒い時期に行う。素肌に柔道着を着て寒さに堪えながらも次第に汗が出てくる。とは言え、冷たいスタイロ畳に擦られる裸足の辛さは今も覚えている。

授業では乱取りが行われ対戦する。お互いに袖と衿を掴んで、先生の「始め!」の合図で技を掛けあう。技を掛けようとする力と掛けさせまいとする力がぶつかり合い、次第にエキサイトして行く。場外に出れば、また中央で組み合った。

しかし、オリンピックで見られる現代の「JUDO」はお互い組み合わない。まるでプロレスの様ににらみ合って相手に袖や襟を掴ませまいとしている。そして、相手の僅かなミスを誘って「YUKO」や「SHIDO」を採れば、後は体よく逃げ回って時間を稼ぐ(ように私には見える)。

柔道は正々堂々と技を掛けあい一本採るもの、と習った私には、これが柔道なのかプロレスなのか、はてまた他の格闘技なのか分からない。

柔道着も大分以前からカラー柔道着が取り入れられている。競技者を識別するうえで有用なのかも知れないが、私は違和感を覚える。元々柔道の色と言えば白と黒である。白の柔道着に白帯と黒帯。柔道は体力だけでなく精神的な鍛練も包含する意味で白と黒の無彩色の世界は相応しいと理解していた私にとってカラー柔道着はいただけない。

何故柔道は変わってしまったのだろうか。現代の「JUDO」は既に日本人の手を離れてしまっている。

国際大会を仕切る国際柔道連盟の会長はルーマニア出身のマリウス・ビゼール氏。名誉会長はロシアのプーチン大統領である。国際化した組織には世界中から人選されるのは当たり前だけれども、本来の日本の柔道とは形式的にも精神的にも次第に離れている様に思えるのは私だけだろうか。

つづく

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