Ⅶ-39 続「KIMONO」騒動(その2)

前述の如く、「KIMONO」と言う言葉は世界の多くの人達に認知されている。しかし、多くの人と言っても、それは全員ではなく、世界中全体から見れば少数の人達だろう。

そして、その理解度と言えば、とても日本人とは比べ物にならない。外国人でも「着物」の良さを十分に理解している人達がいる事は間違いないが、視覚的に「KIMONOはきれいだ」と思っている人、「KIMONOは日本の衣装だ」と知識で覚えている人などが多数派である。

日本人が「世界中の人達が日本の着物を理解し、着物は世界中で一番美しい衣装の一つだと思っている。」と思い込んでいるとしたら、それは日本人の片思いと言わざるを得ない。

パリコレクションやミラノコレクションの情報は瞬時に日本に伝わる。そして、それを評論する人も着て見たいと思う人も日本には沢山いる。現代の日本人は洋装が主体となっているのでそれは当然の事と受け止められる。しかし、その裏返しが日本の着物では決してない。

世界中のあらゆる国の文化は相互に伝えあっている現代だが、その伝搬の密度はそれぞれである。名前だけが伝わる。形骸が伝わる。神髄が伝わる等伝わり方はバラバラである。

洋服の文化は、日本にはほぼ神髄が伝わっていると言ってよい。それは世界に冠たるデザイナーが日本からも生まれていることからも分かる。数から言って少数かもしれないが世界のレベルで評価されるデザイナーを生み出すことは洋服の文化を十分に理解しなければできない事である。

そういう意味では、日本の着物は世界にまだほんの形骸を紹介しているに過ぎない。この度の「KIMONO」騒動はそのような状況で起こった出来事と解さなければならない。キム・カーダシアンさんは果たしてどれだけ「着物」を理解していただろうか。

着物を着ない日本人程度であっても着物を理解し「あれほど素晴らしい日本の文化である着物の名称を自分の下着ブランド名に使いたい」と思ったのだろうか。そうであれば「KIMONO」のブランド名は用いなかっただろう。

「日本の着物ってきれいだと聞くじゃない。それにKIMとKIMONOは音通になるから私のブランド名にぴったりだわ。」と言う簡単な気持で命名したのではないかと思う。

その動機は非難されるべきものではないかもしれないが、結果的に文化の伝搬の未熟さが生んだ結末と言える。

日本の着物が海外に紹介され称賛されることは、着物を扱う者としてとてもうれしい事である。しかし、私は着物に限らず日本の文化が海外に紹介され広まることに何か一抹の不安を感じていた。これについては以前にも何度か書いてきたけれども、日本の文化が果たして正しく伝わり、海外の人達が正しく受け止めてくれるのだろうかと言う疑問である。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です