Ⅶ-39 続「KIMONO」騒動

キム・カーダシアンさんの下着ブランド「KIMONO」は、名称が変更されると言う。正式に新しいブランド名が発表されていないので、どのように決着がつくかはまだ分からない。

「KIMONO」の商標登録云々の法的な事について私は良く分からないが、何故このような問題が起こるのかを考えて見よう。

まず事実関係を見て見ると、

➀日本には「着物」と言う衣装があり、それは日本独自の衣装として発達し、他の衣装とは区別して「着物」と言う名称で呼ばれてきた。

➁日本が諸外国と触れ合うようになると、外国人は日本の衣装である「着物」を「KIMONO」と称するようになった。それが何時からかは分からないが、文明開化が起きた明治時代には「KIMONO」と呼ばれていたかもしれない。ただし当時、日本の文化に接する事ができる外国人は極少数だっただろう。

➂更に時代が下ると、国同士の交流が活発になる。交通や通信の発達がそれに拍車を掛け、世界の必要な情報は居ながらにして手に入るようになった。日本では昭和30年代の高度経済成長期から加速度的に進んだ。

➃而して日本の情報は世界中に伝わるようになり、日本の衣装である「着物」も「KIMONO」として世界中から認知されるようになった。

このようにして「着物」は「KIMONO」として世界に伝わったのだけれども、上記の過程はあくまでも日本人の目を通した過程である。日本人は「KIMONO」と言う言葉が世界中に正しく認知されていると思っているかもしれないが、諸外国では「着物」をどう受け止めているのだろう。

世界が狭くなり、昔に比べれば文化の交流が遥かに活発になったのは確かである。日本の文物が世界中に伝わり、世界中の文物が日本に溢れかえっている。あたかも世界は一つになってしまったかのように錯覚するけれども現実はそうではない。

「着物」をはじめとして日本の文化は世界のどれだけの人達にどれだけ理解されているだろうか。最近着物を着ない日本人も増えたけれども、日本人の着物に対する理解は十分と言っても良い。着物が着れない人でも、着物の詳しい事を知らない人でも日本人は着物に対してそれ相応の意識を持っている。

日本人で「着物」または「KIMONO」の商標登録をしようとする人はいるだろうか。(私はそれが認められるものかどうかは知らない。)法的に認められるとしても日本の社会では「それをやっては・・・」と言う抑止力が働き現実にはできないだろう。それは「着物」と言う存在が日本人の誰しもが認めているからである。

さて、外国人の目に「着物」はどう映っているのだろう。

つづく

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