Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その2)

まず、賛成派の意見である。集約すれば、
「子どもの着物姿はかわいい。何故、日本の伝統である着物を着てはいけないのか。」
その通りである。着物に限らず、明治維新以来、日本の文化は隅に追いやられてきた感がある。

昔、小中学校の音楽の授業で邦楽を教える事は殆どなかった。音楽の教科書の最後のページに越天楽や筝曲が申し訳程度に載っていたが、レコードで一度聞かせられるくらいで、それ以上突っ込んで先生が邦楽を教える事はなかった。(先生自体が邦楽には疎かったのだろう。)

着物を着ようとしない、あるいは着たことがないのは、そのように日本文化が隅に追いやられ、自分だけ着るのはおかしい、着たことがないので着れない、となってしまったのだろう。

私は、息子の小中学校の卒業式には紋付袴で出席した。役員をしていたので、生徒の間を通って雛段に付いた。すると男子生徒から細やかなどよめきが上がった。最初、「だせいなー」「なんだありゃ」と言う嘲笑かと思ったが、よく聞いてみると、「かっこいい」「ステキ―」と言う声だった。息子は余程恥ずかしかったと思う。

高校の卒業式では担当した先生方全員に着物を着てもらった。着物が好きな校長先生だったので、話は進んで担当した男性教員全員紋付袴姿となった。その時も大変好評だった。日本の文化を愛でる気持ちは、若い人の中にも十分に受け継がれている。

日本の文化を否定する理由は見当たらない。

では、反対意見はどうだろう。

「転倒の危険」や「着崩れ」「トイレのトラブル」と言った事は、着物を着たことがない故のトラブルであり、日本文化を隅に追いやったが為の結果である。いずれも避けて通れない問題かもしれないが、小学校でナイフを禁止したがために、鉛筆をナイフで削れる子供がいなくなったのと同じ弊害が起きている。

「服装が華美になり高額化する」と言う意見も非常に強い。そして「経済的に困難な人が可哀そうだから」と言う意見も強い。これはどうしたものだろう。

私が京都にいた時分(30年以上前のことになるが)、問屋の出張員として呉服屋を周っていたところ、あるお店で次のような事を言われた。
「この辺では振袖は売れませんから。」
持ってきた振袖を見せようとしたが、そう言って断られた。

よく聞くと、その町では成人式の振袖は禁止されていた。理由はやはり「振袖を着られない人が可哀そうだから」と言う理由だった。言われてみれば一理あるが、私は、「そんな理由で振袖が禁止されるなんて・・・」と思っていた。

では、洋服ならば何でもよいのか。ブランド物の子供服の中には、安い着物を越える価格の物もあるだろう。しかし、洋服においては、おそらく振袖のような論理は通じないだろう。日本文化が特殊なものとして認識されてしまっているのだから。

ここまで書くと、私は「日本の文化、日本の着物を偏見なく捉え、正しく認識してもらいたい」の一言である。しかし、だからと言って「小学生の袴姿に手放しで賛成」とは言えないのがこの問題の複雑さである。

つづく

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です