Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く(その2)

しかし、何時ごろからなのだろうか、最近料亭でもテーブル席の宴会が多くなった。料亭の座敷に、座敷用の椅子テーブルが並べられる。あたかも明治時代の宴会か、とも思わせられるが、私にとってはどうも居心地が悪い。

大きな宴会の時には、御膳を並べるのと同じように島型にテーブルが並べられる。しかし、本来お膳を並べる時には、客は背中を合わせるように座る。つまり向かいの客とは間を置き、そこは芸者さんや中居さんが通る。

座敷のマナーとしての基本は、酒を注ぐ時には、正面に座り相手の目を見て酒を勧める。客が主賓や他の客に酒を勧める時には、席を立ってその人の前に正座して酒を勧めるのが礼儀である。

中居さんが料理を出す時も同じである。料理を給仕しようとする客の前に座り、脇に置いたお盆からお膳に料理を出す。

しかし、テーブルを島型に並べる時は、客同士が向き合うように座る。向かいの客とは近く、手を延ばせば酒を注ぐ事ができ、周りの人とは話も近くなる。その為に、中居さんは、立ったまま客の脇から給仕する事になる。西洋では当たり前の事なのだが。

これは一見合理的に見えるけれども、日本の文化にはそぐわない、と言うよりも日本文化を打ち消してしまっている。

その最大の原因は、客の目線である。いや、目線と言うよりも目の高さである。

座敷に正座または胡坐をかいた時と椅子に座った時の目の高さは変わってくる。当然椅子の方が目の高さが高くなる。

日本の座敷は、全て目の高さが正座した時の高さを基準として造られている。

例えば、床の間。床の間の軸物や置物、花などをめでる視線は正座の視線である。正座した人が少しかがめば、床に置かれた香炉は直ぐ目の前で見る事ができる。軸物は上から下へ仰ぎ見る事になるが、落款は目の高さにある。

そして、広間に椅子テーブルが並べた場合、床の置物や花は見えず、軸物の上端しか見えない。日本の座敷は椅子を基準として造られてはいない。

実際に広間の椅子テーブルの宴会に出た場合、私にはとても居心地が悪い。

最初に芸者舞子が踊る。芸者舞子が踊り始めると多くの人が席を立ち始める。椅子テーブルの場合、多くの人から芸者舞子の踊りが見えないのである。見えるのは一番前に座った人達だけである。

芸者や舞子が踊る舞台は、客の座る座敷と同じ高さである。ホテルの場合はステージがあるので椅子に座っていても全員が見られるが、日本の座敷では事情が全く異なる。料亭の中にはステージを備えているところもあるが、ホテル程高くはないので、やはり低い目線を基準としている。

酒宴の座敷で皆立ち上がり踊りが見える場所に移動し始めるのは異常である。踊りが見られたとしても、とても踊りは堪能できない。

芸者や舞子は着物を着ている。当たり前だけれども、着物はやはり上前の妻柄がメインである。座敷に座った目線は、芸者や舞子の訪問着、振袖の妻柄が目線にはちょうど良い高さとなる。そして、御膳の席であれば、誰一人席を立たずに踊りを堪能できるのである。

料亭は全てが日本の文化を基調として組み立てられている。そこに椅子テーブルを持ち込むことによってドミノ崩しの様に日本の文化の良さが失われるように思える。

つづく

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