月別アーカイブ: 2019年2月

Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く

私は、日本の文化である着物い商いを生業としている。生業である以上、自分が扱う着物については正確な知識をお客様に伝える責任があると思っている。当然、着物を学び、着物や日本の歴史を学ぶことになる。言わば、先人たちが築き上げた日本の文化を正しく学び、お客様また後世の人達に伝えなければと思う。

日本の文化に限らず、数百年、数千年掛かって創られた文化と言うものはとても奥が深い。そして、その文化が今日あるのは、決して偶然ではなく、先人達の努力によって必然的に創られたものであることがよく分かる。

先人たちに目を向け、その努力や知恵に感心した目で180度現代を振り返ると、果たして同じ文化の延長線上にあるのかと首をかしげてしまう事がある。

着物においては、今までになかった様な着物、これまでの延長線上ではない様な着方がされているのは昨今の成人式を見れば分かると思う。

これらの様々な現象は、時代と共に変化する日本文化と捉える事もできるが、その目で再び180度伝統の着物を振り返るとやはり首をかしげたくなるのである。

日本文化は着物だけではない。他にも、果たして「日本文化はどこへ行ってしまうのか」と思われることがある。

山形は古い料亭が残っている。25万人程度の地方都市であるけれども、先頃まで大きな料亭が六軒あった。残念ながら最近二軒は閉じてしまったので今は四軒しかなくなってしまったが、いずれも歴史を感じさせてくれる立派な料亭である。

山形では、料亭で法事をしたり、忘年会にも使う。結婚式も行われる。他県の人を案内すると驚かれたりするのだが、山形で料亭は庶民が利用する特別な存在ではない。

料亭は日本文化の縮図とも言える。料理はもちろんの事、軸物や花等の調度品。女将や中居の振舞など全て日本の文化が生きている。着物屋の目線で言えば、女将や中居は着物である。着物で給仕する姿は真に日本文化の一コマである。

山形には芸者や舞子もいる。料理を食べながら酒を飲みながら芸者さんや舞子さんの踊りを見るのは日本ならではの文化である。

さて、その料亭に着物と同じような波が押し寄せている。

私は、料亭に出向くときは、日本の文化に浸りたいと思い、できるだけ着物を着て行く。着物を着てお膳を前に畳に座るのはとても落ち着く。西洋文化を否定するわけではなく、テーブルでフランス料理を食べるのとは全く違った趣である。もちろんテーブルでフランス料理を食べるのも、それはそれで西洋の文化に浸っているようで良いのであるが。

料亭で小部屋で行う小宴会の場合は、飯台を挟んで数名が座る。大きな宴会では、大広間にコの字型に席を設ける。もっと大きな宴会では島型に席を設ける。客は席に正座または胡坐をかいて座る。

つづく

Ⅶ-32 江戸小紋(その2)

私もここしばらく捺染の江戸小紋を見る機会が多く、改めて型物の江戸小紋を見るとホッとする思いである。

江戸小紋については、以前「きもの博物館.57」でも取り上げているので今更でもないのだけれども、最近の江戸小紋を見ていると呉服業界の趨勢がうかがわれる。

先に「最近は捺染の江戸小紋が多い」と書いたけれども、最近の消費者の中で型染と捺染の区別がつく人はどれだけいるのだろうか。と言うよりも、型染、捺染と言う違った染め方があると理解している人はどれだけいるのだろうか。

型染と捺染を知らない、区別がつかない消費者が多いとしたら、それは消費者自身の責任?ではない。それが証拠に、私の店にいらしたお客様に型染、捺染両方の江戸小紋をお目に掛ければ、ほとんどの人は型染が良いと答える。型染の暖かさは誰にでもその良さを訴えるのである。

もともと捺染などなかった時代は、江戸小紋と言えば全て型染だった。熟練の職人が丹精込めて染めた江戸小紋ばかりだっただろう。もっともその時分は人件費も安く、価格も今ほど高価ではなかっただろう。そうは言っても、そう安い物でもなかったかもしれない。それ故に、職人が染めた江戸小紋は大切に扱われ、代々着られただろう。

私が来ている万筋の単衣は、私の祖母が着ていたものを仕立て替えして父が着ていた。そしてそのまま私が着ている。

しかし、今日捺染の江戸小紋が多く出回っている。価格は型染の五分の一、又は物によってはもっと安い物もある。

捺染と言う技術によって江戸小紋が安く生産されることとなった。これは悪い事ではない。むしろ広く消費者に江戸小紋を普及させると言う意味では歓迎すべきことである。

しかし、問題は型染、捺染と言う染物が消費者に正しく理解され、着物を普及する為になっているのかどうかである。

「今は捺染の江戸小紋しか買えないけれども、何時か本物の型染の江戸小紋を着て見たい。」と言うような声が聞こえればよいのだけれども、そのような声は聞こえてこない。そして、その責任は消費者ではなく呉服業界にある。

江戸小紋を求めようとしている消費者にどれだけ真実を説明しているだろうか。江戸小紋を始めて見る消費者には、型染も捺染も分からない。ただ「これは素晴らしい染物です。」の説明だけで真実を伝えないケースが多いように思える。

中には耳のない捺染の江戸小紋にわざわざ耳を付けて「これは耳があるので型染の江戸小紋です。」と詐欺まがいの商法も横行している。

江戸小紋に限らず、呉服業界が衰退し、業界の信用が損なわれているのはこう言った業界の姿勢ではなかろうか。

初心者や枚数が欲しい消費者に対しては安価な捺染の江戸小紋を紹介し、その上で型染の江戸小紋のすばらしさも同時に伝えるような姿勢が求められるのではないだろうか。

今、染屋から送られてきた江戸小紋を一反一反見ながら、つくづくそう思う。

Ⅶ-32 江戸小紋

江戸小紋は、着物のアイテムの中でも比較的ポピュラーである。着物が好きな人であれば一枚は持っているかもしれない。「小紋」とは言いながら、色無地と同じように紋を入れて準礼装として着る事ができる。色無地よりもちょっとおしゃれで、帯を替えればフォーマル、カジュアル、結構幅広く着る事ができます。

私の店でも昔から数えきれないほど江戸小紋を仕立てています。しかし、着物の需要の減少と共に昔ほど頻繁に仕立てる事はなくなってしまいました。自然、私の店でも昔に比べれば扱う反数が少なくなっています。

先日、江戸小紋の染屋さんが来て、改めて江戸小紋を扱ってほしいと言う事で、この度送ってもらった。江戸小紋と言っても、本型染の江戸小紋である。

江戸小紋は非常に細かい柄が染めてあるが、元々武士が登城する際に身に付けた裃の柄を着物にしたものである。江戸小紋で最も一般的である鮫小紋も裃の柄である。

江戸時代の有力藩には、それぞれ留め柄と言われる藩独自の裃柄があった。鮫柄は紀州徳川家の柄で、他の藩は用いる事ができなかった。

因みに、徳川将軍家は御召十、島津家は大小霰、前田家は菊菱、細川家は梅鉢、鍋島家は胡麻を定小紋としていた。

江戸小紋柄のうち「鮫」「行儀」「通し」の三柄は小紋三役と呼ばれている。いずれも錐彫りの細かい点が並んだ柄で、遠目には色無地の様にも見えるが、色無地とは違った味がある。色無地の様で色無地ではなく、ボカシの様でボカシではない江戸小紋独特の味である。

江戸小紋は伊勢型紙を使って染められる。地紙は、美濃和紙を三枚、縦横縦と柿渋で張り合わせた強靭な紙を使う。型職人が細い錐を使って柄を彫って行く。型職人は非常に熟練を要する仕事である。

また、型を使って柄を付ける染職人も高度な技術を要する。短いものでは一尺もない型を何十回も繋いで染めて行く。僅かでもズレれば柄に横線が入ってしまう。型を使った友禅は他にもあるが、型染職人100人の内、江戸小紋を染められるようになるのは僅か2~3人だと言う。

江戸小紋は制作にとても手間の掛かる染物である。

さて、現在の江戸小紋と言えば捺染のものが多い。捺染とは捺染機を用いるプリントである。型染のように一型一型手で染めて行くのではなく、捺染機でプリントするので遥かに安価に上がる。そして「きれい」に仕上がる。

しかし、この「きれい」と言うのが曲者である。「きれい」が人間の目に必ずしも「美しい」と映るとは限らない。

型染の江戸小紋と比べれば一目瞭然である。型職人によって彫られた型を使い、染職人によって染められた江戸小紋は比べ物にならないほど温かみがある。

つづく

Ⅶ-31 日本のきものを支える底力(その2)

「どちらからお出でになるのですか」と問うと、
「京都です。」と言う答えが返ってきた。
「京都?」、着物を扱う者にとって「京都」と言う言葉には特別の響きがある。それは遠い近いの問題ではない。京都は着物の中心地である。京都から何のための片田舎の山形の私の店にやって来られるのか。

着物を求めようとやってこられるのなら、私の店でいくら良い商品を揃えたとて、地元の人が京都で探す方が遥かに探しやすいはずだ。着物の知識を得ようとするのなら、京都には現場で働く職人もいれば、私よりももっと老練な業界人も星の数ほどいるはずである。
「いったい何を目的でわざわざ京都から山形に・・・・。」
そう言う思いが一気に膨らんできた。

当日、お昼も過ぎた頃その方が店にお出でになった。
「こんにちは〇〇(旧姓)です。」
その方を見た途端、私の目は点になった。店に入っていらしたのは和服姿の若い女性だった。目が点になった理由は、染物の着物を着ていた事。そして、全く着崩れもなく、たった今着物に着替えて来たのかと思える姿だったからである。

京都から山形までは飛行機でもドアツードアで5時間。新幹線の乗り継ぎならば6~7時間かかる。紬で来るのは分かるけれども、染物でいらっしゃるとは思わなかった。

着物が縁遠くなった現代、長い時間染物の着物を汚さず着崩れもせずに着る人をそう見かけない。私は京都からいらっしゃると聞いて、直感的に「着物ならば紬」と勝手に心のどこかで想像していた。それも全く着崩れもせず、着疲れをした風でもない。
「いったいこの方は何者で何をしにわざわざ山形まで・・・。」
そういう思いが益々強くなった。

2時間くらい話をしてようやく理解できた。(詳しい事は本人のブログに掲載されていますのでお読みください。https://kimonoshake.jp/archives/3041

彼女は学生時代に着物に巡り合い、きものの女王にも選ばれている。卒業して一流企業に就職したが、あきらめきれずに転職して着物を生業としたい言う。

今時若い人が着物の業界に入りたいと言うのは大変ありがたい話である。しかし、業界の状況は厳しく、私も責任を持って勧められるものでもない。まして、一流企業にお勤めと言うので私もしり込みしてしまった。

着物業界と言っても上から下まである。糸を採る養蚕から始まり、製糸・製織、そして織屋・染屋から問屋、小売屋まで。また、着付師、仕立師、悉皆といった着物を支える仕事も沢山ある。

いったいどのような着物の仕事に就きたいのか。話をするうちに次第に彼女の気持ちが読めてきた。希望する具体的な職業ではなく、「彼女は着物が本当に好きなんだ」と言う事を。「いつも着物に触れていたい」職業に就きたいのだと。

小売屋ではだめだろう。現在の小売屋の多くは、着物の事よりも着物を売る方法に専念している。折角着物が好きな若い方には、かえって着物が嫌いになられるようでとてもお勧めできない。

問屋はどうだろうか。私は問屋で修業をした。総合問屋であれば裏物から振袖まで着物に関する全ての商品を触れられると言う事で、二年間で着物をある程度理解する事もできた。しかし、今の問屋に往時の力はない。企画物に走る問屋が多く、だいたい商品を持っていない問屋が多い。染屋や織屋から商品を借りて商売をしているので常時店に商品がない。専門問屋の中には商品を抱えるところもあるが、極一部の着物にしか触れる事ができない。

そう考えると彼女には「着物をプロデュースするような仕事が良いのですね。」としか答えられなかった。それは具体的な仕事を意味するものではなかったし、今の業界を見渡して、私の知る限りでは、彼女の意に沿う仕事は思いつかなかった。
「わざわざ山形までお出でいただいて、何か得る物はあったのだろうか。」
とずっと心の底で思っていた。

さて、その後しばらくして京都に仕入れに行った時のことである。
「山形の結城屋さんですね。」
ある問屋の展示会場で若い女性に声を掛けられた。清水さんだった。

相変わらずきちんと着物を着ていた。聞けば、某メーカーに就職し、展示会の販売に来ていると言う。そのメーカーは次々に新しい柄や素材に挑戦している話題のメーカーだった。すっかり着物の業界人となり接客も巧くこなしていた。

その後、もう一度京都の展示会でお会いしたが、先日メールを頂戴した。2年前に独立して京都で着付け教室を始めたとの事だった。

着付け教室・・・・・清水さんの着物を純粋に愛する気持ちで是非頑張っていただきたいと思う。

実は昨今の「着付け教室」と言う言葉に、私は余り良い印象を持っていない。

着付け教室が巨大な組織となり、それぞれの教室で考案した道具を使った着付け。生徒を囲い込む弊害も生まれている。「きもののしきたり」と称する決まりごとが着付け教室毎に異なり着物を着難くしている。もともと統一されたきもののしきたりなどないのだけれど。

また、「無料着付け教室」と称して生徒を集め高額な着物を売りつける、と言った事もなされている。本当の着付けを習いたい人はどこへ行けば、どこを紹介したら良いのだろうと思う。

着付けは着物を着るのに是非とも必要で、着付けを学ぶことで益々着物が楽しく、好きになってもらわなくてはならない。それは上から押し付ける着付けの普及ではなく、着物の良さを知る人がごく自然な着付けを広める事である。

着物は売る人の為にあるのではなく着る人の為にある。着付けは教える人の為ではなく着る人の為にある。

清水さんの様に本当に着物を好きな人に一人でも多くその仲間を創ってもらいたいと思う。それこそが真に「日本のきものを支える底力」だと思う

清水直さん、また同じような志を持つ若い方々を応援いたします。頑張ってください。

清水直さんの着付け教室のHPは下記のアドレスです。

http://kimonosunao.com/
(トップページにリンクを貼っています)