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Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その3)

呉服よりも身近な食料も大量に捨てられている。日本国内では年間632トンもの食料が、いわゆる「食品ロス」として捨てられていると言う。これは、一人当たり毎日茶碗一杯分の御飯にあたる。何故そんなに大量の食糧を捨てなければならないのか。もっと有効に消費できないのだろうか。

居酒屋での宴会では、「飲み放題〇千円コース」と言うのがある。PTA等の宴会では価格も手ごろで人気がある。しかし、このような宴会に出ると、つくづく考えさせられることがある。

供される品数も多く、飲み物は注文しただけ持ってくる。しかし、宴会が終われば、大量に料理が残っている。まだ手を付けてない料理も数多く見られる。飲み残しのビールや酒も多く、何ともったいないと思う。

出された料理は、決してまずくはないが、皆の目に留まらない物ばかりで積極的に食べようとする人は少ない。酒のつまみ、と言う程度だけれども、それにしては量が多い。居酒屋では、量が多い事をアピールしているのかもしれない。しかし、完食してゆく人は稀だろう。

もっと品数を少なくして、誰でも箸を付けたがるような料理を出した方が良いと思うのだがどうだろう。同じ金額を支払うのであれば、量は少なくとも、美味しかったと完食した方がより豊かな生活だと思うのだけれど。

同じことは呉服にも言える。

3000円の浴衣が大量に生産され市場に出回って行く。当然ながら広幅の安い綿生地にプリントしたものである。一部は捨てられ、またタンスの底に蓄積され、他はリサイクルされてゆく。

次の年には、既に浴衣を持っている人の購買意欲をそそる為に、奇抜な柄やデザインの浴衣が創られ市場に投入される。それ以前の浴衣も含めて、一度しか着ない浴衣や一度も着ていない浴衣が沈殿してゆく。

浴衣に限らず着物も同じである。

着物の売上は減少している。その大きな原因は、需要すなわち着物を着る人、着る機会が減少していることにある。それでも呉服業界は売り上げを維持せんと様々な努力をしている。着物を着ない人にも売る為の商法は多くの問題を起こしている。そして、着物の生産そのものにも問題が及んでいる。

今、最新の技術や人件費の安い海外品によって着物は以前に比べて非常に安く生産する事ができる。3000円の浴衣もその成果物である。ただし、それらは昔から創られてきた着物とは、似て非なるものである。

一方では需要、販売が減り、また一方では安く生産できるのが今日の呉服業界である。その結果、呉服業界では相反する二つの行為が行われている。

つづく

Ⅶ-28 これから着物とどう付き合うべきか(その2)

小売屋から市場に出た浴衣は、市場の中でグルグル回りながら浴衣の需要をカウントしてゆく。その結果小売屋から市場に出る浴衣の数は減少するという仕組みである。

浴衣を売る側、業界からすれば大変困った話である。売上の減少が業界をしぼませてしまう。しかしこの事は、浴衣を売る側、浴衣を購入する側双方で、もっとよく考えなければならない課題である。

まず、浴衣をオークションなどで処分する行為は悪い事ではない。むしろ、使わなくなったものを他人に使ってもらうというリサイクル、即ち物を大切にしようという行動だと捉える事ができる。

且つて江戸時代には完全なリサイクル社会だったという。壊れた茶碗を欠け継で直し、破れた着物は欠け剥ぎで直して使った。生活用品は、何でも完全に使えなくなるまで使っていた。物は豊富ではないが、生活に困ることはなく、それ程不便は感じなかったかもしれない。

それに比べて今日は、大量生産・大量消費と言う資本主義のサイクルに組み込まれ、もしもこのサイクルが機能しなくなると、忽ち不況・不景気になり生活が困難になってしまう。

「物を大切にしよう」と言う掛け声とは裏腹に、まだまだ使える多くの物が捨てられている。

私が今乗っている車は、9年間乗っているが、その前の車は24年間乗っていた。使いやすい車だったこともあるが、大した故障もなかったので乗り続けていた。最後はスピードメーターの誤差が許容範囲を超えてしまった為、新しい物と交換しなければならなくなった。

「交換してください。」
と言ったものの、既に10年以上前に絶版となった車である。新しいメーターと交換するには50万円以上掛かります、と言われ流石に諦めて新車に乗り換えた。今にして思えば、乗り続けていれば骨董価値が出たかもしれない。

周りを見回すと、まだまだ乗れる車が廃車処分されている。しかし、もし私の様に皆が20年以上乗り続けたら、自動車産業は成り立たなくなってしまう。

同じように、3,000円の浴衣を10年も20年も着ていられたら、呉服業界、中でも浴衣を扱う業者はたまったものではない。浴衣の売れ行きは激減し、実際にその兆候が表れ始めている。

物を大切にする事と、資本主義社会の原動力である大量生産大量消費は相反する事の様に思えてくる。物を大切にする気持ちを尊重しつつ、業界が(産業が)活気づく方法はないのだろうか。

ここで、私は、本当に豊かな生活とは何なのかをもっと考えるべきと思う。現代の社会は十分に豊かになったはずであるが、使い捨て大量消費の風潮から、決して豊かな社会とは言えない面がある。

つづく