Ⅶ-27 着物の正しい認識(その3)

現代の女性の式服とされる黒留袖は、それ程昔からある着物ではない。年配の方の中には、「黒留袖」を「江戸褄」と言う人がいる。もともと「江戸褄」は、「黒留袖」ではなく、引きずりの柄付けの名称である。柄を高くまで配した「島原褄」に対して柄の低い着物を「江戸褄」と称した。派手な「島原褄」に対して江戸の質素な「江戸褄」と言う位置づけだろう。

黒留袖には裾にしか柄がなく、比較的低い柄なので、留袖を江戸褄と言ったのかもしれない。これは、黒留袖と江戸褄が昔から共存していたのではない事を意味している。黒留袖も日本の長い歴史から見れば、ごく最近にできた着物だと言っても良い。

「訪問着」もいつ頃できた着物なのか私は知らない。戦前には「訪問着」と言う着物はなく、似たような着物は「さんぽ着」と言われていたらしい。

「付下げ」に至っては、昔はなかった着物である。『付下げと訪問着の違い』については、「きもの講座 2 きものの格について」で詳しく書いているので、そちらをお読みいただきたいが、「付下げ」と言う言葉ができたのは昭和30年頃らしい。今でこそ、訪問着だの付下げだと言われるけれども、昔はそのような着物はなかった。

「紗袷」と言う着物があるが、一般に市場に出回ったのは昭和40年頃らしい。しかし、大正時代頃、花柳界で着られていたと言う話もある。

而して、着物の形式はわりと短期間で変遷している。現代の着物が、数百年も前から着られている訳ではないのである。

TPOについても同じことが言える。

現代の感覚で言えば、白は慶事の色、黒は弔辞の色と言う印象があるが、昔は反対だった。白装束は市に装束である。黒紋付は最高の式服であり慶事に着られた。慶事に着られる黒留袖が黒なのはその名残だと私は思っている。

戦国時代に来訪したポルトガルの宣教師が、日本と欧州の慶事・弔辞に着られる黒白の装束が正反対なのを驚いた記録がある。白が慶事となったのは、欧米の習慣の影響かもしれない。

最近、結婚式で新郎が白の紋付を着ているのを良く見かける。「新婚早々切腹でもするのだろうか。新婦がかわいそうに。」等と私は冗談を言うのだが、従来の着物の感覚とはずれてきているのは事実である。

式服と言えば戦前は、縞御召に黒羽織が女性の正装だったと聞く。今は女性の御召は正装とは見られないし、正装に羽織は着ない。我々が小学校の時代は、PTAのお母様方は、入卒式には黒の絵羽織が定番だったが、今はほとんどなくなってしまった。私が京都の問屋にいた時(昭和50年代後半)、黒の絵羽織が一山(20反位)が手を付けられずに置いてあった。丁度時代の境目だったのかもしれない。

例を挙げればキリがないのだが、着物の形状、着物の種類、TPOは時代と共に変遷してきた。それも、その変化とは、比較的短いサイクルである。まず、このことを頭に入れておいて欲しい。
さて、ここで話をやめてしまうと、着物について大きな誤解が生ずることになる。着物を本当に理解してもらうのはここから先である。

つづく

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