Ⅶ-26 再々・・・度、着物のしきたりについて(その2)

「道」(タオ)は、哲学的にはとても難しい概念で、私が解説できる代物ではないが、私は「真実」「真理」または「人の道」と解釈している。私なりの言葉で老子の言葉を解釈すると次の様である。

「人が歩むべき真理は、『これがそうです』と言葉で言える物であれば、それは本当の人の歩むべき真理ではない。真理には名前やお題目もない。・・・・・名の無い真理をすべて受け入れようとする人には真理の本質を認識できるが、真理を我が物にして、そのお題目に与ろうとする者には真理の本質は見えず、その形骸を認識するのみである。」

「道」と言う深遠な概念は人が言葉で表現できる域を超えている。しかし、それは認識できない事ではないが、認識しようとすれば逃げて行くのである。

大変哲学的な話になってしまったが、この言葉は、着物のしきたりの本質を突いているように思われる。

日本の着物のしきたりは、千数百年の時を経て確立されたものである。時代の変遷により着物の形態は微妙に変わり、また社会体制の変化による礼儀や常識も変わってきた。しかし、時代や地域によってしきたりは一見バラバラにも見えるが、衣装に対する日本人の意識(日本人だけでなくどの民族の意識も)には真っ直ぐな筋が通っている.

そのしきたりをお題目で把握する事はとても困難、いや不可能である。

老子の言葉を再度、着物のしきたりに合わせて要約してみる。

「『これが着物のしきたりです。』と言葉で言える物があれば、それは本当の着物のしきたりではない。着物のしきたりを一覧にする事は出来ない。・・・・着物を着る時には、自分の着物の知識や持っている着物を誇ることなく、何を着ればその場に一番合うのか、その場の雰囲気を盛り上げ、他人の心を満たせられるのか、そう考えて着物を着る人には着物の本当のしきたりは見えてくる。しかし、己の知識をひけらかし他人に押し付け、『着物のしきたりはこうだ。』と断言する者は、何時まで経っても本当の着物のしきたりは見えず、着物のしきたりの形骸しか認識できない。」

きもののしきたりを知ることは、今迄積み上げてきた日本の文化、日本人の心を知る事である。日本人が何を大切に守ってきたのかを考えれば、きもののしきたりは朧気ながら見えてくるのではないだろうか。

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