Ⅶ-22 絹の動向(その3)

原料、製糸、製織、精錬、染織など着物を創る工程に海外からの参入が増えていることは否めない。まず原料の大元である繭に目を向けてみよう。

かつて繭を作る(養蚕)のは全国各地で行われていた。江戸時代には中国から輸入する量の方が多かったが、本格的に増産されたのは明治以降である。

明治政府は富国強兵のための殖産興業として富岡製糸場をはじめとして外貨獲得の手段として盛んに養蚕を奨励していた。私の家にも蔵があるが、その昔蚕を飼っていた蔵だと言う。また、私が小学校の頃まで山形にも養蚕試験場があった。国を挙げて全国各地で養蚕が行われていたのだろう。

国の政策は功を奏し、1930年(昭和5年)にはピークとなり40万トン生産されたという。終戦後5万トンまで減少したが、その後12万トンまで回復している。1955年から1970年ごろまではその水準を維持しているが、その後更に減少し2014年の収繭量は僅か149トンである。1930年のピーク時に比べて0.04%である。

生産される繭の量は、海外への輸出用に生産された時代とは異なり、内需とりわけ呉服の需要をそのまま反映しているわけではない。海外から大量の生糸絹糸が輸入され国内における需要供給の構図は全く変わってきている。

海外からの絹の輸入はどうなっているのか。

国内で生産される絹は減少するが、昭和40年頃から需要が増え、中国や韓国などの海外から絹が輸入され始める。ここ20年の絹の輸入先は中国、ブラジル、ベトナムであるが、生糸に限って言えば、ベトナムは殆どなく(生糸ではなく絹糸として輸入される)中国とブラジルの二か国がほとんどを占めている。輸入の総量は減っているが、相対的にブラジルが減少し中国が増えている。

海外の絹の輸入は、ただ単に数量の確保の意味だけではない。国産との価格差はいかんともしがたいほど大きい。安い外国の絹が入ってきたことで国産の絹が駆逐されたのか、国産の絹の生産が減少したので海外から絹が入ってきたのか、ニワトリと卵の関係かもしれない。しかし、結果的に国際相場との余りにも大きな価格差は、日本の絹を追い込んでいった。

日本の絹が高価なのは、蚕糸農家やそれに関わる産業が不当に儲けていたと言う事ではない。日本の絹の品質はどこの国でも真似ができないほど高い。その品質が評価されずに価格のみの評価で海外の絹に駆逐されていったと言うのが真相ではなかろうか。私は大変残念に思う。

そうは言っても、現実に海外、中国やブラジルの絹が入ってきている。実態はどうなのだろうか。

つづく

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