Ⅶ-19 伝統・しきたりは守られるべきか(その4)

伝統は不変である、と言う不文律は成立しない。伝統やしきたりは時代によって変わっているのは例を挙げるまでもないだろう。では、現代(までに)守られている伝統をどのように変えて行くのかが論点となる。ここで、「伝統は守られるべき」と言う肯定派と「伝統など無視して構わない」と言う否定派が議論にしのぎを削ることになる。

この議論をする際に、双方とも盲目的な意見の主張であってはならない。つまり、「何が何でも伝統は守られるべき。」または「伝統など壊して然るべき」といった感情的な主張である。

そう言った議論がなされる時、往々にして議論は本筋とはかけ離れた論理によって歪められることがある。

相撲の話を例に採れば、相撲の伝統と男女平等の話が同じ土俵で語られている。土俵に女性が揚がれない伝統は男女差別から起こったものであることが明白であれば、そのような議論も成り立つだろうが、私にはそうとは思えない。何某かの合理性を含んだ伝統であると思える。

議論に先立ち、まず明確な事実の把握が必要である。伝統護持に反対する者は、その伝統にどのような合理性があり、現代では通用しない非合理性はどこにあるのかを焙りだすことが先決である。

同じように、伝統を守ろうとする者は、否定する人達は、守られてきた伝統が現代の世の中では何が非合理的だと主張しているのかを理解しなければならない。双方がお互いの真意を理解してこそ議論が始まる。

さて、呉服の世界に話を戻そう。呉服の世界でも上記と同じように伝統しきたり論争がなされている。

伝統護持派は、時代の変化を読み取らずに頑なに伝統を守ろうとしている。季節による着物、袷や単衣の着る時期、着物と帯の合わせ方など、見知らぬ人にまで強要して自分の主張の正しさを実感しようとしている。

伝統を無視しようとしている人達は、伝統を守ろうとする人達から見れば、目を覆いたくなるような着物を着ている。女性が付けるような半襟を男性が付ける。女性が男性の羽織を着る。黒い喪服を平然と普段に着る、等。

さて、両者にはお互いの主張を理解する努力は為されているのだろうか。答えは否である。伝統を頑なに守ろうとする人達は、自分が習ったまたは見知った知識が全てであり、他の価値観は認めない。伝統に逆らおうとする人達は、着物の伝統しきたりは初めから分からず知ろうともしない。自分勝手に着物を理解し着物を着ている。

このようであれば両者は初めから水と油であり議論の余地もないだろう。伝統を守ろうとする人達は、現代の世の中をよく理解し、また若い人たちが何を求めて着物を着ようとしているのかを理解すべきである。そして、伝統の殻を破ろうとする人達は、まず着物の伝統を知らなければならない。その上で着物の伝統しきたりは今後どうあるべきかを考えなければならない。

両者がお互いの主張を理解し日本の伝統文化の将来を考えるのであれば、両者の溝はそう大きくないと思う。相手の主張の真意を理解する事無く議論がなされれば溝は益々深くなってゆくだろう。

角界であれ呉服業界であれ、伝統文化の問題は、もっと真摯に取り組むべきである。

尤も、呉服の伝統の乱れは、商品を売ろうとするメーカーや商社がありもしない伝統を流布している感が否めないのは残念な事である。

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