Ⅶ-17 着物難民

先日、店にやってきた問屋さんと話していると「着物難民」と言う言葉を聞いた。
「今に着物難民が溢れますから、お宅の店に殺到するかもしれません。」
と言う話だった。「着物難民」とは何だろうか。

着物を取り巻く環境は大きく変わってきている。私が子供の頃、私が京都にいた頃、そして現在、環境は色々な意味で大きく変化している。

環境が大きく変わった最大の原因は、何といっても需要の急激な減少である。

1980年当時、市場規模が2兆円と言われていたが、某経済研究所の調査では2015年に3,000億円を切り、2,805億円だと言う。35年で何と市場規模が七分の一になってしまった。呉服業界の市場は、着実に且つ急激にその規模は減少している。

市場規模の減少は、流通する商品の減少を意味する。その結果、その流通を担っている問屋や呉服小売店も減少している。

問屋の減少は顕著なものがある。かつて京都の室町通りは呉服問屋の街だった。五条の辺りから御池通の辺りまでは呉服問屋が隙間なく軒を並べていた。もちろんその周辺も埋め尽くすように呉服問屋があった。通りは積み荷を降ろす問屋の車や配送する運送会社のトラックでいつもいっぱいだった。

しかし、今日室町通りを歩いてみると、問屋はまばらで、かつてあった問屋の跡は駐車場やマンション、電機屋などに姿を変えている。そして、東隣の大通りである烏丸通りの迂回道路として南進の車が走っている。

昔は問屋が星の数ほどあった。当時、問屋の社員は独立するのを夢見ていた。優秀な社員は次々と独立して、問屋は細胞分裂するが如く増えて行った。

私の店に来ていた出張員も独立して別な出張員が来ていた。そして、その出張員もまた独立して問屋を始めて通って着ていた。次の出張員も独立して、一時は同じ問屋にいた三人が問屋を始め、元の問屋と合わせて四つの問屋と付き合っていたこともある。

しかし、今問屋の数は激減し、私の店の問屋さんの名簿は次々に消され、昔から取引のある問屋はほんの数社しか無くなっている。

問屋の数と共に、小売屋の数も減少している。それでも小売屋の減少は問屋に比べてかなり時間差があったように思う。業界規模が縮小し、問屋の数が減る中で小売屋の数はなかなか減らなかった。ある小売屋が店を閉めても、番頭たちが独立して商売を始める、と言う事もあって出入りの問屋さんに聞いても、「小売屋さんは減りませんね。結構しぶとく商売していますよ。」と言う声が聞かれた。

しかし、ここ十年位で小売屋の数は減っている。京都にいた時分、音に聞こえていた地方の大手の呉服屋が次々と店を閉めたと言う話を聞く。「あんな立派な呉服屋が?」と耳を疑うようなニュースが飛び込んでくる。山形でも私の店の周辺で店を閉じた呉服屋は5軒にのぼる。中には、後継者がいなくて閉じた店もあるが、売上の減少によって閉店を余儀なくされた小売屋も相当にある。

つづく

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