Ⅶ-16 絹(その4)

その白生地屋さんの話によると、白生地の織屋さんが、輸入糸の価格や品質に振り回されるので嫌気を指し、全て昔ながらの国産の白生地を織ったという話をしていた。

国産の繭から国内で糸を引き、国内で白生地を織る。もちろん精錬の日本である。そうして出来上がった白生地は、価格が一反270,000円になったという。

「一反が270,000円の白生地なんて、余程高名の友禅作家ぐらいしか使えませんよね。」
そう言って、笑ってはいたけれども、その裏には白生地に対する危機感が感じられた。しかし、・・・。
「昔は絹の白生地ってそんなものだったんじゃないでしょうか。」
二人でそう言って顔を見合わせた。

「正絹」と言う言葉がなくなり、安い絹が出回り、絹が高級品であると言う感覚がマヒしていたのではないだろうか。270,000円の白生地など私は見たこともないし、祖父の時代も物価は違えども、絹はそれ程高くはなかっただろう。

しかし、もっとずっと以前。江戸時代はどうだろう。現代とは貨幣価値や比定する物がないので一概に物価水準は測れないが、今でいう270,000円以上の価値はあったのではなかろうか。

その時代、普通の町民は絹を着る事はなかった。絹の着物をまとえたのは、余程裕福な豪商の人達である。奢侈禁止令が出れば、羽織の裏に豪華な裏地を張って競い合ったと言う。絹地を「正絹」と言い、僅かな切れ端でも大切にしていた。

そして、更に昔、シルクロードの時代に絹は更に高価だった。

漢の時代、中国では絹1キログラムは労賃の6.4日分であったと言う。着物にする反物は一反7~800グラムである。従って白生地一反は約5日分の労賃と言う事になるだろうか。5日分の賃金と言えば、月給の約1/4にあたる。月給が人それぞれに違うので一概には言えないが、絹の反物一反が当時いくらぐらいかは想像できる。

そして、その絹地がシルクロードを渡って遥かローマにもたらされた時には、何とその230倍で取引されたと言う。具体的に現代に比定すればローマでは絹一反いくらで売買されたのだろう。

国税庁が発表した2016年の民間平均給与は421.6万円。月にすれば約35万円である。絹一反が月収の1/4とすると、約9万円になる。そして、ローマではその230倍である2,070万円と言うことになる。果たして本当にそんな値段で取引されたのかどうか分からないが、ローマでは絹の高騰が金の流出を招き、帝国の弱体化につながったとも言われている。

日本で絹織物が盛んになるのは明治に入っての事なので、江戸時代には生産性が悪く中国よりもずっと高かっただろう。縮緬の白生地一反270,000円と言うのは絹の本質的価値から言えば、そう現実離れした価格ではないかもしれない。

そうは言っても、絹は安いに越したことはない。極一部の金持ちしか着れない着物ではなく誰でも正絹の着物を着ていただきたい。それが今日、安価な海外の絹がそれを現実化している。

しかし、安価な海外の絹によって日本の絹が駆逐されかかっている。日本で大切に品種改良されながら育てられた高品質の絹が姿を消そうとしている。日本の絹がなくなろうと、絹であれば海外の物でも良いと言う考え方もあるかもしれない。しかし、その考えも通用しなくなりつつある。

日本以外にも絹の需要が増え、絹が日本に周ってこなくなる可能性もある。それが証拠に輸入される絹の価格が上がっている。日本産の絹にはまだまだ及ばないけれども、じわりじわりと絹の価格は上がっている。このまま行けば、絹の価格は高騰し、ややもすると入手さえ困難になるかもしれない。その時、日本は、呉服業界はどうするのだろう。

その頃は日本の蚕糸業界はほぼなくなっているかもしれない。蚕を育てる技術さえなくなっているだろう。もともと日本で育てた高品質の絹はなくなり、高価な海外産を買わざるを得なくなるのだろうか。

蚕から糸を採り、織り上げて精錬された「宝石のような縮緬」と言うのは唯の例えではない。今こそ日本の着物の素材である絹についてもう一度考えて見る必要があるように思える。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です