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Ⅶ-16 絹(その2)

何故海外の絹は安いのか。一つには、為替、人件費の差がある。かつて中国の人件費は安く日本とは比べものにならなかった。人手を使う絹の生産に日本の人件費は高く、絹は高額なものとなった。

それともう一つは、日本の絹生産の品質管理である。日本の繭は数百年にわたって品種改良し、世界でも冠たる品質を有している。良質の繭は、糸が細く均質である。その品質を守るために日本の養蚕農家は手間暇を掛けて繭を生産している。その結果、糸も高額になる。中国やブラジルでは、粗製濫造とまでは言わないまでも、日本の養蚕ほど手を掛けていない。安く大量に生産することによって輸出して外貨を稼いでいる。

海外の繭と日本の繭の価格の差はいかんともしがたい。安価な海外産の前に国産繭は価格的にはひとたまりもない。海外産の繭に国産繭は駆逐されていった。

実は品質において両者は雲泥の差がある。しかし、日本人の「絹」と言う言葉に対する信仰がかえって海外繭の流入を促進することになる。「絹がそんなに安く入るのならば・・。」と言う気持ちだっただろう。それまで絹を使わなかった繊維製品も絹地のものが作られ、呉服においても安価な輸入品が流入する。

それでも呉服業界、とりわけ白生地業界においては品質の保持にはかなり気を遣っていたように思う。生産された繭から縮緬や羽二重の反物になるには、いくつもの工程をある。大きく分ければ「製糸」(繭から糸を作る)、「製織」(生地を織る)、「精錬」(繊維に付着した糊セリシンを落とす)等の工程がある。

海外の絹が入ってきた当時、様々な試みがなされたようである。全ての工程を海外の安価な労働力に任せた場合、やはり不都合が起きたのかもしれない。海外の絹が呉服業界に定着してきた頃、反物の品質表示には「製織地 日本」とか「精錬地 日本」と言う表示もあった。糸は海外の物を使うとして、どれだけ日本の伝統技術を製品に注入するのかと模索したのだと思う。

安い海外産の絹が入ってきて価格的に無視するわけには行かない。さりとて品質のいい加減な反物を市場に流すわけには行かない、と言う葛藤があったのではないだろうか。

結果的に海外品の流入は繭の生産者を直撃した。かつては全国各地で繭は生産されていた。私の家の蔵も、昔蚕を飼っていた蔵だと言う話である。山形市にも養蚕試験場があった。子供の頃、そのゴミ捨て場に蚕を拾いに行った物だった。全国には名だたる繭の産地も多く存在した。今日に名を遺す名だたる繭の生産地以外でも繭は生産されていた。

しかし、徐々にその数は減って行き、現在組織的に繭を生産しているのは、群馬県と山形県のみになってしまった。そして、その生産量は激減している。そして、それらの産地でも間もなく繭は生産できなくなると言う話である。

つづく

Ⅶ-16 絹

着物や帯を含めて呉服製品の多くは素材が絹である。綿や麻、ウールその他化学繊維の製品もあるが、晴れ着である訪問着から普段着の紬まで絹素材のものが多い。

「正絹」と言う言葉がある。最近はあまり使われなくなったが、私は昔の癖でお客様に「正絹です。」と言ってしまうのだけれども、若い人の中には「正絹」と言う言葉を知らない人も多い。
「正絹」とは、文字通り混じりけのない絹製品であることを意味する。「混じりけのない絹」というのは、絹100%と言う意味である。「正絹」と言う言葉が使われなくなったのは通商産業省(当時の)の政策が絡んでいる。

昔は絹100%の製品に「正絹」の品質表示タグがついていた。同じように綿100%の製品には「純綿」と言う表示もあったと思う。しかし、いつ頃の事だったか忘れたけれども、通商産業省が品質表示を統一するために、繊維製品には「○○・××%」と言う表示を義務づけた。その為に「正絹」や「純綿」と言う言葉は正式な品質表示とは認められなくなり、表記からは消えてしまったようだ。

さて、この「正絹」と言う言葉を知っている人は、この言葉の奥に「とても貴重なもの」と言う意味を感じていたはずである。絹イコール貴重品、と言う意識が「純絹」ではなく「正絹」と言う言葉を生んだものと思う。

私が子供の頃、親や祖父の言う「正絹」と言う言葉にはなにやら重みを感じていた。子供の時分にはそれが何なのかはわからない。子供の私には、絹も綿も区別もつかず同じ布にしか見えなかった。着物の生地も雑巾の生地も違いが分からなかったが「正絹」と言う言葉には特別な意味を感じていた。

私が小学校の時、工作で布が必要だったので店にあった着物の切れ端をもらって作っていたら、「なんだ、工作に正絹を使っているのか。」と父に言われたことがあった。叱られたわけではないのだけれども、その時私は何か大それたことをしたのだろうか、と感じていた。

昔は絹をとても大切にしていた。着物を仕立てた残り裂は仕立てた着物と一緒にお客様にお返しする。こんな小さい端布を一体何に使うのだろうかと思っていたが、当時の大人達はそれをとても大切にしていた。

絹イコール貴重品、と言う意識は知らず知らずに私の心に染みこんでいた。

しかし、昔に比べれば絹はとても安く身近なものとなっている。着物に使う反物も安くなっているが、着物以外に絹の洋服やタオル、ジーンズまで出回るようになった。絹の日傘も作られている。絹がより身近なものとして生活に入り込んできている。

何故絹が安く大量に出回るようになったのかと言えば海外からの輸入が原因である。中国やブラジルから安価な絹が大量に入るようになったのである。

もともと絹は日本の殖産産業で、明治時代に外貨を得るための輸出品として富岡製糸工場をはじめ、全国で生産された。輸出羽二重と言う言葉が示すとおり、絹糸や絹織物は日本の輸出品ナンバーワンだった。しかし、それが大量に輸入されるようになった。

つづく

Ⅶ-15 呉服の流通に関する気になる動き(その5)

創業して2年と経たない会社が年間3億8000万円(公表値4億8000万円)の売上を創り急成長を見せていたが、結局6億とも10億ともいわれる負債を抱えて倒産している。

「はれのひ」の経営者の無能は指摘されて当然だけれども、それを支えた浮き貸しで商品を供給した問屋側にも責任がある。進んで商品を提供した問屋の中には数千万円の商品代が未回収になったところもあるが、それはその問屋が責任を持てばよい事である。しかし、責任はそれで終わらない。振袖を着られなかった人達、預けた振袖が戻らない。一年二年先の予約金が戻らない、など金銭では片付けられない問題が付いて回る。

「はれのひ」だけでなくこのような倒産は以前から何度となく起こっている。「友禅の館」「たけうち」「愛染蔵」等々、大型倒産が起こる度に決まって大手の問屋が債権者に名を連ねている。数千万円から数億円の損を出しながら凝りもせずに問屋が何故次々と浮き貸しを続けているのか理解に苦しむ。

しかし、やはり大きな問屋では大きな売り上げを創っていかなければならない。一方で買取をする小売屋は激減している。買取を続けている(当社のような)零細な小売屋を相手にしていても売上は上がらない。まして算盤を弾いて値段の交渉をしていては手間も掛かり、利幅も小さくなる。

染屋織屋が問屋に商品を貸してくれるのであれば、大風呂敷を広げる業者に浮き貸しして大きな売り上げを創ったほうが簡単でリスクも少ない、と考えているのだろう。

こうした事が行われると、問屋自身がどのような商品を流通させているか分からない。消費者にいくらで販売されているかも分からない。と言うよりも責任不在となる。問屋は、ただの商品を仲介する業者に過ぎなくなってしまう。つまり、呉服そのものを考える事もなく、業界の将来を考える事もない、利益を求めるだけの流通に他ならない。

目先の売上だけを考えずに、呉服の将来、業界の将来像を考えながら呉服を流通させなければならないと私は思っているが、どうも反対の方向へ行っているらしい。

それにしても、「はれのひ」のような業者が出るたびに商品を供給し加担し、その度に倒産に合って莫大な負債を創りながら凝りもせずに繰り返しているは不思議でならない。一方で地道に買取をしている小売屋を相手にしなくなるとすると、呉服の将来はとても心配になるのである。