Ⅶ-ⅺ 再度、着物の価値について

先日、改めて「着物の価値とは何なのか」と考えさせられる事件?があった。

知り合いの弁護士の奥さんから電話を頂戴した。内容は「訳があって二十枚ほど着物があるので見てもらいたい」との事だった。

こういった類の電話はお客様から良く頂戴する。母親や叔母さん、または知人に着物をたくさんもらいその利用法に関する相談である。寸法はどうなのか。直そうと思えば自分の寸法に直せるのか。また、仕立て替えする価値のある物なのかどうか。解いて羽織やその他の用途に仕立て替えられるのかどうか等など。

私の店ではそう言った相談には喜んでお応えすることにしている。着物の本当の良さを知っていただくには、そう言った着物本来の使い方を知っていただきたいからである。

先日も他のお客様が数枚の着物を持ち込んできた。その中に素晴らしい辻が花の紬の小紋があった。
「これは素晴らしいですよ。是非仕立て返してとって置かれたほうが良いです。」
そうアドバイスすると、
「えっ、そうなんですか。名古屋帯にでもしてもらおうと思ってきたのですが。」
とおっしゃっていたが、結局着物に仕立てて先日その着物を着て来店された。
「みんなに褒められました。」
そういう言葉を聞くと、私は呉服屋冥利に尽きるのである。

さて、その弁護士の奥様もその類の相談だと思った。そして、いつでもお出で下さいとお応えすると、今すぐに持ってくるという返事だった。

果たして三十分もしないうちに事務所の女性と二人で二十枚程の着物を持って来店された。目の前に山積みにされた着物は皆同じ呉服屋の畳紙に入っている。ただし二~三枚はクリーニング店の畳紙であった。
「これだけの着物一枚一枚寸法を測りながら見るには時間が掛かるな。」
と思っていると、
「この着物の価値を鑑定してもらいたいのです。」
と言うことだった。

その言葉の真意は別として、私は古い着物や仕立て上がった着物を見るのが好きである。昔の着物の中には、今ではできないような染織にお目に掛かることもある。最近の着物であっても私の店では仕入れていないような着物もある。そういう意味で、山と積まれた着物の畳紙を開いてみた。

最初の畳紙を開くと、そこには驚くような着物があった。「驚く」と言うのは、私の店では到底扱わないきものだった。一緒に見ていた母と従業員は「うわー」と言う声を揚げていた。

他の二枚の畳紙も開けてみたが同じだった。「このような着物が流通しているのか」と思い、他の畳紙を開けようとしたが、母が「もう見なくてもいいから」と見るのをやめてしまった。

その着物が私の店では扱わない商品であっても、それを売ったお店ではその店のお勧めの着物として扱っているのであって私が云々する事ではない。購入した人も、その着物が好きで買ったのであれば何も問題はないはずである。しかし、更に驚くことがあった。

つづく

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