月別アーカイブ: 2017年6月

商品紹介「夏物おしゃれ着」

紬を中心とした夏物を紹介いたします。「YUKIYA SELECTION」(過去のセレクション)をご覧ください。

【小千谷縮】

夏の普段着として、また浴衣として一番涼しいのが小千谷縮です。麻織物ですので汗を吸い、風を通しますので見た目よりもずっと涼しい着物です。

麻織物と言えば「〇〇上布」と言った高価な織物を連想する方もいらっしゃるかもしれません。しかし、小千谷縮はラミー紡績糸を使用しているので価格も比較的安く、縞の小千谷は50,000円です。夏の高級浴衣としてお召しになってみてください。

参照「きもの博物館10.小千谷縮」

【越後夏大島】

大島紬は高級紬として知られ、夏大島も希少で高価な織物です。新潟県十日町では風合いをそのままに「越後夏大島」として織られています。

価格は118,000円です。

【越後夏結城】

「越後夏大島」同様、「越後夏結城」が織られています。本場結城紬は紬の最高峰として知られていますが、本場夏結城紬をご覧になったことのある方はいらっしゃるでしょうか。本場夏結城紬は今織られているかどうかは分かりません。

私は三十数年前、京都にいたときに一度だけ扱ったことがあります。本場結城紬の特徴である真綿紬糸で透けるように織られた織物でとても高価でした。しかし、真綿であるが故に着てみると暑いという話でした。私は着たことがないので何とも言えませんが、真綿である以上暑いのは避けられないかもしれません。

「越後夏結城」は経糸に生糸を使っていますので、本場結城の様に暑いことはありません。夏から秋の単衣の時期にぴったりだと思います。一度お試しください。
価格は、128,000円です

【明石縮】

強撚糸を使用した織物で、シャリ感があり涼しさを感じさせる織物です。大正時代から昭和にかけて大流行したと言われていますが、一時廃れ、後何度か再生しています。新潟県十日町根啓織物さんの明石縮を仕入れています。機も少なく、産地に行っても数反しかお目人掛かれないこともあります。日本の夏を感じる織物です。長くおり続けてもらいたいものです。

価格は123,000円です。

Ⅵ-ⅵ 古い着物はどうしたらよいか (着物のメンテナンス) (その13)

【黒留袖】

黒留袖と言えば、女性のフォーマル着物の最上位である(皇室では黒留袖は着ないので色留袖が一番、と言う説もあるが)。以前は結婚する時に嫁入り道具として黒留袖を仕立てる人が多かった。

黒留袖は親族の結婚式での既婚者の装いである。また仲人(雌仲人)も黒留袖を着る。実際に黒留袖を着るのは、娘や息子、孫の結婚式。若い人であれば兄弟姉妹、従妹の結婚式である。もっとも、どこまでの親族が黒留袖を着るかについては地方により違いがあるらしい。

昔は「嫁入り道具に」、「息子が結婚するので」と仕立てられた黒留袖だが、今黒留袖を仕立てるのをあまり見かけなくなったのには訳がある。

一つは現代の少子化がからんでいる。昔は兄弟が四人、五人というのも珍しくはなかった。しかし、今は子供が一人か二人が普通で、三人、四人というのは稀である。嫁入り道具に黒留袖を仕立てても、着る機会があるかどうか分からない。自分の兄弟が既に結婚していたり、嫁ぎ先には兄弟がいなかったり、姉妹は全員既婚であったりすると黒留袖の出番はない。

また、結婚を取り巻く風習も昔とは変わってきている。仲人を立てない結婚式が多くなり、仲人の黒留袖の出番はなくなっている。結婚披露宴も昔のような厳かなものではなく、よりカジュアルな披露宴が増えてきている。レストランウエディングや中には友人だけで居酒屋で行うこともある。
それでもまだまだホテルや結婚式場での披露宴は多いが、黒留袖を着るのは新郎新婦の母親に限られてきているようにも思われる。私の結婚式の時には、母、姉、叔母(二人)従妹が黒留袖を着ていたが、今は結婚式でもそれ程黒留袖姿は見られない。

さて、すっかり出番を失った感のある黒留袖だけれども、時折黒留袖について相談を受ける。

相談が多いのは季節のTPOに関するものである。6月~9月の結婚式には何を着たらよいかと言う相談である。着物のTPOをそのまま当てはめれば、6月、9月は単衣、7月、8月は絽の留袖と言うことになる。しかし、単衣や絽の留袖を持っている人は少ない。いや、皆無と言っても良いかもしれない。

相談にいらっしゃる方のほとんどは新郎、新婦の母親である。自分の息子や娘の晴の席で間違いがあってはならないという気持ちからだろう。

絽の留袖は最近見かけないけれども作られてはいる。単衣の留袖は八掛をはずして仕立てればよいので、どちらも手に入らないことはない。しかし、「6月でしたら単衣でしょう。」「7月でしたら絽の留袖を着るべきです。」とは私も中々言い難い。

しかし、実際に6月、7月に袷仕立ての留袖を着るのは何とも耐え難い。かと言って、着る機会があるのかないのか分からない着物を仕立てるのももったいない。そのような悩みでお出でになるお客様には、次のようにアドバイスさせてもらっている。

絽の留袖は無理にしても、6月から9月までは、やはり単衣の留袖の方が良い。本人が袷の留袖を持っていても、それを単衣に仕立て替えるのは忍びない。また、袷に仕立て替えなくてはならないかもしれないのだから。

昔は留袖を仕立てる人は多かったので、母親や祖母の黒留袖がタンスの底に眠っている場合が多い。そんな留袖があれば、それを解いて単衣の留袖に仕立て替えるのである。もちろん、解いて洗い張りをして仕立て替えなければならないが、新調するよりはずっと安価に仕上がる。また、母親や祖母の思いの籠ったものであれば結婚式にも最適である。

タンスの底に眠っている黒留袖を生かす方法としてはいかがだろうか。

尚、余りに古くて仕立て替えに耐えられないものは別として、通常解き洗い張り、仕立て替えをして十万円も掛からない。

トピックス

思わぬニュースが入ってきました。「古い着物はどうしたらよいか」は、さておいて、この件に付いてコメントいたします。
思わぬニュースと言うのは、「染の北川」倒産のニュースです。今時、残念ながら呉服業界では倒産、廃業はそう珍しいことではなくなりました。しかし、「染の北川」の倒産は私にとってある意味ショックでした。
昨年、西陣の老舗織屋「北尾」が倒産しました。それに続く「染の北川」の倒産です。これからの呉服業界を暗示しているようで複雑な思いです。
「染の北川」は染呉服のメーカーですが、消費者でもその名を知っている人は多く、お客様の中には「この小紋は北川です。」と言えば余り説明しなくてもわかる方もおられるぐらいです。
私が京都の問屋にいた時分、「染の北川」は仕入れ先の一つでした。担当者は度々やってきて商品を納めていました。私はまだ呉服業界に入りたての頃で、染屋織屋の名前もよくわからず、会社の規模も力関係も分かりませんでした。当時先輩社員が言った言葉が妙に印象的でした。「北川ばっかりで、うちの染物は皆北川になっちゃうんじゃないか。」
その言葉の裏には、「北川はしっかりした商品を創っている。」と言う意味がありました。決してひいき目ではなく、「良い染物を仕入れようとすると北川の商品になってしまう」と言う意味合いがあったように思えます。
当時一度だけ北川の会社に行ったことがありました。きれいな建物で、受付嬢が迎え、売り場に入ると所狭しと染物が並べてありました。一緒に行った先輩が、余りの商品の数に驚いている私に「北川は全部受注取りしているから、これらは全部売れるんだよ。」そう言ってまた私を驚かせました。当時は今よりはずっと呉服も売れていた時代ですが、「こんなに売れるものかな。」と感心していました。
今でも展示会に行くと、北川のブースには昔世話になった社員がいて「結城屋さん、待ってました。」と商品を勧めてくれていました。北側の商品は染がきちっとしているけれども、その分高価でそれほど仕入れることはできない。それでも、「昔のよしみで」と算盤をはじいて仕入れた商品はお客様にも評判は良かった。
昨年倒産した西陣の織屋「北尾」も同じようだった。「北尾」の帯に初めて出会ったのは京都の問屋に入ってしばらくしての事だった。私がいた問屋は総合問屋で、呉服に関する商品は何でも扱っている。袋帯も山積みしてあったが、その中に目についた袋帯があった。近くに織物担当の部長がいたので「この帯は?」と聞くと、「ああ、それは北尾さんの帯だよ。」と言われた。「他にもあるんですか。」と聞くと「北尾の帯は高いからそんなにないよ。」と言う返事だった。帯に付いている札の符丁を見ると他の帯に比べてずば抜けて高い。高いなりに良い織物であることは業界に入りたての私でも分かった。
それ以来、「北尾の帯」は私の憧れだった。憧れと言うのは、呉服屋として「北尾の帯を売ってみたい。」「北尾の帯の良さを分かってくれるお客様に会いたい。」と言うものだった。
「北川」「北尾」どちらも京都の染、織を代表するメーカーである。他にも良い染物、織物を創るメーカーはたくさんあるが、この二社の倒産は今後業界の行く末を暗示させる。
呉服商品の生産は激減していると言っても過言ではないが、需要も激減しているので量的に不足と言うことはない。しかし、問題はどのような商品が創られているのか、どのような商品が創られなくなっているのかにある。
呉服業界も時代とともに技術革新が進み、海外生産にも頼るようになってきた。染物は手描き友禅から型友禅、捺染プリントからインクジェットへと安価に染める技術が開発されてきた。織物は、手織りから織機へ、紋紙はコンピューターのプログラムが取って代わり、コンピューターと連動した織機は手織りでは考えられないような緻密な織物を創りだす。コンピューターが織り出した緻密な織物が人間の感性にどう響くのか、私には甚だ疑問なのだけれども、一方で職人が一筬一筬打って織り出した織物が姿を消してゆく。
二社の倒産は、そのような呉服業界、いや日本文化の流れを表しているように思えてならない

Ⅵ-ⅵ 古い着物はどうしたらよいか (着物のメンテナンス) (その12)

【古い訪問着】

 古い訪問着を持ち込んで相談されることもある。
古いと言っても、母親の訪問着であったり叔母から貰った訪問着であれば仕立て返してお召しになるのをお勧めしている。体格が余り違わないのであれば、仕立て替えも必要ない。少々の寸法の違いは着物では吸収できるので、柄が気に入れば丸洗いして着る事ができる。
問題になるのは、それ以前のもっと古い訪問着である。5060代の人であれば、その母親の嫁入りで仕立てた昭和2030年代の訪問着である。それらの訪問着を仕立て替えて着るのに抵抗があるのにはいくつかの理由がある。
まず、柄が古い事。日本の着物においては柄の流行はなく柄に古い新しいはない。とは言っても、今は余り描かれない柄を見ると、「古くさい」と感じてしまうのだろうか。確かにその気持ちも分からないでもない。
次に、昔の反物は今よりも幅が狭いので、背が高く裄の長い人は、仕立て替えても十分に裄丈が採れない。裄丈は、不用意に長く仕立てている人もいるが、これは、仕立て替えられない決定的な理由となる。仕立て替えられない着物は、役に立たない古着でしかなくなってしまう。
三番目に、シミやヤケ、擦れなどがあって、仕立て替える気になれないものもある。シミは直ぐに対応すればほとんどきれいに抜けるのだけれども、数十年放置されたシミは取れないものが多い。また、汗が付いたまま長年保管していたために黄色く黄変しているものがある。ヤケや擦れも古い着物にはつきもので、これらも仕立て替えて着ようとする気持ちを萎えさせてしまう。
以上の様な理由で古い訪問着を仕立て替えせずに処分、またはそのまま捨てずに箪笥の底に眠らせてしまうケースが多い。
しかし、私の目には、昔の訪問着はとても魅力的に見える。染は、現代のそれとは違って大胆ではあるが非常に繊細に染められている。プリントや型染、果てはインクジェットの染といった手法のなかった昔の染は手を掛けて染められている事が感じられる。
さて、仕立て替えられないそれらの訪問着はどのようにしたらよいのだろうか。
軽度のシミやヤケであれば、ヤケを直したり濃い色の地色に染めることもできるが、前述したように物によっては加工代が掛かってしまう。希少品であったり思い入れのある訪問着であればそれもお勧めする。それほどでもない場合は、子供用に仕立て替えを考えて見てはいかがだろうか。私の店では何度か仕立て返して喜ばれた。
子供の着物であれば生地の幅は問題ない。シミの位置やヤケの位置を考えながら四つ身や一つ身に仕立て替えるのである。四つ身と言っても幅を狭くするわけだから、絵羽柄がきちっと会うわけではないし、一つ身(祝い着)と言っても一つ身ではなく、背縫いが入ってしまう。完全な形で仕立て替えられるわけではないけれども、今はない染の良さと母親や祖母が着た着物に対する思い入れを大切に仕立て替えるのである。
今、手描きの四つ身や一つ身にはお目にかからないし、あったとしてもとても高価である。その点、母親が着た手描きの訪問着を娘の祝い着として娘に纏わせるのはとても意味のある事かと思う。
呉服屋としてお客様にそのような提案をするのだけれども、そこにはお客様の理解が必要である。仕立士は最新の注意と知恵を絞って訪問着をどのように裁って、どのように縫い合わせるかを考える。絵羽柄が崩れるのはしょうがないとしても、如何にして絵羽の雰囲気を壊さないように裁って縫い合わせるのか。シミやヤケがあった場合、どのようにしてそれを避けて仕立て上げるのか。それは職人技と言える。
しかし、出来上がった着物をみて、「絵羽柄がずれている」「柄が切れている」「本来の四つ身とは柄付けが違う」「目立たないところだけれどもシミが残っている」と言う評価を受けるようであればお勧めできない。
出来上がった着物をどのように評価するかは消費者である。現代の消費者の目は、画一的、工業規格品を見るような目で見る傾向がある。手作りによる染や織の誤差を難物と見られてしまう。注染の折り返しにできるわずかな染難、紬糸のやや大きな節を手造り故の味と見るか難物と見るかは消費者の目に掛かっている。
工業規格品通りの成果を期待される方には訪問着を子供の着物に仕立て替えるのはお勧めできない。しかし、きもの本来の染の良さや思い入れを大切にするのならば、古い訪問着の利用法を考えて、呉服屋に相談して見てはいかがだろうか。本当の呉服屋であれば知恵を絞ってくれるはずである。