月別アーカイブ: 2017年2月

Ⅵ-ⅴ 寿司ときもの(その2)

そのような例は逆に見れば日本にもある。今やイタ飯パスタの店はどこにでもある。イタリアから伝わったパスタだけれども、メニューを見れば、「タラコのスパゲッティー」「和風山菜スパゲッティー」など、日本で増殖したと思われるメニューが並んでいる。

寿司屋の数が海外の方が多いとなれば、国際標準は変わってくる。海外で日本にはないメニューがスタンダードになった時、日本に来た外国人が老舗寿司屋で「〇〇ロール」と注文するかもしれない。頑固おやじが「そんなものない。」と言えば、「日本のすし屋は、そんなものも置いていないのか」と思われるかもしれない。

日本文化の国際化が思わぬブーメランとなって戻ってくるようになる。

これは柔道の世界でも感じることがある。

今や柔道はJUDOとして世界のスポーツである。ロシアのプーチン大統領も柔道の愛好者だという。日本の格闘技がこれほど海外に広まるのはとても嬉しいことである。しかし、誰しも感じているように、「ちょっと違うんじゃないですか」と思ってしまう。

私も中学や高校では体育の時いくらか柔道を習った。(やらせられた。)何故か柔道の授業は寒い時期に行われる。投げ飛ばされると冷たい足が畳に擦れて痛かったのを思い出す。それでも、日本の柔道を少しかじっただけで、日本の武道を習ったことが誇らしく思ったものだった。

柔道の授業では乱取というのがあった。二人で組んで技を掛け合うのである。最初に袖と衿をお互い掴ませられて、先生の合図とともに始まる。柔道選手の試合の様に、技の掛け合いなどと言えるものではなく、力比べをしているようなものだった。

しかし、最近のJUDOでは組まずに始め、組もうとする様子さえ見えない。レスリングのようなしぐさで相手のスキを伺っている。足にタックルする様はまさにレスリングである。

我々が習った柔道とJUDOは別物なのだろうという気さえする。

柔道着もカラフルである。青い柔道着はどうも違和感がある。白の衣装は特別な意味がある。白い柔道着、力のあるものは黒帯を締める。雑念を捨てて勝負に打ち込む気持ちが感じられるのだが青い柔道着ではどうも違う。

柔道のルールも柔道着の色も、国際JUDO連盟で決めたものなのだろう。世界各国の代表者が集まり決めたものだろうから日本の心とは離れて行っても仕方がない。国際化とはそういうものだろう。しかし、どうもそこに虚しさを感じるのは私だけだろうか。

 さて、きものの場合はどうだろう。外国人のきものに対する関心は並々ならぬものがある。それは随所で感じられる。外国人が店にやってくると、着物を着た私の母や女房を見ると、「イッショニ、シャシンニハイッテクダサイ。」と言われる。タイからテレビ取材に来たタレントに仮絵羽の振袖を着せたらとても喜んでいた。このまま外を歩きたいと云っていたが、さすがにそれは断ったけれども。

 知人が夫婦でミラノのスカラ座に行ってオペラを見たとき、夫婦で着物を着て行った。ちょうど演目が「蝶々夫人」であったこともあり、皆に囲まれたという。「日本の着物」は世界中の人が注目している

 注目しているのであれば「自分も着てみたい」「着物が欲しい」と思うのは外国人も変わらない。私の店にも浴衣を買いに来る外国人も年に数人はいる。しかし、サイズが合わなかったり、女性の場合は「おはしょり」と云う着方がネックとなって実際に浴衣を購入して行く外国人は少ない。 

つづく

Ⅵ-ⅴ 寿司ときもの

「寿司ときもの」いったい何の関係かと思われるかもしれない。共通点は日本の文化である。寿司は日本を代表する食文化。きものは世界に誇る日本の服飾文化である。実はもっと他に沢山並べ立てたい日本の文化があるが、それらについて日々考えさせられることがある。

現代は国際社会と言われるように、世界はとても近くなっている。近いというよりも世界が小さくなったと言える。地球の裏側で起こった出来事が瞬時に伝えられる。海外へ渡航するのに何の違和感もなくなった。若い女性が軽装で一人で海外を旅行するのも珍しくはない。時には悲惨なニュースも聞くけれども、それは日本人が海外に行く頻度が多くなったがために起こっているとも解釈できる。

さて、寿司はもはや日本の食文化だけではなくなっている。世界中に寿司を出すレストランがある。今や寿司店の数は日本よりも海外の方が多いという。海外では日本食の人気も高いが、最近国内の寿司屋の数が減っているように思える。いわゆる回転寿司、郊外の寿司レストランは増えているが、昔からの寿司屋が店を閉めている。

寿司屋の経営はなかなか難しいとも聞く。近所で今は閉めてしまった寿司屋のおやじさんは寿司を握りながら「寿司屋はもうかりませんよ。」と良く言っていた。何故儲からないのかと言うと、「寿司ネタは相場で買って、相場で売るしかないんです。」と言うことだった。相場が高くなれば高く売り、相場が下がれば高く売ることはできないという意味だった。実際には回転寿司が増えてきたために既存の寿司屋が減ったのだろうと思う。

さて、日本を代表するその寿司が海外の人達に認められている。それは日本人としてうれしいように思う。しかし、その一方で日本の文化とは何かと考えさせられ、日本の文化が崩れてしまいはしないかと心配になるのは私だけだろうか。

寿司と言えば、マグロ、イカ、タコの握り、キュウリやカンピョウの巻物などがスタンダードである。それらの他に寿司屋が工夫を凝らした創作寿司もある。山形のある寿司屋では、蔵王の樹氷になぞらえて、白菜とキュウリを巻いて「樹氷巻」として出している。他にもあるだろうけれども、いずれも日本の食材を巧みに寿司ネタとして使っている。

しかし、海外に目を向けると何とも驚くような寿司がある。現地の食材を使うのは当然としても、果物を巻いたものや甘い寿司ネタなど、現地の名を冠して「〇〇ロール」として食されている。果たしてそれらは寿司と言えるのだろうか。

いや、確かにそれらは寿司である。「そんなものは寿司ではない。」「そんな寿司は食べるな。」と言うつもりもない。日本の食文化を海外に伝えたのだけれども、現地ではそれが増殖して独り歩きをしている。私は複雑な気持ちにさせられる。

つづく

 Ⅵ-ⅳ 成人式に思う(きものの将来)(その3)

和様を問わず、服装、衣装はこれまでのしきたりとは一線を画して、今後益々自由に着られるのかもしれない。

紬やゆかたで結婚式に、と言うことにもなるかもしれない。訪問着はお洒落だと、普段に訪問着を着て歩く人も出るかもしれない。黒のきものはカッコがいいと喪服を着て歩く人もいるかもしれない。男性も赤や黄色の着物を着たり、演歌歌手のように染の訪問着を着る人も出かねない。

誰がどんなきものを着ようとも、誰も止めることはできない。皆がそれを支持すれば、それまでの非常識は常識となる。これまでの着物の変遷もそのような民衆の好みのエネルギーに突き動かされてきたことも否めない。

私が子供の頃、卒入式でお母さん方は制服のように黒の羽織を着ていたものだが最近はほとんどなくなった。それも時代の移り変わりとともに着物の着方が変わってきた証左と言える。それでもその変化は誰も違和感を感じずに、それまでのきもののしきたりの範疇内での変化だったように思う。

しかし、昨今の状況を見るに、その変化の速度と向かおうとしているベクトルの方向があまりにも早く、そして無指向に向かっているように思える。

きものの行く末が日本人の流れの総和として帰結点を求めているのかどうか疑問である。あるいは、何のしきたりもない、何時どんな時に何を着ても構わないような着物のしきたりを望んでいるのかもしれない。それも日本人の選択であれば、それが日本のきものの帰結点なのだろう。私の考えや好みがどうあろうと、それはどうしようもないことである。

私にとっては、今までの着物のしきたりが崩れていくのは大変残念なことではあるけれども、それは逆に個人の好みでしかなくなるかもしれない。

成人式でどんな着物が流行ろうと、きものではない衣装が主流を占めたとしても、誰かに聞かれれば、「昔からのきものはこうですよ。」と言える人が何人か残っていてもよいように思える。

村の古老のように、誰かが日本の心を聞いてきたときには、それに応えられるような呉服屋でありたいと思う。

 Ⅵ-ⅳ 成人式に思う(きものの将来)(その2)

昔からの着方に縛られない着物が増えている。芸能界の影響が大きいのかもしれない。昔は自分の父や母、祖父や祖母が着物を着ているのを見て育ち、着物を着るしきたりを目で学んでいただろうけれども、現在父や母が着物を着るのを見たことがない人が多い、いやほとんどかもしれない。

何時どんな時にどんな着物を着ればよいのかを見聞きせずに育った人にとっては、芸能界で見た衣装を着てみたいと思ってもしょうがない。貸衣装屋さんに並ぶ色とりどりの紋付を見て、「赤い紋付を着たい」「白の紋付で結婚式をしたい」と思っても何の不思議もない。伝統に縛られずに衣装は多種多様になっている。

伝統に縛られないのは着物だけではない。洋服もその傾向は否めない。

洋服についても昔とはだいぶ違ってきている。昔は結婚式と言えば男性は決まったように黒のスーツを着ていた。それ以外の人もいたけれども、それは極少数だった。それが西洋で正しいマナーなのかは疑問だが、日本ではずっとそういったしきたりだった。あるいは本場西洋から見ればずれていたかもしれないけれども、少なくとも晴れの場に合わせた洋服であることは間違いない。

しかし、最近は結婚式に普段着に近い衣装で出席する人もいる。女性の場合も、以前は「礼装はスカート」と言う不文律があったように思うが、最近はパンツスーツも晴れの衣装として市民権を得ているように思える。

衣装の自由化は晴れとケの境を緩やかに取り去っているようだ。この流れは、最近の人が無作法になったと受け止めるよりも、時代の流れと受け取らざるを得ない。

昔の高等学校は制服があった。男性は決まったように学生服。公立高校ではほとんどが黒の学生服。学校によってボタンが違い、バッジと共にそれがその高校のステータスだった。私立高校では、紺やグレーの学生服もあった。また都会の私立高校ではモダンな学生服もあった。もう五十年も前の話である。

私が高校に入る少し前に私の高校は制服が自由になっていた。県内では他の公立校に先駆けていた。しかし、自由と言ってもジーパンは禁止、色も控えめなものという制限があった。結果的に自由になったのは学生ズボンではなく市販のスラックスを履くぐらいだった。上着は九割がた学生服を着ていた。

今は学生服を着る高校生がずっと減っている。服装の自由、伝統に縛られない衣装はこんなところにも表れている。

つづく