Ⅵ-ⅲ 消費者(きものを買う人)が求めるもの(その2)

最初に、私は「外商」と言う言葉を知らなかった。「外商」とは、商品を外に持ち出して商いをすることである。今で言う「訪問販売」である。私は、自分の店で商品を外に持ち出す姿を見たことがなかった。きものは店で売るもの、だと思っていた。だいたい私の家には車がなかった。祖父や父、もちろん祖母や母は自動車免許を持っていなかった。私のいた京都の問屋でその話をすると「ええっ、結城屋さんには車はないの!」と驚かれた。当時、呉服屋では「外商」は当たり前だった。

私は問屋の販売員として十数件の呉服屋を担当していたが、中には店のない呉服屋も多かった。別に珍しいことではないのだが、外商だけで商売をする「かつぎ屋さん」と呼ばれる呉服屋である。私は、その存在を知らなかった。自宅の一室に着物が並べられている。それを持って得意先を回り商いをしていた。

そうは言っても、実は私の店でも昔「外商」をしているのは知っていた。戦前の話である。当時、店で商いはしていても、販売の主流は地主の旦那衆周りだった。その当時の話は祖父によく聞かされていた。自転車に反物を積んで地主の家に商いに行くのである。呉服屋の暗黙の了解によって呉服屋ごとにテリトリーが決まっていたらしい。どこそこの地区の地主は〇〇呉服屋、というように。

地主の奥さんはきものを買うのが仕事のようなもので、主人や家族、そして小作人に与えるきものまで奥さんが選んでいたという。勘定は盆暮れ払い。盆や暮れになると、膨大な商品の書き込みのある帳面を持って行って代金を回収してたという。

しかし、それは戦前の話で、今時商品を持って歩く呉服の商売があるとは知らなかったのである。

次に驚いたのは、大手呉服屋の商売である。私が担当していたのは、小さな呉服店ばかりだった。商品を車に積んでお店に伺い、商品を広げて買ってもらう。しかし、なかなか買ってもらえない。一度に五反も買ってもらった時には、鬼の首でも取った気分で会社に戻っていた。

しかし、取引先の中には大手呉服屋もあった。通常、販売員は地区(北海道、東北、九州等)ごとに担当して10~20件の呉服屋を回っていたが、大手呉服屋には専属の担当者が一人付いていた。担当者には電話で次々に注文が入る。染屋さんが、その呉服屋専用に染めた反物を持ち込む。同じ柄の反物が山と積まれ、納められる。同じ反物をそんなの売って大丈夫なのかとも思ったし、よくそれだけきものを買いに来る人がいるものだと思っていた。

一口に呉服屋と言っても様々であった。店はなく商品を持ちまわる「かつぎ屋さん」から「大手呉服屋」まで、また取引はなかったが「ナショナルチェーン」と呼ばれる「超大手呉服屋」まであった。そして、そこでは様々な売り方がされていた。

問屋には、全国の呉服屋の情報が入る。それぞれの販売員からいろいろな話を聞く。「〇〇呉服店では、このようにして売り上げを伸ばしています。」と言う具合だった。中には、「本当にそんな売り方で・・。」と思わせられるものもあった。

「お得意様を年末に温泉に招待して忘年会を行い、きものを販売する。」「展示会に一流のフランス料理のシェフを招いてフランス料理のコースをふるまう。」そんなものはまだましだったが、中には、「振袖を一式誂えると海外旅行。」「振袖を買うと軽自動車プレゼント。」というのもあった。

そこまで行くと、私の疑問も頂点に達してきた。「果たして、これらは呉服屋がやるべきことなのだろうか。自分が子供の頃に見てきた呉服屋とはおよそ違う。しかし、これが現実である。むしろ自分の店(結城屋)の方が異端ではないのか。」

つづく

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