月別アーカイブ: 2016年9月

ⅴ-ⅲ 良いきものの証(その10)

⑦ 証紙

きものの購入する際、その目安とされるものに「証紙」がある。「証紙」は品質を保証する為に商品に添付あるいは刻印されるものである。きものの事をよく知らない人にとっては都合の良いものかもしれない。

きものに添付される証紙といえば・・・実に沢山ある。(沢山あった、と言った方がよいかもしれないが。)西陣織、博多織、京友禅、日本の絹等々。いずれもそれ相応の意味がある。しかし、その証紙の意味するところを正しく理解しなければ、かえつて誤った判断になりかねない。

西陣の証紙は、数あるきものの証紙の中でも私が一番敬意を表する証紙である。証紙に表示される内容は、時代や法律とともに若干変遷したものの、長い間権威を保持し続けている。証紙の中には、なし崩し的に権威を失ってしまうものもあるが、西陣の証紙は「めがね証紙」と呼ばれる形状とともに今日に至っている。

この証紙の意味するところは、「西陣で織られた帯であること」「織屋毎の番号が記されて製造元を特定している」ことである。昔は「正絹」と記されて、品質を保証していたが、法律の改正(改正ではなく解釈の変更と言った方が良いかもしれない)によって証紙に品質は記されなくなり、代わりに品質を記載したシールが貼られるようになった。(この辺の事情については「フォトトピックス10.西陣の証紙が変わりました」を参照してください。)

「西陣で織られた」と言うのは、最近多い中国で織られた帯ではないという意味でもあり、換言すれば「この帯は西陣織工業組合加盟の織屋が織った帯であることを証明」する証紙である。それをどのように解釈するのか。

以前、お客様に「これはどこの帯ですか。」と尋ねられ「西陣です」と答えたことがあった。するとそのお客様はとても感心したように「ふーん、西陣の帯ですか。」とまじまじと帯を眺めていた。

西陣の帯という言葉は特定の帯を意味するものではない。西陣では手織りの帯、爪掻綴から汎用品の帯まで作っている。そのお客様は「西陣の帯」と言う言葉に高価な工芸品を連想したのかもしれない。

「西陣の帯」の意味するところを正しく解釈しなければ判断を誤りかねない。

証紙に記された「織屋番号」も同じである。

織屋番号は西陣織工業組合に加入した順に番号が与えられている。最初のチャーターメンバーは五十音順に付されたが、それ以降は加盟順である。それ故、早い番号の織屋は昔からある織屋であるということは言える。しかし、後から加盟した織屋にも老舗は多い。

ちなみに、最も古い織屋と言われる「紋屋井関」は織屋番号が1318である。番号の遅い織屋は老舗ではないというわけではないし、まして良い織物を織っていないということは全くない。西陣の織屋は等しく良い帯を織る為に努力している。

西陣の証紙は商品を保証するのは間違いないが、消費者の判断は正しく行わなければならない。

ⅴ-ⅲ 良いきものの証(その9)

きものの中には、昔から織り続けられ、染め続けられたけれども最近姿を消しつつあるものは多い。作る人(織る人、染める人)がいなくなったせいもあるが、需要がなくなって姿を消すものもある。ネルやセル、メリンスなどがその例である。全く無くなったわけではないが手に入りにくくなった。

作る人がいなくなり商品が少なくなった商品は、価格が高騰し珍重されている。需要がなくなったものについては「レア物」扱いはされない。在庫があってもお呼びが掛からずにそっと棚に眠っている。

前者は「このきものはあまりありません」「このきものは中々手に入りません」の売り口上の対象になるが、後者は黙って棚の隅にしまわれている。

私は、どちらも日本のきものとして残してもらいたいと思うのだけれども、現実には価格が高騰し庶民には手の届かなくなるか、もしくは誰も着る人がなく姿を消してゆく運命にあるのは致し方ないのかもしれない。

さて、きものの売り場で「レア物」扱いされるものの中には、上記の商品とは全く違ったものがある。昔からあるきものではないが、「レア物」として売り場に並べられるものである。新しい素材や新しい織り方染め方、また新進の作家の作品などである。それらは、前述したナイロンやアルミニウムなどと同じように価値の判断が難しい。

更に、売り口上で「レア物」とされる物には偽物もあることを覚えておかなくてはならない。偽物というのは、まがい物ということではなく、販売員の説明に嘘偽りがある場合もある。

消費者は希少価値に弱い。それに付け込んで、「レア物」を創作したり、「レア物」でもないものを言葉巧みに希少性を売り込むことは、販売側にとっては大きな力となる。

話は複雑になってしまったが、消費者が商品の希少性をどのように捉えたらよいのだろうか。希少品には様々な意味がある。本当に希少な商品。販売戦略上希少品として売っているもの。時には希少品でないものを希少品として売っている場合もある。

消費者が、希少品と説明されただけで触手を伸ばしてしまうのは早計である。その商品の希少性をよく理解することが大切である。そして、希少性を理解したとしても、そのきものが自分にとって本当に必要なものなのかをよく考えなければならない。

ⅴ-ⅲ 良いきものの証(その8)

⑥ レア物

「レア物」と言う言葉は横文字できものには似つかわしくない。しかし、以前バスケットシューズや時計など「レア物」として高値で売買されたことがあった。

その当時、野口汎先生の長板中形小紋が深夜放送で紹介され、若い人が問屋に殺到してたちまち商品がなくなったことがあった。普段きものなど着ない若者から「どんな柄でも良いから一反・・・」と言う注文も舞い込んだという。マスコミの力も去ることながら、「レア物」という付加価値は如何に購買意欲を刺激するかを如実に表している。

「レア物」はきものの世界では「あまりありません」「中々手に入りません」と言う売り口上で表現される。その理由は、原料が希少であったり、創る人が少なかったり、また過去の作家の作品で今は出回っていないなど様々である。

希少なきもの(レア物)を勧められれば誰しも触手が動いてしまう。誰も持っていない物を着たい身に着けたいと言うのは人の本心だろう。では、きものの場合、この希少なきもの(レア物)をどのように解釈し購買の判断材料にしたらよいのか、考えてみたい。

まず、材料の希少性についてはどうだろう。

材料の希少性を語る際、一次産品と二次産品に分けられる。一次産品とは原料そのものが希少であるもの。例えば黄金繭とか貝紫など、原料が少ないか採取しにくい物である。二次産品では、越後上布や品布のように原料はあってもそれを糸にするのが難しい、または糸を作る人がいないといった商品である。

確かに昔からある製品については、希少品としての評価に値するものは多い。紫根や茜はもう国産のものはほとんどないという。今、紫根は中国、茜はインドから輸入されている。日本紫根、日本茜で染めたきものは希少品として扱われるだろう。結城紬や越後上布は糸を紡ぐ人、績む人がいなくなりより希少なものとなっている。

しかし、新しい商品には果たして希少性の判断が難しい物もある。

きものに限らず、新しい素材や商品はもてはやされる。戦後、ナイロンが発明され市場に出回った時にはナイロンの洋服が高価なものとされ珍重された。今にすれば、静電気が起き通風性に欠けるナイロンの洋服など着れたものではないが、当時はあこがれの商品だった。十数年前にはテンセルというセルロース系繊維が話題になった。当時だいぶもてはやされ高価だったが、現在余り聞かなくなった。

電気精錬の技術がなかったナポレオンの時代、アルミニウムは金と同じように珍重され、貴族はアルミの食器を自慢していたという。

新しく世に出た製品は注目されもてはやされる。中には後世までその価値が認められ続けるものもあるが、時代とともに消える物もある。それは、その商品の価値が本物であるかどうかにある。それらは決してまがい物ではないが、本当の価値以上にもてはやされれば、いずれ淘汰されて適正な価値(価格)に落ち着いてゆくのである。

「このきものはあまりありません」「このきものは中々手に入りません」の言葉の裏にも同じようなことが隠されている。

つづく

ⅴ-ⅲ 良いきものの証(その7)

第一の条件は、まともな呉服屋での話である。今白生地は二束三文とも言えるような安い海外の製品から前述の純国産の白生地まである。その差は一反で10万円を下らないだろう。まともな呉服屋であれば、染めを施された安い生地の商品は安く買い付け、高い白生地は高く仕入れる。そして、消費者へは安いものは安く、高い物は高く提供せざるを得ない。

しかし、安く仕入れた(安い生地)商品を国産白生地と同じように販売する業者も後を絶たない。まともな呉服屋であれば白生地の価格は上代に正確に反映されている。従ってそのきものの白生地はその価格並みと思って差し支えない。

第二の条件として、同じレベルの商品を比べる場合に限られる。

きものは白生地に染を施されたり刺繍をしたり、箔を置いたりして加工される。その付加価値は生地代に比べて圧倒的に高い。

同じ白生地を使っても、色無地に染められた反物と伝統工芸作家が付加価値を付けたものでは価格が天と地程に差がある。10万円の白生地と100万円の友禅訪問着ではどちらの白生地が高いか分からない。

しかし、加賀友禅の訪問着を選ぶとしよう。加賀友禅だけではなく同じような格の京友禅訪問着も一緒に比べて選ぼうとした場合、白生地はどれほど問題にする価値があるだろうか。80万円の加賀友禅、100万円の京友禅その他その程度の訪問着を比べた時、それらに使われている白生地はどういうものだろうか。

それらの白生地は実際に価格に差はある。しかし、その差はそう大きなものではない。せいぜい1~2万円程度ではなかろうか。訪問着の上代価格に比べれば微々たるものである。

それらの訪問着に使う白生地は、作家や染屋が選ぶが、その基準は「糸目糊がのりやすい」とか「染料が挿しやすい」「光沢がありフォーマル感がある」などだろう。良い作品を創る為にそれに適した生地を選ぶのであって、価格で選んではいない。そしてその選ばれる白生地はそれにふさわしい物である。

100万円の友禅訪問着を創るのに、ぺらぺらの安い白生地を使うはずはない。詮索するまでもなく、まちがいなくそれに相応しい白生地を使っているのである。従ってこのような場合、どちらの白生地が良いのかは問題にする必要はない。

江戸小紋や緻密な友禅の場合、シボの高い縮緬地は柄を置きにくく、シボの低いさらさらした生地が使われる。こう言った生地は、シボの高い鬼縮緬と比べると薄く感じられあたかも安い生地に思えてしまうが、一流の染師の江戸小紋は決して安い生地を使ったりはしない。

色無地は最も白生地代が上代に反映されるきものである。無地染の染価が同じであれば上代は白生地によって左右される。色無地の場合、価格に拠って白生地の良し悪しが分かるともいえる。ただし、これもまともな呉服屋での話である。