Ⅶ-35 きものの産地、京都

先日、久しぶりに京都に行って来た。目的は仕入れの為である。
「来週、京都に行ってきます。」と言うと、巷の人からは、「いいですね、仕事柄京都に行けて。」と言われるけれども、仕入れは結構きつい。

今回は、朝7時に山形を出て午前中に東京の問屋を周り、12時の新幹線で京都に向かう。2時半頃から問屋を周った。宿泊は京都ではなく大津である。

最近のインバウンドのお陰で京都は人でいっぱいである。市内のホテルを採ろうと思ったが、安価なホテルは見当たらない。一万円以下のホテルはカプセルホテルかその類である。折しも京都は花見のシーズンでホテルは稼ぎ時である。当日予約すれば安く泊まれる、と言う話もあるが、中々そうも行かない。やむなく京都を出て大津のホテルに宿泊した。

しかし、時代は変わったもので、大津へは京都の地下鉄が乗り入れている。東西線「御池」から僅か二十数分だった。市内中心部で乗って二十数分なので市内のホテルとそう変わらないかもしれない。

翌日は午前中から問屋の展示場を周って午後4時に新幹線に飛び乗り、東京で乗り換え、山形は午後10時過ぎであった。

さて、京都は一年振りだった。かつては年に三回程度仕入れの為京都に行っていたが、今は一回である。ご存知の通り、呉服業界は往時の十分の一以下に縮小している。私の店の売上も十分の一にはなっていないが、商売は相当に縮小している。その分仕入れの量も減り、京都詣での回数も減っている。

山形から京都までの旅費も掛かるので、少量の仕入れでは採算が合わない。そうかと言って大量に仕入れする状況でもない。と言う事で、京都出張を集約して多くの問屋を周ることになるので、益々出張が過密スケジュールになってしまう。

そのような過密スケジュールになってしまうのは、私ども仕入れる側(呉服屋)だけでなく、売る側(問屋)にもある。

昔は問屋の数は星の数ほど(と言えるぐらい)あった。室町通りは、上から下まで両側ずらりと大小問屋がひしめいていた。そして、それらの問屋には沢山の商品があった。小さな問屋であっても専門問屋であれば、そこへ行けば大体思った商品が手に入った。

大手の問屋ともなると、どの階も商品で埋め尽くされ、その問屋一軒で仕入れを済まそうと思えば済ませられるほどだった。

私の店でも取引している京都の問屋は数多くあった。それらの問屋からは、「京都に来たら是非寄ってください」の声が掛かり、当時は京都に二泊して各問屋を周っていた。今ほどハードスケジュールではなかったので、時には時間を割いて近くの名所を訪れる事もあったが、それも今では良い思い出となってしまった。

しかし、今の問屋は商品がない。欲しい商品をメモして行くのだけれども、それを探すのが大変である。「若向きの、〇〇柄の××色の訪問着」を探そうものなら、それに該当する訪問着を探すだけでも数件の問屋を周らなければならない。それで見つかれば良いが、見つからない事もしばしばである。

着物が売れない時代だけに、確実に売れる商品、確実に必要な商品を探すのは、以前に比べて格段に難しくなっている。

つづく

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その4)

元々成人式で振り袖を着るのは慣例化された物ではなかった。純粋に成人式で厳かに着物を着たいという人達が振り袖を着ていたが、次第にそれが全国に広まって、半ば義務化されたようになった。

呉服業界にとって成人式での振り袖着用は千載一遇の商機である。このようにして振袖商戦が始まり次第にエスカレートしていった。

着物を商う呉服屋が成人式の振袖を商うことは悪いことではない。むしろ成人式で振袖を着たいという人達に進んで振袖を提供し、またその歴史や意味を啓蒙すべき立場にある。

しかしながら、振袖商戦を見るに付け、成人式は呉服屋が利益を得るためだけの手段として呉服業界が利用しているようにしか思えない。

昨年は「はれのひ」事件があった。これは完全に犯罪であるが、同じような商法は茶飯事に行われている。このような「商売の逸脱」とも言える行為は別にしても、振袖の商法は、成人の人達に寄り添っているとは思えない事が度々である。

もしも、小学生の卒業式での袴姿が一般的に認知され、広く行われるようになったとしたら、再び振袖のような商戦が繰り返されるのではと心配になる。

小学校の卒業式で皆が袴を履くようになったならば、私も呉服屋として是非袴や着物を買っていただきたいと思う。しかし、過度な販促や奇を衒った商品開発などが行われないように願いたい。

一番に尊重しなければならないのは着物を着る本人、すなわち卒業する子供たちが押し付けられるのではなく、自ら袴姿で卒業式を迎えたいと言う気持ちである。「袴姿でなければならない」「皆が袴を履くから」と言う理由であってはならない。

そして、それを見守る人たちも本当に祝福する気持ちで接していただきたいと思う。

日本人が心から日本の文化を理解し愛し、それを我が子にまた後世に伝えたいと言う心があれば、それを大切に受け止め、自然な形で着物を着る事ができるように願っている。

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その3)

結局、どちらにも一理あり、どちらかが一方的に正しいと言う結論は出しがたい。しかし、私は日本の文化を守りたいという立場から話を進めたいと思う。

先日、テレビで八丈島の小学校の卒業式で女生徒が黄八丈に袴姿で出席した姿が放映されていた。(残念ながら私は見ていない。女房に聞いた話である。)卒業する女性とは三名だけだったが、皆島の特産品である黄八丈を着て袴を履いていた。

視聴者は、この光景にどのような感慨を持ったことだろうか。

日本の伝統、地元の特産品に誇りを持って卒業式に臨む姿は誰も否定する物ではなかっただろうと思う。子供の気持ちもさることながら、衣装を用意してくれた親御さん達の気持ちも伝わってくる。

本場黄八丈と言えば、安価な織物ではない。金銭的な事には余り触れたくはないが、一式揃えるのに苦労されたかもしれない。しかし、そこには親御さんの子供に対する思い、また期待も感じられるのである。

卒業式に参列していた在校生達はどう思っただろうか。言わずとそれは伝わってくる。
さて、反対派の側から見てみよう。

もしも、3人のうち1人が経済的に困難で、黄八丈の衣装を用意できなかったとしよう。果たしてその時どうなっただろう。

結論的に想像すれば、私は決して「1人だけ洋服で」とはならなかっただろうと思う。その方法論は割愛するが、黄八丈を誇りに思う八丈島の人達がそれを見過ごすはずはないと思うからである。

「卒業する女生徒が3人という小さな卒業式だから」と言う見方もできるかもしれないが、これが自分たちの文化を誇りとする人達の縮図であると言える。自分達の文化に誇りを持つという姿勢があれば、小学生の袴論争も、もっと違った角度からなされるのではないだろうか。

さて、問題はここで終わらない。

卒業式を迎える小学生の親御さん達が、もしも全員(一人残らず)八丈島の人達と同じような気持ちで子供に日本の文化として着物と袴を揃えてやりたいと思ったとしても、更に別の問題が起きてくる。

問題を起こすのは、当事者であり消費者である親御さん達ではなく、呉服業界である。

全国の親御さん達が、子供に袴を履かせたいと思い、そしてそれが慣例化された時に一体何が起こるのか。昨今の呉服業界の所業を見れば容易に想像される。

尤も卑近な例は振袖である。振袖が成人式の制服?として認知されてから振袖がどのように扱われているだろうか。

つづく

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐(その2)

まず、賛成派の意見である。集約すれば、
「子どもの着物姿はかわいい。何故、日本の伝統である着物を着てはいけないのか。」
その通りである。着物に限らず、明治維新以来、日本の文化は隅に追いやられてきた感がある。

昔、小中学校の音楽の授業で邦楽を教える事は殆どなかった。音楽の教科書の最後のページに越天楽や筝曲が申し訳程度に載っていたが、レコードで一度聞かせられるくらいで、それ以上突っ込んで先生が邦楽を教える事はなかった。(先生自体が邦楽には疎かったのだろう。)

着物を着ようとしない、あるいは着たことがないのは、そのように日本文化が隅に追いやられ、自分だけ着るのはおかしい、着たことがないので着れない、となってしまったのだろう。

私は、息子の小中学校の卒業式には紋付袴で出席した。役員をしていたので、生徒の間を通って雛段に付いた。すると男子生徒から細やかなどよめきが上がった。最初、「だせいなー」「なんだありゃ」と言う嘲笑かと思ったが、よく聞いてみると、「かっこいい」「ステキ―」と言う声だった。息子は余程恥ずかしかったと思う。

高校の卒業式では担当した先生方全員に着物を着てもらった。着物が好きな校長先生だったので、話は進んで担当した男性教員全員紋付袴姿となった。その時も大変好評だった。日本の文化を愛でる気持ちは、若い人の中にも十分に受け継がれている。

日本の文化を否定する理由は見当たらない。

では、反対意見はどうだろう。

「転倒の危険」や「着崩れ」「トイレのトラブル」と言った事は、着物を着たことがない故のトラブルであり、日本文化を隅に追いやったが為の結果である。いずれも避けて通れない問題かもしれないが、小学校でナイフを禁止したがために、鉛筆をナイフで削れる子供がいなくなったのと同じ弊害が起きている。

「服装が華美になり高額化する」と言う意見も非常に強い。そして「経済的に困難な人が可哀そうだから」と言う意見も強い。これはどうしたものだろう。

私が京都にいた時分(30年以上前のことになるが)、問屋の出張員として呉服屋を周っていたところ、あるお店で次のような事を言われた。
「この辺では振袖は売れませんから。」
持ってきた振袖を見せようとしたが、そう言って断られた。

よく聞くと、その町では成人式の振袖は禁止されていた。理由はやはり「振袖を着られない人が可哀そうだから」と言う理由だった。言われてみれば一理あるが、私は、「そんな理由で振袖が禁止されるなんて・・・」と思っていた。

では、洋服ならば何でもよいのか。ブランド物の子供服の中には、安い着物を越える価格の物もあるだろう。しかし、洋服においては、おそらく振袖のような論理は通じないだろう。日本文化が特殊なものとして認識されてしまっているのだから。

ここまで書くと、私は「日本の文化、日本の着物を偏見なく捉え、正しく認識してもらいたい」の一言である。しかし、だからと言って「小学生の袴姿に手放しで賛成」とは言えないのがこの問題の複雑さである。

つづく

Ⅶ-34 日本文化はどこへ行く・弐

最近、着物の業界紙に「小学生の袴」が話題になっていると言う記事があった。小学生が袴姿で卒業式に出るのが流行っているらしい。「らしい」と言うのは、山形では未だ見かけない。いや、私は小学生と縁が薄くなったので見かけないだけなのかもしれない。

そう思ってWEBで検索してみると、なるほど話題になっていた。そして、それらのサイトでは賛否両論が渦巻いていた。

小学生が着物に袴を履いて卒業式に出る様を想像すると、女学生のミニチュア版の様に思える。山形でも大学の卒業式のシーズンを迎えると街で袴姿の若い女性が見受けられる。

明治以降、女学生たちは着物に袴を履く人が多かった。どれだけいたのかは分からない。案外名門の女学校に通う富裕な女学生だけだったかもしれないが、その姿そのシーンはテレビドラマや映画にも登場する。日本人にとってごく普通の場面に思える。

小学生の袴姿と言うと今迄は余り見かけなかった。これからそういう姿が見られるようになるのかな、とも思うけれども、その是非について賛否両論、議論が巻き起こっているようだ。

もし私に、小学生の袴について賛否を問われたならば、私は「わかりません」としか答えられない。着物を生業とする者の責任を放棄するわけではなくて、その背景を整理していかなければ誤解が生じるからである。

賛成、反対の意見を見て見よう。

まず賛成の意見としては、
「日本の伝統文化に触れられる機会である」
「子どもの時に着物を着る機会が増える。」
「服装は自由である。」等

反対の理由としては、
「華美な姿は相応しくない。」
「服装の高額化。」
「履きなれない衣装は、転倒などの危険がある。」
「着崩れの対応ができない。」
「トイレでのトラブルがある。」等

どちらも一理ある。一理あるだけに議論が始まれば結論には到達しそうにない。では、一つ一つ検証してみよう。

つづく

Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く(その4)

日本人が日本の文化に興味を持たず大切にしない一方で、外国からいらっしゃる方の中には、進んで日本文化に触れようとする動きもある。

インバウンドと騒がれる昨今、日本を訪れる外国人がよくテレビに映るようになった。私が最も驚いたのは、箸を使う外国人が増えたことである。

昔、私が子供の頃は、「外国人(西洋人)は箸が使えないんだよ。」と聞かされていた。日本人は何気なく箸を使っているが、考えて見れば箸を使うのは難しい。箸を持ったことのない人に箸を使えと言っても、フォークの様にしか使ないだろう。

「日本人は器用だから箸を使うんだ。」とも聞かされ、日本人は器用で西洋人は不器用だ、などと言われもない優越感を持ったりしたものだが、テレビに映る外国人の中には器用に箸を使う人も多い。そば屋、ラーメン屋、マイナーな居酒屋を訪れる外国人は実に起用に箸を使う。

全ての外国人が箸を使う訳ではないが、日本の文化に興味のある人たちは、相当に練習を積んだかもしれない。日本の文化に触れ、日本の文化を理解したくて箸を使うのだろう。

蕎麦やラーメンを食べる時にフォークで、と言うのではやはり日本の生活シーンではない。居酒屋でお通しをつまむのには、やはり箸が似合う。日本に触れたいと思っている外国人が箸を使うのはそんなに処にあるのだろう。

私は仕入れの為、浅草に良く行くが、浅草寺、仲見世の辺りは外国人でいっぱいである。浴衣や着物を着ている外国人も多くなった。中には、「これが着物?」「こんな着方で」と思われる人もいるが、彼らが日本の文化に興味を持っているのは間違いない。

裏を返せば、日本人が西洋文化に目を向けるのと同じかもしれないが、自分の文化をまず大切にするのが他の文化を理解する第一歩である。「便利だ、楽だ」に流される前に、しっかりと日本の文化を見つめ、その上で目の前の問題、即ち「料亭で座れない人をどのように処遇するか」を考えるべきと思う。

これほど深い日本の文化を初めから否定する姿勢は日本文化の崩壊につながる。これは保守的な考え方からではなく、日本人としてもっと豊かな生活を送るのにつながると考えるからである。
外国から来た人達が称賛する日本の文化をもっと理解し大切にする必要があるのではないだろうか。

「このままでは日本文化はどこへ行くのだろう」と心配になってしまうのである。

Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く(その3)

料亭に椅子テーブルが持ち込まれるようになったのは何時の頃からだろう。

原因の一つとしては、住宅に日本間が少なくなり、畳に座ると言う生活習慣が希薄になった事が考えられる。日本間のない住宅もある。そういう家で育った子供の中には正座ができない人もいる。出来たとしても長時間は耐えられない。そういう訳で、畳よりも椅子に座るのを好む人が多くなってきている。

また、怪我をしたり老化で足が悪く畳に座れなくなった人もいる。昔は、そう言った人はどうしたのだろうかと思うけれども、日本人の寿命が長くなっている事も関係しているかもしれない。

どちらも尤もな事で、正座のできない人に無理やり正座してもらう訳には行かない。そんな理由で料亭でも椅子テーブルを用意しているところが多くなった。

日本人が洋服を着用するようになり、書類は横書きで創られるようになり、邦楽が隅に追いやられ洋楽が主流になったのと同じように、これも日本が西洋化した証左であり、仕方がないのかと言う見方もできる。

西洋化の波が次第に日本に浸透してきたと言う事だろうか。

しかし、ここで考えなければならない事がある。日本人は日本の文化を捨て去ることを積極的に進めようとしているのだろうか。椅子テーブルにしても、洋服にしても、またコンピューターで文書を作成する際に横書きなので、と言う理由で文書を横書きにしたり、日本の文化は不便だ、煩わしいので西洋風に切り替えようと好んでやっているのだろうか。

料亭ではお客様の要望により、「年寄りが多いので椅子席ではできませんか。」と言うような要望を汲んで椅子テーブルが用意されるようになった。もちろんその裏には前述したような事情がある。

以前、料亭に椅子テーブルがなかった時代にも、正座できない座れない人には座椅子が用意されていた。低い座椅子は御膳にも問題なく使われていた。しかし、「椅子テーブルがあるのならば」と言う事から、椅子テーブルを利用する客が増えてきたようだ。

客の要望では仕方がないのだけれども、最近では料亭自身が椅子テーブルを前提にする姿勢が感じられる。給仕をする中居さんも椅子テーブルであれば座らずに給仕が出来て楽なのかもしれない。しかし果たして、それで失う物はないのだろうか。

最初に記したように、料亭は日本文化の縮図である。椅子テーブルに慣れたお客さんは「料亭はそんなもの」と思い、本当の日本文化に触れる事もなく洋食レストランと同じように感じてしまうのではないだろうか。

掛け軸や床飾りは必要なくなり、実に日本的な中居さんの立ち居振る舞いもなくなる。芸者さんや舞子さんの踊りも無視されて行くだろう。

つづく

Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く(その2)

しかし、何時ごろからなのだろうか、最近料亭でもテーブル席の宴会が多くなった。料亭の座敷に、座敷用の椅子テーブルが並べられる。あたかも明治時代の宴会か、とも思わせられるが、私にとってはどうも居心地が悪い。

大きな宴会の時には、御膳を並べるのと同じように島型にテーブルが並べられる。しかし、本来お膳を並べる時には、客は背中を合わせるように座る。つまり向かいの客とは間を置き、そこは芸者さんや中居さんが通る。

座敷のマナーとしての基本は、酒を注ぐ時には、正面に座り相手の目を見て酒を勧める。客が主賓や他の客に酒を勧める時には、席を立ってその人の前に正座して酒を勧めるのが礼儀である。

中居さんが料理を出す時も同じである。料理を給仕しようとする客の前に座り、脇に置いたお盆からお膳に料理を出す。

しかし、テーブルを島型に並べる時は、客同士が向き合うように座る。向かいの客とは近く、手を延ばせば酒を注ぐ事ができ、周りの人とは話も近くなる。その為に、中居さんは、立ったまま客の脇から給仕する事になる。西洋では当たり前の事なのだが。

これは一見合理的に見えるけれども、日本の文化にはそぐわない、と言うよりも日本文化を打ち消してしまっている。

その最大の原因は、客の目線である。いや、目線と言うよりも目の高さである。

座敷に正座または胡坐をかいた時と椅子に座った時の目の高さは変わってくる。当然椅子の方が目の高さが高くなる。

日本の座敷は、全て目の高さが正座した時の高さを基準として造られている。

例えば、床の間。床の間の軸物や置物、花などをめでる視線は正座の視線である。正座した人が少しかがめば、床に置かれた香炉は直ぐ目の前で見る事ができる。軸物は上から下へ仰ぎ見る事になるが、落款は目の高さにある。

そして、広間に椅子テーブルが並べた場合、床の置物や花は見えず、軸物の上端しか見えない。日本の座敷は椅子を基準として造られてはいない。

実際に広間の椅子テーブルの宴会に出た場合、私にはとても居心地が悪い。

最初に芸者舞子が踊る。芸者舞子が踊り始めると多くの人が席を立ち始める。椅子テーブルの場合、多くの人から芸者舞子の踊りが見えないのである。見えるのは一番前に座った人達だけである。

芸者や舞子が踊る舞台は、客の座る座敷と同じ高さである。ホテルの場合はステージがあるので椅子に座っていても全員が見られるが、日本の座敷では事情が全く異なる。料亭の中にはステージを備えているところもあるが、ホテル程高くはないので、やはり低い目線を基準としている。

酒宴の座敷で皆立ち上がり踊りが見える場所に移動し始めるのは異常である。踊りが見られたとしても、とても踊りは堪能できない。

芸者や舞子は着物を着ている。当たり前だけれども、着物はやはり上前の妻柄がメインである。座敷に座った目線は、芸者や舞子の訪問着、振袖の妻柄が目線にはちょうど良い高さとなる。そして、御膳の席であれば、誰一人席を立たずに踊りを堪能できるのである。

料亭は全てが日本の文化を基調として組み立てられている。そこに椅子テーブルを持ち込むことによってドミノ崩しの様に日本の文化の良さが失われるように思える。

つづく

Ⅶ-33 日本文化はどこへ行く

私は、日本の文化である着物い商いを生業としている。生業である以上、自分が扱う着物については正確な知識をお客様に伝える責任があると思っている。当然、着物を学び、着物や日本の歴史を学ぶことになる。言わば、先人たちが築き上げた日本の文化を正しく学び、お客様また後世の人達に伝えなければと思う。

日本の文化に限らず、数百年、数千年掛かって創られた文化と言うものはとても奥が深い。そして、その文化が今日あるのは、決して偶然ではなく、先人達の努力によって必然的に創られたものであることがよく分かる。

先人たちに目を向け、その努力や知恵に感心した目で180度現代を振り返ると、果たして同じ文化の延長線上にあるのかと首をかしげてしまう事がある。

着物においては、今までになかった様な着物、これまでの延長線上ではない様な着方がされているのは昨今の成人式を見れば分かると思う。

これらの様々な現象は、時代と共に変化する日本文化と捉える事もできるが、その目で再び180度伝統の着物を振り返るとやはり首をかしげたくなるのである。

日本文化は着物だけではない。他にも、果たして「日本文化はどこへ行ってしまうのか」と思われることがある。

山形は古い料亭が残っている。25万人程度の地方都市であるけれども、先頃まで大きな料亭が六軒あった。残念ながら最近二軒は閉じてしまったので今は四軒しかなくなってしまったが、いずれも歴史を感じさせてくれる立派な料亭である。

山形では、料亭で法事をしたり、忘年会にも使う。結婚式も行われる。他県の人を案内すると驚かれたりするのだが、山形で料亭は庶民が利用する特別な存在ではない。

料亭は日本文化の縮図とも言える。料理はもちろんの事、軸物や花等の調度品。女将や中居の振舞など全て日本の文化が生きている。着物屋の目線で言えば、女将や中居は着物である。着物で給仕する姿は真に日本文化の一コマである。

山形には芸者や舞子もいる。料理を食べながら酒を飲みながら芸者さんや舞子さんの踊りを見るのは日本ならではの文化である。

さて、その料亭に着物と同じような波が押し寄せている。

私は、料亭に出向くときは、日本の文化に浸りたいと思い、できるだけ着物を着て行く。着物を着てお膳を前に畳に座るのはとても落ち着く。西洋文化を否定するわけではなく、テーブルでフランス料理を食べるのとは全く違った趣である。もちろんテーブルでフランス料理を食べるのも、それはそれで西洋の文化に浸っているようで良いのであるが。

料亭で小部屋で行う小宴会の場合は、飯台を挟んで数名が座る。大きな宴会では、大広間にコの字型に席を設ける。もっと大きな宴会では島型に席を設ける。客は席に正座または胡坐をかいて座る。

つづく

Ⅶ-32 江戸小紋(その2)

私もここしばらく捺染の江戸小紋を見る機会が多く、改めて型物の江戸小紋を見るとホッとする思いである。

江戸小紋については、以前「きもの博物館.57」でも取り上げているので今更でもないのだけれども、最近の江戸小紋を見ていると呉服業界の趨勢がうかがわれる。

先に「最近は捺染の江戸小紋が多い」と書いたけれども、最近の消費者の中で型染と捺染の区別がつく人はどれだけいるのだろうか。と言うよりも、型染、捺染と言う違った染め方があると理解している人はどれだけいるのだろうか。

型染と捺染を知らない、区別がつかない消費者が多いとしたら、それは消費者自身の責任?ではない。それが証拠に、私の店にいらしたお客様に型染、捺染両方の江戸小紋をお目に掛ければ、ほとんどの人は型染が良いと答える。型染の暖かさは誰にでもその良さを訴えるのである。

もともと捺染などなかった時代は、江戸小紋と言えば全て型染だった。熟練の職人が丹精込めて染めた江戸小紋ばかりだっただろう。もっともその時分は人件費も安く、価格も今ほど高価ではなかっただろう。そうは言っても、そう安い物でもなかったかもしれない。それ故に、職人が染めた江戸小紋は大切に扱われ、代々着られただろう。

私が来ている万筋の単衣は、私の祖母が着ていたものを仕立て替えして父が着ていた。そしてそのまま私が着ている。

しかし、今日捺染の江戸小紋が多く出回っている。価格は型染の五分の一、又は物によってはもっと安い物もある。

捺染と言う技術によって江戸小紋が安く生産されることとなった。これは悪い事ではない。むしろ広く消費者に江戸小紋を普及させると言う意味では歓迎すべきことである。

しかし、問題は型染、捺染と言う染物が消費者に正しく理解され、着物を普及する為になっているのかどうかである。

「今は捺染の江戸小紋しか買えないけれども、何時か本物の型染の江戸小紋を着て見たい。」と言うような声が聞こえればよいのだけれども、そのような声は聞こえてこない。そして、その責任は消費者ではなく呉服業界にある。

江戸小紋を求めようとしている消費者にどれだけ真実を説明しているだろうか。江戸小紋を始めて見る消費者には、型染も捺染も分からない。ただ「これは素晴らしい染物です。」の説明だけで真実を伝えないケースが多いように思える。

中には耳のない捺染の江戸小紋にわざわざ耳を付けて「これは耳があるので型染の江戸小紋です。」と詐欺まがいの商法も横行している。

江戸小紋に限らず、呉服業界が衰退し、業界の信用が損なわれているのはこう言った業界の姿勢ではなかろうか。

初心者や枚数が欲しい消費者に対しては安価な捺染の江戸小紋を紹介し、その上で型染の江戸小紋のすばらしさも同時に伝えるような姿勢が求められるのではないだろうか。

今、染屋から送られてきた江戸小紋を一反一反見ながら、つくづくそう思う。